*偕老同穴 七*


 内側から開いた扉に、屋敷を取り囲んでいた全員の間に緊張が走った。しかし、出てきたのは、小さな女の子を抱えた男だった。その姿を見て、屋敷を囲んでいた部隊の間から一人、女が飛び出した。
「星刻様!」
「香凜か………すまないが、この子を、安全な場所へ」
 両目をぎゅっと閉じたままの娘を、星刻は香凜へと渡し、小さな頭を撫でる。
「もう、眼を開けていい。外へ出た。母様に外へ出たら眼を開けていいと、言われただろう?」
 そろそろと、娘が瞼を押し上げて、周囲を見回す。そこには、沢山の人がいた。
「星刻様、奥方は?」
「彼女も無事だ。だが………まずは、この子を安全な場所へ」
 星刻の顔色の悪さに、何かがあったのだと察した香凜は、緊急時の為にと呼んで置いた救急車へと幸華を連れて行った。
「香凜」
 縋るように袖を掴んでくる幼子の頭を、優しく撫でてやる。
「大丈夫ですよ。この子に、怪我がないか見てやって欲しい」
「了解しました」
 救急隊員に幸華を預け、香凜が星刻の元へ戻ると、上司は疲れたように自宅の門扉に背中を預けていた。
「一体、何が?」
「部隊の突入は、不要だ。ただ、遺体を処理する為に、人手がいる」
「まさか、星刻様お一人で?」
「………いいや。私は、何もしていない」
 それ以上口を開こうとしない星刻に、香凜はひとまず、部隊の隊長に突入が不要な事、ただし遺体の処理に人手が必要なことを伝えて、周囲への警戒だけは怠らないようにする旨を確認した。
 そこへ、部隊を掻き分けるようにして、長身の男が駆けつけてくる。
「黎殿!」
 その声に顔を上げれば、焦ったような顔の男が近づいてくる。だが、星刻はその男を見て、逆に安堵した。
「ご無事か?」
「私は大丈夫だ。だが………」
「まさか、ルルーシュ様に何か?」
「………ギアスが、暴走した、と」
 星刻のその言葉に、ジェレミア・ゴッドバルトは、言葉を失った。


 ジェレミアと香凜、そして数名の警察官が足を踏み入れたそこは、まさに地獄絵図、と言うに相応しい、血の海だった。何人もの武装した男女が、血を流して死んでいる。ある者はナイフで首を掻き切り、ある者は己の米神を銃で打ち抜き、ある者らは互いに銃口を向け合ったのだろう。そんな中で、生きていたのはたった三人。しかし、両手足を縛られた上に猿轡を噛まされて、何も出来ない状態で床に転がされていた。その三人の内、一人の顔に、香凜は覚えがあり、眉根を寄せた。
「趙殿………まさか、貴方が首謀者か?」
 問いかけても、猿轡を噛まされていては、答えるべくもない。
 唇を噛み締め、香凜はまず、生きている彼らを連行するように、一緒に入ってきた警察官らに言い、その後遺体を収容するように伝達した。
 警察官らに銃口を向けられて歩かされていく趙と擦れ違い様、香凜は目を伏せ、残念です、と一言、言葉をかけたが、視線すら向けられなかった。
 そして、血まみれの床の部屋、汚れていない一番奥の壁に置いた一つの椅子に、ルルーシュが座って、両目を閉じていた。
 その眼前へと、臆することなくジェレミアが駆け寄り、膝を床へとつく。
「ルルーシュ様………お眼を」
 返り血を浴びたのだろう、汚れた右手を、包むように掴む。
「いい。開けられない。開けたくはない」
「私ならば、大丈夫です」
「声がした。香凜や、他の誰かもいるのだろう?開けるわけにはいかない。星刻はどうした?」
「星刻様でしたら、今は娘さんとご一緒に」
 香凜の声に、ルルーシュは確かに、母親の顔で、優しく微笑んだ。
「そうか。なら、安心だ。ジェレミア」
「はい」
「C.C.と連絡は取れるか?」
「………まさか………おやめ下さい。貴女様が引き継ぐ必要はないはずです」
「契約だ。それが、魔女との」
 言いながら立ち上がり、ルルーシュは顔を前に向けた。
「悪いな、ジェレミア。眼を開けられないから、このまま私を自室へ連れて行ってくれないか?服を、着替えたい。香凜、星刻と幸華にも、服を持っていってやってくれないか?部屋へ入って構わないから」
 ルルーシュの着ている服には、裾から袖、胸元まで、満遍なく血が飛び散っていた。先程会った星刻と幸華の衣服には、血などついていなかった。ルルーシュが、きっと前へ出ていたのだろうと、香凜は頭が下がる想いがし、また同時に、武装した勢力を無慈悲に殺せてしまえる彼女の冷徹さが、かつて彼女が“ゼロ”であったことを、改めて思い出させた。


 シャワーを浴びて血を落とし、着替えたルルーシュは、多少の金銭を入れた財布と、この家の鍵、そして、星刻から送られた結婚指輪と婚約指輪を、チェーンに通した物を首から下げた。
 既に、西日が窓から差し込んでいる。先程から遠くで声がしているのは、命を落とした者達を、外へ運び出しているのだろう。
 ルルーシュが、奪った命だ。
 長い、長い、一日だった。
「もう、十分だ。幸せすぎたな、俺は」
 誰かを愛し、愛されて、子供まで授かり、家族として生きられた。母を殺され、妹を奪われ、そして数多くの命を奪い続けた自分には、過ぎた幸せだった。
「契約を、果たすぞ、C.C.」
「そうか。それは、有難い」
 振り返ると、どうやって警察の警戒を潜り抜けて屋敷の中へと入ってきたのか、部屋の入口に、緑色の髪を靡かせ、相変わらず黄色いぬいぐるみを抱えたC.C.が立っている。
「お早いお着きだ」
「ギアスの暴走を感じたからな。とうとう、この日が来たな」
「ああ」
「ようやく、私も役目を終えられるというわけだ」
「………此処での継承は、止めてくれ」
「安心しろ。お誂え向きの舞台がある」
「舞台?」
「神根島だ。行くぞ。お前の旦那が追ってくる前に」
「ああ………」
 いつか、こうなることは承知していた。だから、後悔は、していない。していないけれど、寂しくは、あった。
 ………すまない、星刻。


 黄金色の光が充満する空間で、階段に座った子供が一人、足をぶらぶらさせている。その背後に、男が姿を現した。
「やあ、シャルル。とうとう、この日が来てしまったよ。君は、どうするの?」
「………兄さん」
「うん。分かっているよ。あの女の好きにはさせないさ」
 V.V.の両目に、強い光が灯った。


 折角観光で来ていたのに仕事をさせられたジノは、一緒にいたはずのアーニャの姿がいつの間にか見当たらず、大使館の中をうろついていた。
 この状況で、流石に一人で観光に行ったりはしないだろうと、擦れ違う者達に尋ねてみるが、芳しい答えはない。
「何処行ったんだよ、アーニャ?」
 ジノの声は、空しく霧散した。















2016/4/2初出