護衛が、気配を押し殺しつつ、東屋の周囲に二人、更に離れた庭の中にも二人、恐らくは、建物の外にも二人ほど配置しているのだろう。他は、仮眠でも取っているのかもしれない。現役を退いた自分に気配を感じ取れるのだから、わざとか、或いは未熟なだけか、と星刻は内心でブリタニア軍の個人的技量を推し量りつつ、それをおくびにも出さずに、茶器を二つ置いた。 「どうぞ。中華式のお茶です。日本とはまた違う味かと」 湯気を立てるそれを不思議そうに眺める二人へ、星刻は軽く肩を竦めた。 「ご安心下さい。毒など入っていません。ルルーシュもさっき飲んでいたでしょう?」 言いながら、自分用に注いだ一杯に口をつける。 「いただきます」 そう言いながら、ナナリーが茶器に口をつけた。 「香りが、いいですわ」 「本当だ」 ナナリーに倣って口をつけたコーネリアが目を見張る。 「この国のお茶は、まず香りを楽しむものですから」 「貴公は、随分とそういったことに手馴れているな?」 「私は元々、下級役人の家に生まれまして、武官をしていました。何事も自分でこなすのが身についていましたから、苦にはならないのです」 空になった茶器へと二杯目を注ぎ、星刻はナナリーへ視線を向けた。 「知りたいことが、多々あるのでは?」 「ええ。この国へ来るまでは、そうでした。お姉様にお会いしたら、聞きたいことが沢山あって、何から聞いたらいいかしらと、ずっと考えていたんです。でも」 ナナリーが、明かりの乏しい夜の庭へ視線を向け、幾つかの明かりが灯った平屋の家屋へ視線を向け、星刻へと顔を戻した。 「黎様を見て、安心しました」 「安心、ですか?」 「はい。お姉様は、ずっと、私の良き姉であろう、家族であろうと、無意識に思っていたのではないかと思うのです」 「ナナリー………」 「仮面を被る、と言うとおかしいかもしれませんが、私の前で、本音をお話にはなってくれませんでした。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、私には分けて頂きたかったのに、いつも、笑ってくれるんです。大丈夫だよ、って。けれど、黎様といるお姉様は、今まで見たことのないお姉様でした」 それは、ナナリーが見る眼を失う前、皇宮で暮らしていた頃のような、裏表のない表情に見えた。いや、権力争いに曝されることもあったあの場所にいた頃以上に、朗らかに。 「だから、お姉様には、この場所がきっと、とても心地いいのだと思います。それをこの眼で見ることが出来て、嬉しいです」 微笑んだナナリーの横で、コーネリアが二杯目のお茶を飲み干し、星刻を睨みつける。 「思い出したぞ。貴様かつて“黒の騎士団”の総司令をしていた男だな?」 「また、古い話を」 流石は、自ら戦場を駆け回る姫君だ、と、コーネリアの向けてくる敵意を星刻は受け流した。 「その職はとうに辞めました。今は、ただの役人です」 「………シュナイゼル兄上が黙っているのだから、そういうことにしておこう」 ナナリーが手を伸ばして、クッキーを口へ入れる。その間に三杯目の茶を注ぎ、星刻は二人を見て苦笑した。 「もっと、問い詰められたりするのかと思っていましたが」 「問い詰める、とは?」 ナナリーが首を傾げる。だが、コーネリアの視線は鋭いままだった。 「ナナリー殿下から見れば、私はたった一人のご家族を奪ったことになるわけですから」 「まあ。私は、お姉様がお幸せなら、それでいいのです。ずっと、お姉様には苦労ばかりかけてしまいましたから。これから沢山、幸せになって頂かなければ」 「そう言っていただけると、助かります」 「でも、一つ不思議なんですけれど」 「何でしょう?」 「お姉様とは、何処で知り合ったのですか?」 「日本です。当時はまだ、エリア11と呼ばれていました」 「………ちょっと待て。貴様、その計算だとおかしくないか?」 「計算、とは?」 「どう見ても、幸華という娘の方は小学校へ上がっているだろう?とすると、ルルーシュはいつ子供を産んだ?」 「あら。そうですわね」 「………そこは、大目に見ていただきたいのですが」 「まさか、学生時代に手を出したのか?」 「そうなのですか?」 「いや、その………………不可抗力と言いますか」 「はっきり言え!」 茶器が飛び上がりそうなほど、コーネリアが強く机を叩く。これは流石に駄目か、と星刻が諦めの溜息をつくと、咳払いがした。 「コーネリア、そいつを苛めないでくれ」 風呂に入る、と言っていたのに、先程と同じ格好のままのルルーシュが、東屋の入口で仁王立ちをしていた。 「ルルーシュ、お前が旦那を庇いたい気持ちは分かるが」 「庇う、じゃない。先に手を出したのは私だからな」 「は?」 「お姉様!?」 「ルルーシュ!それはそれで誤解を生むぞ!」 立ち上がった星刻が慌ててルルーシュの口を塞ごうと手を伸ばすと、弾かれた。 「事実だろうが」 「いや、あれはやはり不可抗力だろう!」 「不可抗力?私はな、私の選択をそんな言葉で片付けるつもりはないぞ」 「その潔さは君らしいが、この場合は逆効果のような気がするぞ!」 「何だ?お前は私を選んだのは不可抗力だとでも言うつもりか?」 「そうは言ってない。むしろ私自身の意志で君を選んだし、その選択に後悔など一片もないが」 「コーネリアお姉様」 「何だ、ナナリー」 二人の視線が、ルルーシュと星刻を行き来して、少し細められた。 「何だか、とっても惚気られているような気がするんですけれど」 「私も同感だ。おい。未婚者二人の前で夫婦漫才はやめろ」 「未婚者?ナナリーが結婚していないのは勿論だが、コーネリア、お前、まだなのか?」 「余計な世話だ!」 「何だ、とっくにあの騎士と結婚したのかと思っていたぞ」 「はっ、ばっ、お前、何を言って」 「そうなんですよね。コーネリアお姉様も早くお決めになればよろしいのに」 「ナナリーまで!」 「ナナリー。お前が結婚する時は、真っ先に私に報告してくれ」 「勿論ですわ、お姉様」 車椅子のナナリーの視線に合わせて膝を突いたルルーシュが、細い手を掴む。 「強くて、優しくて、心の広い、何があってもお前を守ってくれるような、そんな相手を探すんだぞ」 「はい」 「政略結婚だけはするな。もしもそんなことになったら、どんな手を使ってでも阻止してやるから、言って来るんだぞ」 「まあ、お姉様ったら。心配しすぎですよ」 今にも眼を潤ませそうなルルーシュを見た星刻は、ロロへの溺愛ぶりも相当だったが、やはり実妹への溺愛はそれを超えるのか、と呆れながら、茶器を片付け始めた。 とうに、周囲にあった護衛達の、敵意の混じった気配は消えていた。 そして、とっぷりと夜も更け、寝入る前のルルーシュが「政略結婚になぞなったら相手をどんな手を使ってでも抹殺してやる」と低く呟くのを、星刻は聞かされる羽目になった。 ![]() 2017/12/25初出 |