ボートを使って神根島を後にし、蓬莱島へ辿りついた頃には、既に西日が傾き始めていた。元々が“黒の騎士団”から借りたボートだったため、乗っている人間が変わっていることに、貸した張本人のカレンと扇は戸惑っていたが、まずは、医師の診察を頼みたかった。 どういったギアスをかけられたのかは分からないが、星刻がルルーシュを受け止めてからこちら、一度も眼を覚まさないからだ。ついでに、痛みが鈍く響く右肩も見てもらいたかった。 本来はKMFの開発者であるラクシャータが、診ると言い出したのには驚いたが、しかし、星刻の抱えている病の薬を開発し、処方してくれているのも、彼女だ。彼女に診てもらうのが一番いいだろうと、ルルーシュを預けた。 結果、星刻の右肩に皹は入っていなく、完全な骨折で、ギプスで固められてしまった。 「全く、あんたも大概無茶な男だね。まあ、でもそのおかげで、命が二つ守られた」 「二つ?」 「ああ。まだ、三ヶ月にも入ってないけど、二人目だよ」 「え?」 「階段から落ちたのを受け止めたって言ったね?それがなけりゃ、多分、流れてたよ。体中の骨何本折ったって、価値があるさ」 にっ、と笑うラクシャータに、星刻は言われたことを何度も反芻して呑みこみ、ようやくじわじわと、実感が湧いた。 「彼女の方は眠ってるだけだ。その内自然と眼を覚ますだろうから、連れて帰るなら車を出すように言ってやるよ?」 そう言われて、星刻は車を頼み、行き先を自宅ではなく、朱禁城に指定した。 天子様の御座所で、一日保護されていた娘は、母親を心配しながらも、有意義な一日を過ごせたようで、星刻の顔を見るなり、飛びつこうとしたが、その肩がギプスで固められているのを見て、直前で足を止めた。 「母様は?」 「今は、眠ってるよ。疲れたんだろう。寝かせてあげておこう。幸華も疲れただろう?隣室にベッドがあるから、寝なさい」 「明日、おうちにかえる?」 「………少し、改装しようと思っているから帰るのは、先になるだろう。明日にでも許しを貰って、前みたいに此処で暫く暮らさせてもらおうと思っている」 「わかった。じゃあ、おやすみなさい」 「ああ。おやすみ」 眼にはしていなくとも、血の匂いは嗅いでいる。あの部屋をどうにかしなければ、帰れたものではないのだ。それに、もしも二人目が生まれるのならば、やはり部屋数を増やす必要もあるので、改装は必須だ。 隣の部屋へ娘が姿を消して、星刻は椅子を引いてくると、ルルーシュの眠る寝台の脇で腰を下ろした。 この夏の間中、ずっとゼリーやらアイスやらを食べ続けていたのは、実は夏バテではなく、妊娠していたからではないのか?と、疑いたくなる。確かに、今年の夏は暑いが、星刻や幸華は平気なのだから。 「ん………」 首が振られ、ゆっくりと、瞼が両方押し上げられる。その下から覗いた瞳の色が、綺麗な紫水晶のような色味をしていて、星刻は、心底ほっとした。 「星刻?」 「ああ、眼が覚めたか?」 「………私は、何を………何だか、頭が重いんだが………」 「ルルーシュ。テロは無事に全て鎮圧された。君の呼んでくれたラウンズもよく働いてくれたそうだ。これから事後処理が大変だが」 「私は、確か、神根島に………っ!」 「無理をしない方がいい。今は、まだ」 「何があった?お前が今私といると言うことは………ギアスは?C.C.は?」 「説明する。だが、ルルーシュ。その前に」 言いながら、星刻は左手で、強くルルーシュの頬を叩くように包み込んだ。先日、彼女が自分にしてくれたように。 「何故、何も、私に言ってくれなかった?そんなにも、私は頼りなかったか?」 「違う!………いつか、いつかは言わなければと、そう、思ってはいたんだ。だが、言ったら最後、後戻りが出来なくなる。もしかすると、ギアスの暴走はこのままないのではないかと、希望的観測を持っていたんだ」 「けれど、今の君はギアスを宿していない。私の目を見て、普通に話せている」 「それがおかしいんだ。そこを説明してくれ」 「分かっている。話が長くなるから、それは明日にでもゆっくり説明する。今の君にはまず、休養と栄養が必要だ」 「休養と栄養?何言ってる?」 ルルーシュの右手を掴み、まだ何の膨らみもない腹部へと、導いてやる。 「二人目だそうだ、ルルーシュ」 「え?」 「私の希望としては、今度は男児がいいが、君はどちらがいい?」 「は?」 突然の宣告に、ルルーシュは驚いて自分の腹部を見下ろし、撫で、星刻の顔と自分の腹部を、何度も見直した。 夏の暑さの届かない、湿って冷えた牢獄の隅に座る男を見て、星刻は、一度瞼を閉じ、開けた。 「趙」 「………俺への刑罰は決まったか?」 「君は、裁判にかけられる。刑罰が決まるのは、その後だ」 「そうか」 「君を、あんな暴挙へと邁進させたのは、私の存在か?」 「………勘違いするな。俺は、この国の在り方を、変えたいと思っただけだ。その上で、お前は障害になると判断した」 「出発点は、同じだったんだな」 「出発点?」 「私も、この国の在り方を変えたいと考えていた。その上で、やはり障害になると判断した相手が、大宦官だった。その時の話は、君も十分知っていると思うが」 「ああ」 「けれど、私は幸運だった。力を、知恵を与え、支えてくれる者が現れた」 「それが、あの女か?」 「そうだな。気づけば、そうなっていた。彼女がいなければ、恐らく、大宦官を排斥など出来ていないし、天子様が今のように、ご自分で意見を言われることなど、なかったのだろうと思う。それは、悪いことだと思うか?」 「いや………だが、俺は、それでも、ブリタニアを許すことなど、出来はしない」 「そこが、違いか。ブリタニア人全てが、他国を侵略し、統治下に置きたいと考えているわけではない。現皇帝は、まさにそうだ。前皇帝の考えを、真っ向から否定している」 「それでも、だ」 「………君もまた、過去に囚われた者だということなんだな」 「どういう意味だ?」 「いや………また、裁判の場で会おう」 星刻が背を向けると、牢の鉄格子が音を立てた。 「黎。一つだけ、聞かせろ。あの女、あれは何者だ?」 「………きっと、君が、考えている通りのことが答えだ。それ以上、私に答えることは出来ない」 そのまま、星刻は背を向けて、湿った場所を後にする。 牢に残された男は、一人、項垂れるようにして、冷たい床の上に腰を下ろした。 趙の中に、居座っている言葉がある。 『国民を蔑ろにするのであれば、お前達は真に国を思って立ち上がったのではなく、己が欲で立ち上がったということになる』 あんな、ブリタニア人の女に言われて、気づかされるようでは、やはり、自分はただ己の欲に眼が眩んだ、エゴイストでしかない。 民の心を考えているつもりだった。知っているつもりだった。それは、所詮、つもりでしかなかったのだと、趙は、こみ上げて来る自嘲の笑いを、止められなかった。 ![]() 2016/6/11初出 |