*偕老同穴 十三*


 春の麗らかな日差しが注ぐ、まだ幾つかの蕾が花を開き始めたばかりの薔薇の庭の中央で、似ている所のない二人の姉妹が、ティーセットの用意された白いテーブルを囲んでいた。
「体の調子はどうだ?」
「大丈夫ですわ。コーネリアお姉様は心配性ですわね」
「春先に体調を崩したと聞いたからな」
 緩やかなウェーブを描いた柔らかな髪を揺らしながら微笑む妹に、コーネリアは苦笑する。辛い、苦しい、悲しい、寂しい、といった言葉を、一切口にしない気丈な心は尊重するが、数多くいる家族の中で、恐らく一番重荷を背負っているのはこの子だろうと、コーネリアはさりげなく車椅子から視線を外し、紅茶の注がれたカップを持った。
 そこへと、草を踏む音が聞こえた。振り返れば、陽光を弾くような金の髪が眩しい男が一人、近づいてくる。
 車椅子を動かそうとするのを制し、コーネリアは椅子から立ち上がった。
「兄上。どうかしましたか?」
「いや、君達にね、これを渡そうと思って」
 言いながら、手に持った白い封筒をそれぞれへ手渡す。受け取ったそれを開けるように促され、完全には閉じられていない封を開ければ、そこには往復の航空券が入っていた。
「これは、合衆国中華への?あそことの交渉は兄上がしているはずでは?」
「既に和平条約も締結している国だ。最近はテロやデモも落ち着いている。そこで、本格的に貿易や人の行き来を活発化させようという話になってね。皇帝陛下も乗り気なんだ」
「兄上が、ですか?それは、珍しい」
 神聖ブリタニア帝国の現皇帝は、コーネリアら兄弟姉妹の長兄が務めているが、その政策は前皇帝であり兄弟姉妹の父であった男とは正反対の平和路線。その上、腰が重いといおうか、おっとりしているといおうか、兎に角、何事に対しても積極的とは言い難く、政策の実務を取り仕切っているのは、次兄であり宰相を務めるこのシュナイゼルだった。
「それで、君達の眼で見たあの国が知りたいんだよ。私達ではどうしても数字で判断してしまいがちだからね」
「それが、兄上のお仕事かと」
「そうだね。ただ、今回のこれは、公的な仕事ではないんだ。君達が行くことは朱禁城へ話を通してあるけれど、大使館へ泊まって貰ったりはしない。あくまで、民間の様子が知りたい。どの程度、国民の生活が改善しているか、向上しているか、市場は活発なのか、というね」
「では、何処へ泊まれば?」
 本来、皇族ともなれば、大使館なりホテルを丸ごと貸しきるなりして、セキュリティを万全にするのが筋だ。だが、シュナイゼルの言うことを鵜呑みにするのならば、公に動くことを求めていない、ということだ。ならば必然的に、セキュリティの薄い場所へと宿泊することになるだろう。
「そこは大丈夫だ。兄上が騎士を数名貸してくれるそうだし、滞在先は安心できる場所だよ」
「シュナイゼルお兄様」
「何かな、ナナリー?」
「お父様は、ご承知なのですか?」
「流石に、聡いね。ああ。許可は頂いているよ。安心して行っておいで」
 受け取った航空券を胸元で抱きしめるようにして、ナナリーは強く瞼を閉じた。その姿に、コーネリアははっとし、シュナイゼルを見れば、一つ、大きく頷かれた。


 数年前まで、反ブリタニアを掲げたテロやデモが横行していた国とは思えないほど、合衆国中華は落ち着いていた。幼い天子を君主に据えて十年近く経つが、その間に此処まで一つの国が立ち直るとは、正直、コーネリアは思っていなかった。それだけ、天子の周囲には優秀な人材が揃っていた、ということなのだろう。そして、天子本人にも、統治者たる実力があったということだ。公的な訪問ではないとはいえ、挨拶一つなく済ますのは礼に失すると考え、コーネリアは挨拶の席だけは設けて欲しいと、シュナイゼルに頼んだ。その際に数分ではあったが、会話を交わした天子は、確かに国家元首たる風格を、備えつつあるように感じた。
「我が国に、見ていただいて恥じる部分など御座いません。どうぞ、存分に御覧になってください」
 そう微笑んだ天子は、何故か、ナナリーへと視線を移し、安堵したように笑んだ。
「お会いできて良かったです」
 その後、すぐに天子は家臣に連れられて部屋を出て行ってしまったが、コーネリアは、この国に攻め入るのは難儀しそうだ、と感じた。それは、自らがKMFを操り、戦場を駆け抜けたから分かる、直感とでも言うべきものだった。  そして、今、コーネリアはナナリーの座る車椅子を押しながら、首都で一番活気があるという市場を歩いている。
「ナナリー、何か食べてみたい物や欲しい物はあるか?市場調査も兼ねて、何か買おう」
 先程から、鼻孔を刺激する幾つもの香りが空気中を漂っている。ブリタニア本国では、到底接することのない香りだ。
 二人は、皇族であるということがばれないように、平素とは髪型も変え、コーネリアは動きやすいパンツスタイル、ナナリーは動かない足を隠すように長いスカートを履いている。護衛もまた、黒のスーツでは悪目立ちするので、様々な色のスーツを着ている。
「そうですね………この国の、民族衣装が欲しいです」
「ああ。そういえば、天子殿も珍しい衣装を着ていたな」
「はい」
 そういった店を探すように歩いていると、突然、声をかけられた。
「失礼します。殿下方」
 何時の間に近づいてきたのか、男が一人、並ぶように歩いている。
「貴様、何者だ?」
「シュナイゼル宰相閣下より、案内を申し付けられた者です。どうぞ、そのままお歩き下さい」
 男は、二人を導くように歩いていくと、市場の外れに止めてあった車を数台示した。
「護衛の方々も、どうぞそれぞれお乗り下さい。私は、ジェレミア・ゴッドバルドと申します」
 顔を上げた男は、仮面をつけていた。


 案内されたのは、大きな庭のある一軒家だった。庭は緑に溢れ、あちこちで見慣れぬ花が咲いている。石畳の奥に、家屋がある。質素ではないが、豪華でもない、平屋だった。庭の一角には、東屋もある。
 そんな石畳を、ナナリーの車椅子を押しながら歩いていると、大きく緑が揺れて、何かが飛び出してきた。
 驚いた護衛がすぐさま懐へ手を入れるが、それを、案内してきたジェレミアが止める。
「もう!一人で行っちゃだめ!」
 声と共に、もう一つ影が緑の間から飛び出してくる。長い黒髪を二つに括り、先に飛び出した塊へと手を差し出す、少女。視線をその先へとやれば、そこには、一歳か二歳程度の子供が倒れこんでいた。
「私が母様におこられるのにぃ」
「幸華様」
「あー!ジェレミア!母様に用事?」
「はい。お客様をお連れしました」
 細い腕で、幼児を抱きかかえるようにした少女が顔を上げる。その顔に、コーネリアもナナリーも、息を呑んだ。
「だぁれ?父様のお客様?母様のお客様?」
「ご家族全員に、です」
「私たちに?ふぅん?」
 首を傾げる少女の腕の中で、幼児が手足をばたつかせている。
 そこへ、慌てたような足音が近づいてきた。
「幸華!お前、また連れ出して!」
「だぁって!お外行きたいって言うんだもん」
「だってじゃない。一声かけていけ」
「はぁい」
 怒られて肩を落とした少女と瓜二つの姿を見て、ナナリーが声を震わせた。
「お久しぶりです、お姉様」















2017/12/24初出