急く心とは裏腹に、前を歩くC.C.の足取りは緩やかだった。 「マリアンヌは、私のギアス契約者だ。マオの前の、な」 「先程の男か?」 「ああ。ルルーシュの前の契約者で、他者の心を読むギアスを得ている。私が殺した」 「………彼女の母親のギアスは何だ?」 「マリアンヌは、私とギアスの契約を交わしたにも関わらず、能力が発現しなかった。だが、死の間際、初めてギアスが発現した。他者へと、己の精神を乗り移らせたんだ」 「それで、何故今ルルーシュの中に?」 「さっき、ジェレミアに連れて行かせたアーニャの中に、マリアンヌはずっといた」 「何?」 「時折、表へ出てきてはいたんだ。アーニャは、自分の記憶の断絶に不審を抱いていたからな。ギアスを使われると、その前後の記憶が曖昧になる。そんなアーニャの中から、マリアンヌはルルーシュの中へ移った」 「自分の体ではなくとも、ギアスが使えるのか?」 「ギアスは、万能ではない。けれど、どんな発現をするかは、発現しないと分からない。マリアンヌの場合、死の間際に発現し、その後二度と使われなかった。だから、まさかルルーシュの中へもう一度移るとは、思わなかった」 「君でも分からないことがあるんだな」 「ふん。私は魔女であって、神ではない」 鼻で笑ったC.C.に、星刻は眉根を寄せた。 「ところで、コードの継承とは何だ?」 「ジェレミアからでも聞いたか?」 「ああ。それを、阻止してくれと言われた」 「全く………自分自身でやればいいものを、どうせ自分は臣下だから、などとお固く考えているんだろう」 「それが行われれば、ルルーシュが消える、と。どういう意味だ?」 「コード継承者は、世界に二人。現在は、私とV.V.だ。そのコードは、ギアス契約者へと継承できる。そして、その継承は、契約者のギアスが暴走した時、初めて行われる」 「………彼女のギアスが暴走するのを、君は待っていたとでも言うのか?」 「そうだな」 肯定したC.C.の肩を掴み、殴りかかろうと拳を上げたが、星刻はその手を下ろし、C.C.の肩を突き放した。 「コードを継承すると、不老不死になる。今の私は、もう何百年もこの姿のまま生きている。ルルーシュが消える、と言うのはそういうことだ。ルルーシュと言う個人は、そこに存在しなくなる。記号で呼ばれるだけの、魔女になる」 「彼女は、それを承知していたのか?」 「ああ。話はしてあった。いつか、お前のギアスが暴走したら、コードを継承してもらうぞ、と」 ならば、いつか、自分と娘の元から消える覚悟をしていたと言うことか………と、星刻は、それを話してもらうことすらできなかった自分に、腹を立てた。 長く続く白い階段の頂上、踊り場のように広くなったその場に、神聖ブリタニア帝国前皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは立っていた。 この場へ、来るであろう人物を、待って。 自分が、かつて望んでいた世界の形があった。その世界を現実のものとするために、志を共にする者も何人かいた。だが、一人、また一人と、その志から離れて行き、挙句の果てには、世界の形は自分の望んだものとは違うけれども、決して悪くはない、と思える程度のものにはなりつつあった。 まさかそれを、一番凡庸で、頼りないとさえ思っていた息子の一人が、堅実なものにしていくとは、到底思っていなかったけれど。 “Cの世界”は静かで、雑音がない。世界の音に疲れる時、シャルルは時折、此処を訪れていた。けれど、もう何年も、此処へは足を運んでいなかった。ならば、世界の音を、雑音だとは思わなくなったということだ。 ふっ、と一つ息を吐いたのと、規則正しい足音が近づいてくるのが、同時だった。 階段を、一段、一段、ゆっくりと上ってくる。その両目が、赤い、暴走したギアスの色に染まっている。 「シャルル」 姿も、声も、確かに娘のものだが、かけられた声音が、違った。 「マリアンヌ」 「久しぶりね。さあ、シャルル。私達の願いを叶えましょう?C.C.も後から来るわ」 にっこりと、娘の顔が微笑む。そんな顔など、シャルルは、もう、彼女が幼くして国を出る前から、見たことなどなかった。 憎むような、恨むような、蔑むような視線を、常に向けられた。なのに、今向けられるその笑顔は、まるで、作り物のようだ。 近づいてきて、差し出された手を取り、眼を閉じる。 「マリアンヌ。此処でそれの中にいても無意味だ。おまえ自身の姿へと戻るがいい」 「あら。それもそうね。この世界なら、私の意識も存在として保てるもの」 言うなり、細い身体が微かに揺れて、その中から、橙色のドレスを着た、髪の長い人物が現れ出でる。すると、しっかりと踊り場に足を下ろし、裾を掴む。 「久しぶりに、自分自身の姿だわ」 「そうだね、マリアンヌ。久しぶりだ。そして、さようなら」 突然、シャルルの体の後ろから現れた小柄なV.V.の腕が、マリアンヌに触れた。 「っ!V.V.?シャルル!これはどういうことっ!」 V.V.は、シャルルを裏切り、マリアンヌを殺した張本人のはず。ならば、シャルルは決してマリアンヌの敵になど回らないし、V.V.を遠ざけているだろうと、マリアンヌは考えていた。 「お前の時間は、お前が死んだあの時のままなのだな。だが、世界は進んでいる」 「ごめんよ、マリアンヌ。僕も、シャルルも、今、生きている者を見てみたいんだ」 「いやっ!どうして、私が」 悲痛な叫びと共に、V.V.に触れられたマリアンヌの体が、足元から崩れていく。まるで、欠片のように崩れだしたその姿は、風もないのに、吹かれるようにして、黄金色の空間の彼方へと、消えていった。 「………マリアンヌ」 「仕方ないよ、シャルル。僕達はもう、決めたじゃないか」 消えてしまった己の妻を想い、呟き、けれど、やはり、亡き者を取り戻すことなど不可能なのだと、瞼を押し上げて、今、眼の前にいる姿を見下ろす。 揺れていた赤い視線が、ようやく定まったかのように、強い光を取り戻し、シャルルを睨んできた。それを確認し、シャルルは目を閉じる。 「な、ぜ、貴様がっ!おい、手を離せ!」 手を離せば、危うい踊り場の端に立っている細い体は後ろへ傾き、階段を真っ逆様に転げ落ちるだろうことが分かっていたシャルルは、逆に、手に力を籠めた。 「やあ、ルルーシュ。久しぶり。子供は元気かい?」 「お前!どういうつもりだ!このくそ親父とどういう関係だ!」 「わぁ。くそ親父だって。シャルル、可哀想だね」 「兄さん」 「はっ?兄?このちびが?」 「あー、ちびとか言っちゃう?仕方ないじゃない。僕コード所持者だもの。だから、さ、ルルーシュ」 V.V.の腕が、ルルーシュの空いている方の腕を掴み、そして、自分の体に刻まれたコードを、光らせた。 「君のギアス、上書きするよ」 「何、を………」 何かが、入ってくる!そうルルーシュが感じたのはほんの瞬き一つの合間で、閉じた瞼を開けると、眼の前で、ギアスが光っていた。 「シャルル・ジ・ブリタニアが刻む………」 ふざけるな、また、俺の意思を、無視するのか………そう、ルルーシュが考えた時、ルルーシュを呼ぶ、星刻の声が聞こえた。 ![]() 2016/5/15初出 |