*愛の証 一*


 ひらり、ひらりと、白い蝶が飛ぶ。それを追いかけるように、長い黒髪を靡かせた少女が一人、緑茂る庭を走っている。
 その姿を見咎めたのか、青年が一人、ゆっくりと近づいた。鮮やかな青色のマントが風に揺れ、黒色の手袋に包まれた手が、飛んでいた蝶を、突然掴んだ。
「はい」
 掴んだその手を、振り返った少女の前に差し出すと、少女は恐る恐る、と言った風に手を出す。その手の上に、手を開いて掴んだ蝶を渡してやろうとしたが、それは簡単にすり抜けて、自由な空へと戻っていく。
「あー!ちょうちょ!」
 少女は、大きな目を見開いて、残念がる。その鮮やかな紫色の双眸に、青年の心が軋む。
「蝶が欲しいの?」
「ちょうちょかわいいから」
「そっか」
 一度捕まった蝶は、二度と捕まるまいと思うのか、どんどんと高い場所へ飛び、離れて行く。
 離れていった蝶を、再び手にする手立ては、あるだろうか。
「こんな所にいたのか。勝手に離れるなと言っただろう!」
「あ、かあさま!」
 聞きなれた声に、青年は耳を疑い、そして、蝶を追っていた視線を、声のした方へと向けた。
 手立てがないのならば、罠を作ればいい。
 青年は、母親へ走り寄ろうとする少女の肩に手を乗せ、懐の凶器へと、手を伸ばした。


 再び会うことになるとは思ってもいなかった姿に、ルルーシュの足が、自然と止まる。
 相変わらず、暗い双眸をしている鮮やかなはずの緑色に、拳を握る。
「久しぶりだね、ルルーシュ」
 変わらないようでいて、変わってしまった声音に、久しぶりだと返すことは、出来なかった。
「手を、離せ、スザク」
「可愛い子だね。君にそっくりだ」
 細く小さな肩の上、無造作に置かれたように見える手に、力がこめられることのないことを願い、一歩、前へ出る。
「本当に、瓜二つだ」
 背後の気配が怖いのか、小さな身体が強張っているのが、よく分かった。
 早く、取り戻さなければ。
「どうして、ここにいる?」
「ああ、君は聞いてなかった?今日は、シュナイゼル殿下が御忍びで、こちらへ見えているんだよ」
「………公務ではなく?」
「ああ。内容は、僕も知らないけどね。一応、僕は護衛だ。まあ、朱禁城の中だから、安全だとは思うけど、見回りをね」
「そうか」
「ところで、ルルーシュ」
「何だ?」
「君にそっくりなこの子、君の、何?」
「お前に答える必要は、ない」
「いいや。君は、答えざるを得ないよ」
 にっこりと、邪気のない笑顔で微笑みながら、ずっと懐に差し入れられていた片手が取り出したものに、ルルーシュの足は凍りついた。


 目の前に滑らされた書類に、星刻は眼を見張った。
「これは………」
「私が、あの子に出来る償いは、この程度しかなくてね」
「償い?」
 突然、天子に呼び出され、赴いた先にいた人物に、星刻は意識を尖らせたが、公務ではないと言われ、驚いた。
「ああ。償いだ。私は、決して許されないことをした。許されるつもりもないが、せめて、何かできることはないものか、と思ってね」
「しかし、これは………」
「先代の皇帝陛下の承認済みだ。勿論、兄上………当代の皇帝陛下は、二つ返事だったよ」
 苦笑しながら言う男に、書類を受け取って視線を走らせれば、確かにそれは、本物だった。
「あの子に、本当に助けが必要だった時に、私や私の兄弟姉妹達は、何もしなかった。手を差し伸べてやることすらも。そうした積み重ねが、あの子を修羅の道へと歩ませたのならば、今度は、そこから引き戻してやらなければ、とね」
「彼女はもう、子供ではない。それに、誰かに引き戻してもらわねばならない道を、歩んでもいないが?」
「それは、そうなんだがね。まあ、贈り物だと思って、受け取ってくれればいい」
「これを贈られたところで、彼女がブリタニアへ足を踏み入れるとも思えないが………もらえるものは、貰っておこう。公務でないと言うことは、これをきっかけに領土を狙われる心配もなさそうだしな」
「手厳しいな。既に、我が国と貴国は、同盟を結んだと思ったんだが?」
「そうだったな。つい、昔の癖が」
「さて、と。それでは、戻ろうかな」
 立ち上がった男に、星刻は眼を見開いた。
「まさか、これのために?」
「誰かに任せるわけにも、いかないのでね。自由に動けて、かつこの事情を知る人間が、少なすぎる」
「誰かに任せれば、そこから情報が漏洩する、と」
「ああ。それでは困るんだ。これは、極秘裏に行われなければ。一般市民に対しての発表は、一切ないからね」
「なるほど」
 頷き、受け取った書類を持って立ち上がった所で、外が騒がしいことに気づく。足音や声が近づいてきたと思ったら、部屋の扉が開け放たれた。
「とうさま!とうさま!」
 泣きながら、転びそうになりながら駆け寄ってきた娘の体を抱きとめて、震えていることに気づく。どこを駆けてきたのか、髪の毛には花弁や葉がつき、頬にはかすり傷が出来ている。
「どう………」
「かあさま!かあさまがぁ!!」
 しゃくりあげながら、必死で言葉を紡ぐ娘の様子に、星刻は部屋を飛び出した。












2010/6/9