分かっていた。戻れない道へと、足を踏み込んでしまったのだろう、と。それでも、心のどこかで、こんな風に対峙する日が来なければいいと、そう、思っていた。 まさか、こんなにも早くその日が来ようとは、思ってもいなかったけれど……… 「残念だよ、黎」 星刻から剣を奪い、両腕を後ろ手に縛り上げ、両足首を縛り上げ、見下ろしてくる趙へと、星刻も視線を向けた。 「私もだ、趙」 星刻の横では、同じようにルルーシュと娘の幸華も、両腕と両足を縛られている。 「何か要求があるなら、私が聞く。妻と娘は解放してやってくれ」 「それは出来ない相談だ」 周囲では、何人もの人物が銃を持ったまま、部屋の入口や庭、屋敷の各門扉の辺りで待機している。この状態では、強行突破しようなどという考えは、星刻にはない。 「何故だ?要求があるから、此処へきたのだろう?」 「………堕落したな、黎」 「どういう意味だ?」 「あの頃、俺達は皆で理想を語り合った。この国をよくしたい、いつかは天子様の手で真の政が行われるようにと、大宦官を排斥したいと、そして、ブリタニアの脅威に民達が怯えることのないように、と」 「ああ」 「そのお前が!何故!ブリタニア人と一緒にいるんだ?こいつらは、憎むべき敵だぞ!」 趙の握るナイフの切っ先が、ルルーシュへと向けられる。 「あの国が、ブリタニア人が、今までどんな非道を行ってきたか、知らないとは言わせないぞ!この国だって、辺境の小さな町や村は焼かれ、無辜の民が殺された。その中には、俺の故郷もあった」 「趙………」 「焼け野原になった、KMFに蹂躙された土地を見て、俺は誓った。奴らを、この国から全員、追い出さなければならない、と。だのに!国の中枢にいる、政に関わっているお前自らが、排斥しなければならない人間を側に置いているとはどういうことだ!」 興奮した趙の口調と声に、部下も驚いたのか、顔をこちらへ向けている。 「そういった、癒すことの出来ない憎しみや悲しみがあることは、重々承知している。だが、それでも、我々は踏み荒らされた過去に縋り、温め、大きくしていくのではなく、これからを生きる者達に対して、憎しみや悲しみを少しでも減らすように努力しなければならない。そのことで、君達の気持ちを、心を蹂躙したと言うのならば、心から謝罪させてもらう」 「謝罪など求めてはいない。我々の要求は、合衆国中華固有の軍隊の復活と、超合衆国からの脱退だ」 「何だと?」 「我々は“黒の騎士団”に吸収される気はない。だからこそ、独自の軍事力として活動していくことを望んでいる」 その時、小さな溜息が零れた。それは、怯えた娘を自分の体に寄りかからせていた、ルルーシュが発した物だった。 「ビジョンを聞かせてみろ」 「何?」 「合衆国中華固有の軍隊を復活させ、超合衆国からの脱退を仮に実現できたとして、その後のビジョンだ。貴様らは、この国を如何したい?」 「ブリタニア人が聞く価値などない」 「ほぉう?聞かせるのが怖いか?こんな、抵抗できない女一人に、己の理想を語るのが怖いのか?」 「貴様、ふざけた口を!」 言いざま、趙は手にしていたナイフの柄の部分で、ルルーシュの頭を殴った。 「ルルーシュ!」 星刻の叫び声に、娘の喉の引き攣る音が重なる。それに小さく大丈夫だ、と返し、顔を上げる。 「っ………乱暴だな。人質は、無傷であればあるほど価値があるはずだがな?」 そこへ、部下が一人小走りに趙の下へと駆け寄り、何事かを囁く。すると、趙の顔色が明らかに変わった。それを見て取り、ルルーシュはゆっくりと口角を上げた。 「ブリタニア大使館の制圧に、失敗でもしたか?」 「………貴様、何を知っている?」 怒りの篭った趙の視線を受け流し、小さく笑う。 「別に、大したことは知らないさ。ただ、今私が知っているのは、今日のブリタニア大使館には、獣が二匹いることくらいか」 「獣、だと?」 「二匹?」 趙の言葉と、星刻の言葉が重なり、ルルーシュに視線が集中した。 「あの二匹が手加減を知っていることを祈るんだな。そうでなければ、突入した部隊は全滅だろう」 その時、趙の胸元で通信機が震えた。それは、各目的地へと派遣した部隊長に持たせた物と同じ物で、各部隊長のみが持ちえるものだった。そして、定刻に報告を入れるようにと、言い伝えてあった。時計を見れば、すでにその定刻になっている。 星刻やルルーシュ達へ背を向け、通信機を取り出す。 だが、そこから流れてきたのは、趙の期待した戦果ではなかった。 『こちら、部隊α。外務省の制圧に失敗し、戦線を後退しました』 『こちら、部隊Δ。陸軍への突入は内通者が捕縛されたため、到底敵いません!』 その後も、次から次に、戦線後退、離脱、壊滅の報が流れてくる。そんな中、唐突に明るい声が届いた。 『ハロー。この通信機は誰に届いているのかな?』 「………何者だ?」 『んー。難しい質問だなぁ。観光客のつもりなんだけど、今は仕事させられてるから、観光客じゃないかなぁ』 「名を名乗れ!」 『神聖ブリタニア帝国、ナイトオブスリー、ジノ・ヴァインベルグだ。そっしてー!』 『ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイム。ジノ、声大きい』 『いいだろー。名を名乗れ、って言うんだからさ』 『これで、最後の一人』 可愛らしいと言える少女の声に混じり、銃の音が響く。呻き声のようなものが聞こえたかと思うと、通信機の向こうには、一瞬静けさが漂った。 『ってーわけで。この通信機の相手さんは何処にいるのかな?首謀者とっ捕まえれば終わりだろ?』 『観光できる。肉まん』 その声を最後に、趙は乱暴に通信機を切った。そして、その通信機を胸元へしまうと振り返り、数歩離れていた距離を一足飛びに縮めると、ルルーシュの胸倉を掴んで無理矢理立たせ、引き抜いたナイフをルルーシュの頬へと当てた。 「二匹の獣とは、ブリタニアの騎士共のことか!」 「当たりだ。ただ、私は観光に来ればいい、と誘っただけだ。高校時代の後輩に」 胸倉を掴まれ、ナイフを向けられていると言うのに怯えもせず、淡々と答える女に、趙は、少なからず脅威を覚えた。 これは、ただの女ではない、と。 「趙!彼女を放せ!」 星刻の声に、趙は苛立ち、ルルーシュの体を壁へと叩きつけるように突き飛ばした。細い体は強かに肩を打ちつけてふらつくと、そのままずるずると壁を頼りに、座り込んだ。 「かあさま!」 悲鳴のような娘の声に微笑んでやり、大丈夫だと頷く。 壁にかかった時計を見れば、すでに彼らが此処へ突入してきてから、一時間以上が経過していた。 もしも、星刻がかけていた電話の先の相手が情報を信用していれば、趙達の目論見はことごとく潰えるはずだ。ただ、その目論見の中に黎家の屋敷が入っていることに、外部の人間が気づくのがいつになるか、それだけはルルーシュにも分からなかった。 ![]() 2016/3/5初出 |