*覚悟*


 香凛は、言われた言葉を理解しようとしたが仕切れずに、多少首を傾げて、聞き返した。
「申し訳ありませんが、もう一度言っていただけますか?」
 聞き返されて、不思議そうに顔を上げたのは、稀代の極悪人とも、英雄とも評される“ゼロ”の衣装に身を包んだ少女。その正体を知らない者は驚くだろうが、その少女の腕の中には、近頃満一歳を迎えたばかりの、彼女の子供がいる。
「だから、お前は星刻と結婚しないのか、と聞いたんだ」
「………星刻様とご結婚されるのは、貴女では?」
「俺が何故あいつと結婚するんだ」
 と言われても、籍を入れていないだけで、一緒に住んでいないだけで、彼女の腕の中にいるのは、星刻と彼女の子供だ。だと言うのに、何故自分が、上司の黎星刻との結婚を、彼との間に子を設けた女性にすすめられるのか、理解不能だった。
「嫌いなのか、あいつのこと?」
「いいえ。上司としても、人としても尊敬するに値する方だと思っていますが………しかし、何故、それを私に?」
「お前なら、いいかと思っただけだ」
「は?」
「いや。忘れてくれ」
 母親の纏う、漆黒の衣装の袖口を口に入れようとしている子供を軽く嗜めながら、穏やかな、けれどどこか寂しそうな表情をしている少女に、香凛は眉根を寄せた。


 黎星刻の手から茶器が落ち、一緒に話を聞いていた洪古は、口に入れていた茶を噴出した。
 穏やかな午後の休憩時間は、香凛の言葉で、一気に空気が冷え込んだ。
「ちょ、ちょっと待て!一体なんだ、それは!?“ゼロ”は頭がおかしいのか?」
 何故か、洪が慌てたように茶器を戻し、噴出した茶を袖で拭き始めた。
「私も最初はそう思った。だが、どうにも、本気のようだった」
「おい、星刻!お前、奥方に何か言ったのか!」
「何も言うものか!ここの所は、対ブリタニア戦の戦略か、外交の話しかしてないぞ!」
 星刻の叫びに、香凛は深く溜息をつき、洪は呆れたように首を振った。
「お前、それでは飽きられるぞ」
「………ついこの間、『お前と話していると飽きない』と言われたばかりだがな」
「それは、頭を使って話をしているからだろう?そうじゃない話はしないのか!」
「星刻様、きちんとお話をされた方がいいと思いますが」
「それは、そうなんだがな………私も彼女も中々、時間がとれない。最近は、もっぱら電話だ」
「何だ、じゃあ、子供にも会ってないのか?」
「一月以上は」
「顔を忘れられるぞ」
「私もそう思います。時間を作って、会いに行かれることをおすすめします。今からでも、日程の調整をしましょうか?」
「いや、いい………今日仕事が終わったら、蓬莱島へ出向く」
 どこか、殺気の篭った眼を、星刻がしていたことは、香凛も洪も、見なかったことにした。


 その時の彼の姿を目にした者は、一様に“殺気立っている”と形容したことだろう。それほどに、眉間には皺が寄り、唇は固く引き結ばれていたのだから。
 だが、幸いにも、深夜と言える時刻で、彼とすれ違う者も、見咎める者もいなかった。
 蓬莱島の一角に停泊している“黒の騎士団”所有の戦艦“イカルガ”の中には、夜勤で見回りをしている者以外、ほとんどの人間が寝静まっていた。そんな中を、迷うことなく足を進め、たどり着いたのは、“黒の騎士団”首領の“ゼロ”の部屋だ。
 断りを入れて入室すべきかどうか迷っていると、内側から扉が開いた。
 だが、人影はない。ゆっくりと視線を下へ落とすと、幼児がちょこん、と座っていた。
「ロックをかけ忘れたな」
 少し離れた場所から、コーヒーカップを持ったまま“ゼロ”が近づいてくる。
「久しぶりだな、星刻」
「ああ」
 座ったままのわが子を抱き上げて、室内へ足を踏み入れ、扉を閉めてロックを掛ける。
「お前も飲むか?」
「いや。話をしに来ただけだ。すぐに戻る」
「話?電話ではだめだったのか?」
 星刻の腕の中で、穏やかに寝息を立てはじめた幼児を、室内に用意された子供用ベッドへ寝かせ、布団をかけてやる。ぐずることもなく寝入った姿にほっとして、振り返った。
「香凛に、私と結婚しないのか、と言ったそうだな?」
「ん?ああ、何だ、そんなことか」
「そんなこと、だって?」
 ひどく軽く受け流されて、星刻は眩暈を起こしそうになった。星刻からすれば、夫婦の離婚の危機かもしれないとまで、思っていたのに。いや、そもそも結婚はしていないのだから、離婚とは言えないのかもしれないが、修復不可能な亀裂が、走っていたのではないかと、考えていたのだ。
「君は、私と結婚する気はないのか?」
「ないな。今の所は」
「それで、どうして私と彼女の結婚をすすめるんだ?」
「必要かと思ったからな」
「必要?何故?」
「この子には、母親が必要だろう?」
 穏やかに微笑んで、コーヒーカップを置くと、子供用ベッドに近づく。
「母親は、君だ」
「そうだな。だが、いつ死ぬかわからない」
「っ!?」
「次の戦場でも前線に立つ。恐らく、その次の戦場でも、その次も。蜃気楼が出ることで早く終結するような戦争なら、それに越したことはないからな」
 手を伸ばし、そっと幼児特有の柔らかな髪を撫でる。その姿が慈愛に満ち溢れた母の姿でなくて、何だというのか。
「いつ死ぬかわからない母親より、血は繋がらなくてもこの子の傍にいてくれる母親の方がいい。彼女なら、お前との相性も悪くなさそうだしな。そう思って、言っただけだ」
「君は、それで平気なのか?」
「何がだ?」
 不思議そうに見上げてくる双眸に、星刻は溜息をついた。
いつ死んでも構わないと、そう覚悟をしていたのは、星刻とて同じだ。それが、軍人として生きる者の務めだとも思っていた。だが、こうして自分に繋がる命が生まれてきたことを喜び、死ねないと思うようになれたことを、軍人として死ぬ覚悟を放棄した結果だとは思っていなかった。
 しかし、今、彼女は、死ぬ覚悟を持っている。死ぬことを前提にして話を進めている。そんなことを、星刻が容認できるはずがなかった。
「まだ、総司令は私だな?」
「ん?ああ、まあな。もう少し落ち着くまでは、二足の草鞋を履いてもらうことになるが………どうした、いきなり?」
「明日の午前中の幹部会議、私も出席する」
「は?」
「提案すべき議題が出来た」
 どうせ、言ったところで彼女が前線に出ることを諦めるような性格でないことは、よく知っていた。ならば、蜃気楼が出撃しなければならないような状況を、作らせなければいいだけのこと。そのためには、事情を知る幹部全員に、外堀を埋めてもらわなければならない。
 彼女にも、生きる覚悟をもってほしいと、星刻が願った瞬間だった。








ルルーシュ包囲網が出来上がると思います。
まだこれは子供が小さい頃の話。
ルルーシュがまだちょっと星刻との関係を自覚してない、というか。
夫婦になるまではまだまだ遠い道のりです。





2011/4/3初出