*絶対遵守*


 年度が変わり、初々しいスーツや、新調したオフィス用の少しお洒落な服装に身を包んだ、新社会人達の姿が街中で見受けられるようになるその時期、締めすぎではないかと思われるほどきっちりとネクタイを結んだ男性と、膝丈のスカートと磨きぬかれたパンプスの女性が、十数人ほど緊張した面持ちで椅子に座り、入社式ならぬ入庁式を迎えようとしている場所があった。
 彼らが緊張しているのは他でもない。その場所が、国の政の中枢、紫禁城の一角にある庁舎内だからだ。難関と呼ばれる試験を潜り抜け、ようやく辿り着いたその場所で彼らを待っていたのは、今のこの国を形作ってきた人々の中でも、かの“ゼロ”と並び称される国の“英雄”だったからだ。
「入庁おめでとう」
 柔らかくかけられた声に、幾分か彼らの緊張も解されたが、次の言葉ですぐに緊張感が戻る。
「君達は優秀な成績で大学を卒業し、難関の試験を突破して入庁したわけだが、残念ながら私は、実力主義だ。これまでの成績や試験結果は何ら役に立たない。日々の実務の中で確実に実力をつけ、国の為に、民の為に働いて欲しいと、切に願う」
 流石は、軍人から外務の仕事へと転進し、大国神聖ブリタニア帝国と対等に外交を進める人物だと、新人達は尊敬の念を持って壇上の人物を見つめた。
 その時は。
「では、私は仕事があるので、細かいことは彼女に聞いてくれ。香凜、後は頼む」
「承知しました」
 引き継がれた女性が、壇上に上がり、書類を持った男性が部屋を出て行く。扉が閉まった後は、少しばかり緊張感が緩み、新人達の肩から力が抜けたように思えた。
 しかし。力強く壁を叩く音に、彼らの視線は素早く上げられた。
 香凜と呼ばれた女性が、掌で強く壁を叩いたのだ。彼らの視線を自分へ集中させるために。
「それでは、これから仕事について色々と説明していきたいと思うが、それは先輩の職員から教えてもらうといい。私からは、特に重要な、守ってもらいたい規律を説明する」
 その時、ごくりと唾を飲み込んだのは、一人や二人ではなかった。
 けれど、その緊張感を叩き割るように、力強く扉が押し開かれた。


 そこには、短い黒髪に、紫色の双眸、その紫色に合わせたのだろうこの国の民族衣装を着た、ブリタニア人の女性が立っていた。
「ちっ。いないか」
「どうされましたか?」
 全く動揺を見せずに、壇上から香凜が降りて問えば、女性は手に持っていた書類を香凜に渡す。
「先日頼まれていた資料だ。末尾に私なりの見解を示しているが、無視しても構わん」
「いいえ。参考にさせて頂きます」
「で、あいつは?」
「先程、天子様の御座所へ」
「はぁ。その天子に見せるのだと、遅くまで作っていた資料を忘れていった」
「すみません。今は新人の研修中でして」
「ああ。私が届ける。文句も言いたいしな」
「文句、ですか?」
「ああ。天子が相手とは言え、この資料は駄目だ。あいつはいつまで天子が子供だと思っているんだ?」
 左手に持った資料をばたばたと振り、軽く肩を竦めて、座っている十数名へ視線を向ける。向けられた方は、呆けたように眼を丸くしている。
「今年は多いな」
「はい。ようやく増員の許可が下りまして」
「なら、少しはあいつも休みが増えるといいんだが」
「そのために、皆で尽力いたします」
「すまないな、いつも迷惑ばかりで」
 香凜が左右に首を振り、否定を示すと、女性はどこか意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「まあ、何人が残るか見物だ。頑張れよ」
 言うなり、身を翻して廊下へと出て扉を閉める。風のように出て行った姿を、新人達は呆然と眺めていた。


 届いた書類を脇へ置き、香凜は新人達へ向かいなおした。
「さて、今入って来られた方は、黎星刻様の奥方だ。時折此方へも顔を出す。正直、この庁は常に人手不足に悩まされていて、データの収集や整理に関して、あの方の右に出る者はいないので、時折手伝ってもらっている。これ以上の迷惑をかけないためにも、君達には頑張ってもらいたい」
 正直、ルルーシュ殿一人対この十数人ではルルーシュ殿が勝つだろう、と香凜は心の中で思っていた。表情には全く出さずに。
「そして、此処からが重要な、絶対に守ってもらいたい規律だ」
 香凜は、一つ深呼吸をし、新人達の顔を一人ずつ見遣った。
「黎星刻様と奥方が喧嘩を始めた際には、絶対に仲介に入ってはならない」
 新人達全員の眼が、驚きに見開かれ、何を言われたのか分からない、という様子だ。そうだろう。毎年これを言わなければならない香凜も、正直うんざりしている。だが、言わなければ被害者が出るのだ。
「あのお二人は、我々とは正直頭の出来が違う。その上、KMFを操る技術は超一流だ。星刻様の乗る機体を知っている者は?」
「神虎です」
 一人の男性が手を上げ、答える。それに頷いた香凜は、頭に手をやる。
「あの機体は、現状星刻様以外に乗れる者がいない。それほど難物のKMFだ。そして、奥方は彼の“ゼロ”が乗っていた蜃気楼と同タイプの機体を操縦可能だ」
 黒の騎士団CEO“ゼロ”の乗るKMFといえば、絶対防御を誇るという防御力、そしてその機体性能ゆえに操る者が限られるという話が、巷間に知られている。その機体を操れるということは、神虎レベルということだ。
「その二人が喧嘩をすれば、怪我人レベルではすまない。一つの都市が壊滅するレベルで本気の喧嘩が行われる。以前、一度だけその寸前まで行き、我々は黒の騎士団に頼み込んで止めてもらったことがある」
 何だ、その夫婦喧嘩、とその場にいた新人は全員思った。が、出てきたKMFの名前が一般軍人の操るレベルではない。
「そのため、この規律は絶対守ってもらいたい。もし破り、あの二人の喧嘩の仲裁に入って怪我をしても、労災は降りないと考えてくれ。勿論、治療やバックアップは可能だ」
「あの」
「何だ」
 おずおずと手を上げた女性が、口を開く。
「今まで、怪我をされた方は実際にいるんでしょうか?」
「黒の騎士団に数名、そしてこの庁内にも若干名いる。皆無事に回復しているが、元々が軍人上がりばかりで、身体が丈夫だったのが幸いした。だが、君達は完全な文官だ。その為、尚のこと注意してもらいたい」
 今回採用した新人は、大学や大学院卒の優秀な人材だ。ただし、軍務経験のないものばかりだ。咄嗟の受身や攻撃の回避行動などは期待できない。それは、これまで国の基盤を作り上げるのに黒の騎士団や“ゼロ”の力を多く借りていた弊害ともいえた。武官や兵士という屈強な者ばかりが増えてしまい、文官が少なかったのだ。今後、戦闘行為が減っていくにつれて、文官を育て上げるのは必須事項なのだ。
「私からは以上だ。では、各々の業務について簡単に説明していく。その後は、各自本日の業務にかかってくれ。初日からハードだとは思うが、折れないでくれると大変助かる」
 それは、本当に心の底から、香凜が思った心の声だった。
 ルルーシュが「何人残るか見物だ」と言ったが、是非にも、全員に残ってもらいたい。その位、人手不足なのだ。
 お願いだから、暫く夫婦喧嘩をせずに大人しくしていて欲しい、という香凜の切なる願いはしかし、一週間と経たずに崩れ去り、新人達には再度の緊張感が走ることとなる。









毎年、夫婦喧嘩の犠牲者は最低一人は出る。
そんな怖い庁内です(笑)
今のところ神虎VS蜃気楼は実現していませんが、いつかやるかも。
そんなレベルで周囲から心配されています。
ルルがゼロだとは言えないので“蜃気楼レベル”と言うしかないですよね。
この二人がKMFで喧嘩したら、多分紅蓮が止めに入るしかないと思います(苦笑)






2018/4/21初出