*偕老同穴 参*


 昼間の暑さの残滓が、汗となって肌に纏わりつく、ねっとりとした夜の空気の中で、星刻は久しぶりに手にした剣を、鋭い音を立てて鞘から引き抜いた。
 ルルーシュが手を入れている庭の花木を傷つけないように、周囲への意識を怠ることなく、右へ、左へと、流れるように剣先を捌いていく。
 一体、どれだけの長い時間、剣に触れていなかっただろう。何年も手放していたわけでもないのに、今夜振るう剣は、いつも以上に重かった。
 覚悟は、していたはずだった。あの日、あの時、彼女の手を取り、今己のいる場所へと辿り着く道を歩み始めたあの時に。だが、かつて志を共にしていた者が、己が生まれた国を想い、良くしていこうと夢を語り合った友が、袂を分かつかもしれないと聞かされて、微塵も動揺せずにはいられなかった。
 それでも、それを事前に、嘘偽りなく話してくれたのは、彼女の優しさであり、厳しさなのだろう。
 己が本当に守りたいものが何なのか、それを見失うな、と。
 土地は、ただそこにあるだけだ。種がなければ、草も花も育ちはしない。人が手を加えることで、初めて、草も花も育ち方や形を変え、土地も形を変えていく。長い、長い時をかけて、人はそうして国を作り、大きく育ててきた。
 今、まだこの国は立ち上がったばかりだ。一度崩れてしまった土台を作り直し、新しい花を咲かせようと、必死に水をやり、肥料に手を加えながら、いかに良い方へ向かえるかを、試行錯誤している。
 そんな、育つ途中の花を、まだ花弁すら開かぬ内に、茎から断ち切られては堪らない。
 その想いが、星刻一人のエゴではないと言い切ることは出来ないが、しかし、咲こうとしている花を、暴力的に踏み荒らす行いは、エゴだろう。
 お前は咲くな、花開くなと、切られ、踏まれては、育つかもしれなかった可能性をすら断ち切ってしまう。
 人は、花ではない。刃でもない。ならば、言葉で、想いで、語り合う場を持てないものか。それとも、とうに、その段階を超えてしまったとでも言うのか………
「その辺にしておけ」
「………ルルーシュ」
 額から頬へ滑り落ちた汗が、顎から石畳へと落ちる。
 鞘へと戻そうとした剣を握る右手を、細い手が包む。
「お前が悪いんじゃない」
「だが………」
「誰が悪いわけでもない。けれど、人の想いと言うのは様々な色と形がある。想いが正しく伝わらないこともある。言葉を尽くしても通じないこともある。そうした時に、摩擦が起き、摩擦が火花を散らせることもある」
「それを、ただ黙って見ていることなど出来はしない」
「知っていても、止められないこともある。分かっていても、何も出来ないこともある」
「私に、出来ることは何もないのか?」
「方法を考えることは出来る。考えろ、星刻。武力に、暴力に頼らず、言葉で、想いで、この国を導こうとしている天子の考えを、お前が一番理解しているだろう?その天子の考えを、形や方法へと昇華するのが、お前の役目じゃないのか?」
 剣を握る手を包み込んでいた両手が離れ、途端、星刻の両の頬を力強く、叩くように包んだ。
「しっかりしろ!お前はもう、剣じゃない。鞘なんだぞ」
 驚いて眼を見開いた星刻の双眸を、ルルーシュの隻眼が見上げてくる。
「………ああ。そうだな………まずは、自分に出来ることから、か」
「そうだ。騎士団へは私が連絡しておく。お前はお前の役目を果たせ」
 剣を鞘へと仕舞い、空いた右手で、右頬に触れているルルーシュの手を取り、その掌へ唇を寄せる。
「君には、敵わないな」
「当たり前だ。私が誰だったのか、もう忘れたか?」
「そうだな。でも………もう少しだけ、このままでいいか?」
「は?おい!手を離せ!」
「少しだけだ」
 瞼を閉じてしまった星刻に、ルルーシュは小さく溜息をついて肩を落とすと、空いている左手で、その広い肩を撫でた。


 撃鉄を起こす音が、幾つか響く。次いで、弾倉へ弾を籠める軽快な音。薄暗がりの闇の中で声すら上げられずに、淡々と行われていくそれらの作業は、音だけが、その場の空気を夏だと言うのに、酷く冷たく張り詰めさせていた。
 そこへ一筋の光が差し込んだかと思うと、カンテラのような小さな明かりが持ち込まれた。
「諸君、準備はいいか」
 命令し慣れた低い声が反響し、手元の明かりをその場にいるそれぞれの顔を照らすように動かすと、それを床へと置いた。
「決起は明朝、○九○○、各自、己が部隊を率い、各個目的地を制圧、その後、人質を取り、朱禁城へ我等の要求を通告する。決して他国の、ブリタニアの者共に、この国を蹂躙させてはならない」
 声を上げずに、その場にいた者達はそれぞれが力強く、頷いた。そして、明かりを持った人物が出て行くと、一人、また一人と、男の出て行った扉から、外へと飛び出して行った。


 太陽が昇り、時刻は既に朝の六時を回っている。昨夜、剣を振るってから一睡もせずにあちらこちらへ電話をかけ続け、流石に疲れた星刻は、天井を振り仰いだ。
「首尾はどうだ?」
 頬へと、冷たい湯飲みが当てられる。受け取って飲み干せば、よく冷やされた茶が、乾いた喉に染み渡った。
「思いつく限りの主要な省庁への連絡は済ませた。勿論、その先へも連絡を。可能性を考慮して、各国の大使館への通告も。だが、ソースを明かすことの出来ない情報を、一体何処まで信用して動いてくれるものか………」
「開示してもいいんだがな。ただ、入手経路を問われると色々と厄介だ」
 肩を竦めたルルーシュに苦笑して、湯飲みを返して体を起こす。
「騎士団の方は?」
「何かがあれば動けるように、準備はしておくそうだ。本来であれば、超合衆国の持つ唯一の軍事力として、各国からの正式な要請がなければ動かすことは出来ないが、最悪の事態を考慮して、KMFの整備もしておくと」
「流血沙汰だけは避けたい」
「それは私も同意見だ。話し合いで解決できるのが一番いい」
「だが、恐らく………」
「ああ。無理、なのだろうな。銃火器を軍の倉庫から盗むんだ。本気なんだろう」
 同時に溜息をついて顔を見合わせ、結局又苦笑する。
「少し寝ておけ。いざという時に動けなくなるぞ」
「いや………到底、眠れそうにない」
「なら、何か軽く作ろう。少しでも腹に入れておけば、体は動く。夜食も何も食べずに、今まで電話のかけ通しだっただろう?」
「助かる。正直、少し腹が減っていた」
「だと思った。少し早いが、朝食にしよう」
「あの子は何時に戻るんだ?」
「確か、八時半頃だな。朝の体操をして朝食を食べた後にお泊り会は終了だそうだ。バスで送られてくるぞ」
「バス、か………公共機関関連にも連絡を入れておく必要があるか」
「気が済むまで電話しろ。食事が出来たら呼びに来る」
 言いながら、既に手が電話に伸びているのを見て手を振り、ルルーシュは台所へと足を向けた。















2016/1/23初出