その日、周香凜は焦燥感を持って一軒の邸宅の門前に立っていた。 尊敬する上司であり、そして今や国の政を動かしていく中で、決して失うことの出来ない傑物の家だ。だと言うのに、朝から何度電話をかけても繋がらず、返事もなく、出勤もしてこないと言うのは、異常だ。奥方なら何か知っているのでは、と考え、そちらへも連絡を試みたが、全く連絡が取れない。 以前、一度国内で未遂に終わったとはいえ大規模なクーデターが起きた際、この邸宅は首謀者達が踏み込んだ場所となった。まさかとは思うが、再びそのような緊急事態に陥っていないとも限らない。 用心のために持ってきた拳銃の安全装置を外し、門扉を押し開けば、難なく開く。そこには、変わらずに花々の咲き誇る庭がある。春の暖かい陽気に誘われるように、まさに爛漫、と言った体だ。 真直ぐに庭の中に設けられた石の道を建物へと歩き、家人がいるであろう居間へと赴けば、そこには意外にも、電話に出なかった上司がいた。 安心した香凜は、拳銃に安全装置を戻して仕舞い、聞こえよがしに溜息をついた。 「星刻様。何時だとお思いですか?会議の時間はとうに過ぎています」 今日は、大事な会議が午前中に入っていたのだが、仕方なく午後へとずらしてもらっている。これ以上の時間的猶予は、ない。 だが、香凜の言葉に、返事はなかった。 「聞いていますか?」 近づいて軽く肩を叩くと、まるで気づいていなかったとでも言うように、大仰に体を震わせ、顔が上げられた。 「あ………香凜か」 「どうされたのです?体調でも優れないのですか?顔色が良くありませんが?」 「………ああ」 覇気が、ない。返事も曖昧で、何故一人で椅子に座り込んでいるのかも不明だ。奥方やお子様達は出かけているのだろうか? 「とにかく、会議には出席していただかないと困ります。星刻様がいなければ話が前に進みませんので」 「ああ、会議か………」 「………あの、本当に大丈夫ですか?何かありましたか?」 「何か………心当たりがあれば、話は早いんだが」 意気消沈している上司の目の前、机の上に一枚の紙が載っていることに初めて香凜は気づき、手を伸ばした。 そして、そこに書かれた紙面の文字に、香凜もまた、驚愕した。 『離婚届』 そう、紙面には書かれていた。 子供達の教育上よろしくないので普段は決してしないが、朝食と昼食を合わせてとる、と言うあまり褒められない形で食事を済ませたルルーシュは、ショッピングモールの中を歩いていた。 幸華が、市場で起きた爆発事件に巻き込まれて以降足を向けたがらないため、最近の買い物は専らこういった場所でしていた。 「美味しかったか?」 「うん!父様も一緒に来ればよかったのに」 「父様は今日も仕事だ」 「今日は一緒に遊べると思ったのに。ねぇ、朝陽」 姉に手を引かれながらてくてくと歩く弟の表情は、暗い。仕事が忙しい星刻は、此処最近は二人が寝た後に帰って来ていて、まともに顔すら合わせていない。 その内、顔を忘れられるんじゃないか?と思っているが、わざわざ言ったりはしない。あの男は、その辺りを十分承知の上で仕事をしているのだろうから。 「じゃあ、そんな忙しい父様にお土産を買っていくか?」 「父様にお土産………何がいいかなぁ」 「お前達が選んだものなら、あいつは何だって喜ぶさ」 言いながら、ルルーシュは目に付いた雑貨店へと足を向けた。 何故か、香凜は、上司である星刻と『離婚届』と書かれた紙を挟んで向かい合って座っていた。勿論、この紙を用意したのは、星刻の妻であるルルーシュだろう。一体、二人に何があったと言うのか………香凜の知る限りでしかないが、夫婦は上手くいっているように見えた。だが、外からは計り知れない何かがあったとでも言うのだろうか。 しかし、星刻の口から不満が出たことなどほとんどない。あるとすれば、頼ってくれなさ過ぎて心配だとか、その程度だ。逆に、ルルーシュから聞かされる話と言えば、子供達と遊ぶ時間を確保する為に、スケジュールの調整は可能かどうかと言う、実務的な話につきる。 そんな風にお互いを思いやっているようにしか見えない二人の間に、こんな危機が迫っていようとは……… これでは、会議の時間も忘れるだろう。星刻の話を聞いた限りでは、いざ出かけようとしたら、これが机上にあったらしく、そこで思考停止に陥ったらしい。道理で、何度電話をかけても出ないわけだ。 「ルルーシュ様にお電話は?」 「………してない」 「何でしてないんですか!」 普段、優秀すぎるくらい優秀なだけに、こうまで落ち込み、かつ頭の回っていない上司を見るのは初めてで、香凜は頭を抱えた。 仕方がない。こうなったら、部下を使って人海戦術でルルーシュを探し、連れ戻すしかないだろう。 そう考え、立ち上がった香凜の耳に、足音が幾つか聞こえてきた。 「母様、今日ケーキ作る?」 「ああ」 「私手伝う!」 「それより、朝陽の相手をしてやれ」 「え~?朝も手伝うよね?ケーキ作り」 「いや、無理だろう」 聞こえてきた声にほっとし、香凜は座ったままの上司を見下ろした。これ以上は見開けない、と言うくらい両目を見開いている。 「ん?何だ、香凜、来ていたのか?」 「お邪魔しております。星刻様が会議にいらっしゃらないので、お迎えに」 「は?何やってるんだ、お前?とっとと仕事に行け。部下に迷惑をかけてどうする」 あまりにも何時も通り過ぎるルルーシュの態度に、ゆっくりと立ち上がった星刻が、机上の紙を掴んで突き出した。 「君がこんな物を置いていくからだ!」 「ああ、何だ。そんなことか」 「そんなこと!?」 星刻と香凜は、同時にルルーシュの言葉にそう返し、食って掛かろうとした。 「二人とも、カレンダーを見てみろ」 言われて、壁にかかっているカレンダーを見る。 「今日は、何日だ?」 「四月一日だ」 「そうだ。四月一日の午前中は嘘をついてもいい日………エイプリルフールだ。まさか、この国にはその習慣がないのか?日本にはあったぞ?」 「嘘………」 「大体、その紙だってPCから出力した偽物だ。触ればすぐに分かるだろ?」 公式文書じゃないんだ、と溜息をつきながらルルーシュは台所の冷蔵庫を開けた。 「どうせその様子では会議は午後に延びたのだろう?軽く何か作るから、食べてから二人とも出かけるといい」 何種類かの野菜を出しているルルーシュは気にした風でもなく、食事を作る準備を進めている。だが、香凜はすぐ側にいる星刻から立ち昇るような怒気を感じ、子供二人の手をとって廊下へと避難した。 「ついていい嘘と悪い嘘があるだろう!悪質にも程がある!」 「私達の関係は、そんな紙切れ一枚で簡単に切れるような関係か?」 「そんなことは分かっている!が、どうしてこの嘘だったのか説明してくれ!」 ああ、この分だと今日の会議はもう無理かもしれない、と香凜は諦めの溜息をついた。 ![]() 唐突に思い出して書いてみました。 エイプリルフールです。ルルーシュの嘘は常に全力だよ! この後は多分両者が納得するまで大喧嘩で仕事になりません。 勿論星刻は信じてなかったけど、ギアス暴走の折に何も話さずに出て行かれた経緯があるので。 万が一、を考えちゃった、って感じですかね。 このシリーズのこの二人はこんな感じが通常運転で(笑) 2018/4/1初出 |