車を降り、門を開けて中へ入ると、其処には眼にも鮮やかな夏の緑が、夕映えに染まっていた。 「ほぉ。見事な庭だな。庭師を入れているのか?」 「いいや。妻の趣味だ」 「趣味?趣味でこれか?プロ並だぞ!」 綺麗に敷かれた石の道沿いに、所々花が咲いている庭は、主張しすぎず、かといって簡素すぎず、丁度いい塩梅だった。 「奥方は何者だ?」 「何事にも凝り性と言うか、手を抜かない性分なんだ」 「はー。まあ、お前の選んだ奥方だ。さぞかし美人なんだろ?」 「まあ、世間一般で言う所の美人だろうとは思うが、どうだろうな。私の欲目もあるだろうし」 「一体全体、そんな美人とどうやって出会ったんだ?この野郎」 茶化すように、趙は肘で星刻の腕を突く。 「………あまり、人には言えない出会い方だな。まだあの頃彼女は学生だったし」 「学生?お前、ロリコンだったか!」 「違う。まあ、少し年は離れているが、年齢差をあまり感じたことはないな」 「お前と話の合う異性と言うと、俺の知る限り香凜位だったが、探せばいるんだなぁ」 「どういう意味だ」 「お前、若い頃は、口を開けば軍の話や政治の話ばかりしていただろう?固すぎる、と評判だったんだぞ」 「余計な世話だ」 庭を抜け、建物に入ると、夕食の準備でもしているのか、いい香りが趙の鼻孔を刺激した。 「ただいま」 廊下を抜けた先、居間と思しき部屋へ足を踏み入れた星刻を、包丁を持った人物が振り返る。 「ああ。お帰り………おい、星刻」 振り返り、星刻の後に立っていた趙を見るなり、持っていた包丁の切っ先を、星刻へ向けた。 「何だ?」 「客人が来るなら来ると、連絡をして来い。夕食を作る分量が変わる」 「ああ、すまない。兵学校に通っていた頃の友人で、趙だ。妻のルルーシュだ」 星刻の紹介に、趙が頭を下げて挨拶をすれば、包丁を置き、火を止めた人物が近寄ってきて、手を差し出した。 「おい、黎」 「何だ?」 「こういう女性はな、世間一般で言うところの美人ではなく、絶世の美女と言うべきだ」 差し出された細い手を軽く握り返して、趙は横に立つ友人へ、恨み節のような言葉を向ける。 片方の瞳が黒い眼帯で隠されていても分かる整った顔立ちに、若い頃は俺の方がもてていたはずなのに、と趙は心の中で、肩を落とした。 食卓に並べられた何枚かの大皿からは、白い湯気と共に、食欲をそそる香辛料の匂いが立ち上がっていく。 「遠慮せずに食べてくれ」 銀の箸を手に取り、趙は眼の前に置かれた大皿の一枚から肉と野菜の炒め物を取り、口へ運んだ。 「美味い!おい、黎!お前、本当にこんなに美人で料理上手な奥方、何処で見つけてきたんだ?」 「日本へ行った時にな」 口へ入れた炒め物を咀嚼しながら記憶を掘り起こせば、何年も前に、日本へ行くことになったという話を聞いたな、と納得する。 「ああ。そういえば、お前は大宦官についていたのだったな」 「そんな話より、私はこいつの学生時代の話が聞きたい」 横合いから、お茶を卓上へ置いたルルーシュが、声をかける。 「いや、ルルーシュ、それは………」 「お前は私の学生時代を知っているのに、私はお前の昔の話を何も知らないんだぞ。不公平だろう?」 「はっはっはっ!これは奥方の勝ちだな」 スープの入った碗を手に取り、一口啜って口を湿らせてから、趙は口を開いた。 「兎に角、黎は成績が優秀だった。特に剣の腕は随一で、兵学校始まって以来の成績優秀者だった」 「へぇ。さすがというべきか?」 「その上、体術でも成績は常にトップで、俺がこいつに勝てたのは、風邪で調子を崩していた一回だった」 「体調管理も軍人の務めだ。それを私は怠ったのだから、あれは君の勝利だ」 「と、まあ、こういう風にお堅いせいで、学生時代、それはもう、女性にもてなかった」 「おい、趙!」 「口を開けば、やれ軍列の構成だの、政治に対する理想論だの、軍略だの、そんなものばかりだから、当然、女性のいる場では空気が凍る」 「それは、今もだな」 「ルルーシュ!」 「だが、だからこそお前には今の地位がついてきた。そう考えろ」 「………あ、ああ。ありがとう?」 「そこで疑問符をつけるな、馬鹿者」 二人のやり取りを聞き、趙は首を傾げる。 「奥方は、何者だ?」 「そうだな。明確な地位や身分はこれと言ってないが、強いて何か肩書きをつけるとするなら、この国の言葉で軍師とでも言おうか?」 「軍師?」 「今はその仕事よりも、孤児の支援などの方が主だが」 「戦災孤児か?」 「とも限らないが、後始末まできちんとしなければならないだろう?争いごとに少なからず関わったのならば」 言いながら、ルルーシュはスプーンでゼリーを掬い、口に運ぶ。 「ちょっと待て。ルルーシュ、まさかそれが君の夕食か?」 「そうだ。言っただろ?夏バテで食べられないんだ。今受けつけるのは、ゼリーかアイスだけだ。他は食べられない」 「せめてサラダ位は食べないか?そんなでは夏の間に体を壊すぞ」 「却下だ」 「あの子が真似をするだろう?」 「させないようにしている。それに、今日はどうせ幼稚園でお泊り会だ」 言われて、星刻が壁にかけられたカレンダーに眼をやれば、確かに、今日の日付に大きな花丸が赤く書かれている。 「そうか。今日だったか」 「明日の午前中に戻ってくるぞ」 話をしている間に、そう大きくもないゼリーは、瞬く間に皿の上から消える。 「んん?もしかして、子供もいるのか?」 「ああ。ん?言わなかったか?」 「聞いていないぞ。男の子か?女の子か?」 「女の子だ。彼女によく似ている。そういえば、君はどうなんだ?結婚は?」 「どうにも、縁がなくてなぁ。仕事に邁進してきたら、いつの間にか周囲に妙齢の女性がいなくなっていた」 肩を竦めて苦笑する趙に、星刻も苦笑で返す。 「君は、早く結婚しそうだったが」 「全くだ。俺は、てっきりお前も独り身だろうと思っていたんだがなぁ」 悔しそうに、寂しそうに言いながら、それでも趙は、眼の前に並べられた馳走を、心行くまで堪能した。 宿は取っている、と言った趙を見送った星刻が家の中へ戻ると、台所の片づけを終えたらしいルルーシュが、厳しい顔つきで、パソコンの画面を睨みつけていた。 「何かあったか?」 「………座れ。お前には、少し、耳の痛い話になるはずだ。いや、心に痛い、と言うべきかな」 隻眼の鋭い視線に、星刻は一つ息を呑んで椅子に腰を下ろした。 2016/1/9初出 |