*水入らず*


 ぱたぱたと、小さな足音が廊下をかける。“黒の騎士団”幹部達の揃うその場所に、少女が駆け込んできた。
「ちばおねえちゃん!」
 長い黒髪と、大きな紫色の瞳が印象的な少女だ。白い頬には、興奮したような朱色がのっている。
「ん?」
 緑茶を啜っていた千葉は、湯呑みを置いて立ち上がった。
「どうしたの?」
 少女に近づき、膝を折って視線を合わせる。
「あの、あのね、おおきいタオルと、ちいさいタオルをかしてくださいっ!」
「大きいタオルと小さいタオル?」
「そう。おふろにはいるときにつかうやつ」
「お風呂に入るの?」
「うん!かあさまと」
「カレンはどうしたの?」
「カレンは、おしごとでいないの。えっと、えっと、おんなのひとにたのみなさい、って、かあさまが」
「ああ。それで、私だったんだ。ちょっと待っててね」
 少女の頭を一撫でして、千葉が部屋を出て行く。
「ちょっとぉ。私だって女なんだけど?何で千葉なの?」
 煙管を口に銜え、煙を吐き出したラクシャータが、不満気に言う。
 少女は、ある意味この幹部達にとって、アイドルのような存在だった。勿論、ラクシャータにとっても、可愛いと純粋に思える相手だ。その相手に頼りにされていないと言うのは、いささか淋しく思えた。
「まあまあ、ラクシャータ」
 扇が宥めるように、腕を振る。
「どうした?」
「あ、とうさまー!」
 そこへ、扉を開けて入ってきた者が居た。現在は“黒の騎士団”の所属ではないが、自由にここへ出入できる数少ない一人だ。
 長い黒髪と、腰に佩いた長剣が印象的な、中華の武官、黎星刻だった。
「とうさま、とうさま、あのね、かあさまといっしょにおふろにはいるのー」
「何?」
「かあさまがね、きょうはおんなでみずいらず、っていってた」
「っ…!」
「とうさま?」
 突然壁に手をついてよろけた父親に、少女が小首を傾げる。その仕草は可愛いなー、などと幹部たちが思っている間に、星刻の頭の中には妻に対する嫉妬が湧き上がっていた。
 毎日この子を風呂に入れて頭を洗ってやるのは自分の役目だったのに、と。
「とうさま、どうしたの?」
「い、いや、何でもない。そうか。よかったな」
「うん!」
 だがしかし、こんな満面の笑顔を見せられては、駄目だと言えるはずもないと、星刻は拳を握る。そこへと千葉が戻って来て、少女にタオルを渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!かあさまー、ちゃんともらったー!!」
 タオルを両手に抱えて、母を呼びながらぱたぱたと駆けていく少女の後ろ姿を千葉が手を振って見送り、項垂れているらしい星刻を見て、溜息をついた。
「あんたも行けばいいじゃない」
「何?」
「別に夫婦で風呂に入るのなんて、おかしいことじゃないんじゃないの?」
 余計な事を!!と思ったのは、藤堂だった。だが、千葉のその言葉に立ち直ったらしい星刻は、一言失礼、と言うと、部屋を出て行く。
「千葉!」
「何ですか、藤堂さん?」
「あの二人がまた喧嘩をしたらどうするんだ!!」
「あ」
 藤堂のその言葉に、その場にいた全員が、あ、と思い至った。
 以前少女の親が夫婦喧嘩をした際は、とんでもない被害が出たのだ。ナイトメアを持ち出して戦うまでには至らなかったが、部屋が一つ数日使用できないほど、破壊されたのだ。
 娘のこととなると見境がなくなる、娘馬鹿な親二人を思い出しながら、今夜は何事も起きませんように、と、皆々、願うばかりだった。


 服を脱ぎながら言った娘の言葉に、ルルーシュは止まった。
「何だって?」
「いつも、とうさまにあたまあらってもらうの。からだも」
「いつもあいつと入ってるのか?」
「うん。ちゃんりんとはいるときもある」
 ぬげたー、と言う娘の服を丁寧に畳んで籠に入れ、タオルを持たせる。その時、脱衣所の扉が叩かれ、開かれた。
「ルルーシュ、その………ぶっ!」
 顔面に当たった服が、星刻の顔からずり落ちる。
「勝手に入ってくるな、馬鹿者。さ、行くぞ」
「うん!みずいらずー」
 娘を伴って浴室へと入っていくルルーシュの姿が消えると、無情にも内側から鍵がかけられる。その音に、星刻は肩を落とし、仕方ないと、ぶつけられた服を畳んで籠に入れ、二人が出てくるのを待とうと、部屋へと戻った。


 星刻、と呼ぶルルーシュの声に、沈んでいた意識が持ち上がる。
入ってきていいと言われて脱衣所に入ると、夜着を着た少女が眠そうに欠伸をする。
「頭を乾かしてやってくれ」
 まだバスタオルを巻いたままのルルーシュの姿に、年甲斐もなく眩暈を起こしそうになりながら、眠たそうな娘の体を抱えあげる。
 ドライヤーで頭を乾かしている間に眠くなったのか、舟をこぎ始めた娘の長い髪が乾いたのを確認して梳かしてやり、寝台に運ぶ。
「寝たか?」
「ああ」
 頭にタオルを乗せながら、近づいてくるルルーシュに振り向く。
「全く………ずっと喋り通しだった」
「中々君と会えないからな」
「仕方がない。この立場には責任がある」
 苦笑して肩を竦めるルルーシュの頭の拭い方に、溜息をついて腕を伸ばす。
「君は相変わらず髪を拭くのが乱暴だな」
「気にしないと言ったはずだが?」
 タオルを取って、髪の水気を拭ってやる。大人しくされるがままになっていたルルーシュが、腕を伸ばしてドライヤーを掴み、星刻へと突き出す。
「どうせなら乾かしてくれ」
「ルルーシュ」
「ん?」
 振り返ったルルーシュの、ドライヤーを握っている腕を掴み、覆いかぶさるようにして、口づける。
「愛している」
「………知ってるさ」
 星刻はドライヤーを受け取ると、妻の髪を乾かすべく、スイッチを入れた。








娘が一緒に風呂に入ってくれるのはせいぜい10歳までだよ、星刻、頑張れ!
娘御がラクシャータに頼まないのは、意味不明なもの(煙管)をもっているからです。
子供の目から見たら相当変なものだと思われますよ、あれは。
だから、常識人そうな千葉を選ぶ、と。子供は敏感です。
星刻の顔にぶつけられたのはルルの履いていたズボンです。ルルは子供生んで運動神経少し向上したとかだといい。
因みに、部屋を破壊するほど喧嘩したのは“家族”の時です。この二人の喧嘩は凄いと思います。




2008/7/30初出