その日、神聖ブリタニア帝国宰相、シュナイゼル・エル・ブリタニアは、超合衆国の中の一国家、合衆国中華へと訪れていた。数年前、兄である第一皇子とこの国の象徴の天子との婚姻を画策したが、様々な事情によりそれは破棄され、それまで合衆国中華との関係は、いわば冷戦状態と言ってもよかった。 だが、世界が神聖ブリタニア帝国と超合衆国の二つの勢力に色分けされてからこちら、互いの力は拮抗、軍事力においても中々に引けをとらない超合衆国を、流石に発足から五年近くが経過した今日、無視するわけにもいかなくなった。 皇帝を絶対とする神聖ブリタニア帝国の中にも、多く不満の火種があった。超合衆国の掲げる多くの人道的な憲章のせいで、それらの火種が燃え上がったのだ。 今のブリタニアに、五年前と同じだけの力はない。絶対的だった恐怖による支配は、もはや通用しなくなっていたのだ。 ならば、いっそ冷戦状態を打開し、同盟でも結んだ方がよほど手っ取り早い、と言うものだった。 そのための訪中で、弱弱しい幼女だった天子は、聡明な少女へと成長し、中々、シュナイゼルの言葉に丸め込まれてはくれなかった。恐らく、大宦官達がいなくなったからだろう。彼らは天子の眼に触れるものを全て“綺麗なもの”で構築していた。だが、彼女は外へと解き放たれ、世界を見た。争い、憎み、殺しあう世界を。 天子は“綺麗なもの”だけを掬い取らなかったのだろう。好悪を併せ持つように、この五年で学んだのだ。それでも、純粋さを失わない彼女の姿勢は、シュナイゼルにとってやりにくいもの以外の何ものでもなかった。 「どうやら、中々の才女だったようだね、天子殿は」 「みたいですね」 半歩後ろからついてくるカノンへと声をかければ、彼は肩をすくめて答える。その後ろには、直属の部下であるナイトメア開発を担当しているロイド・アスプルンドとセシル・クルーミーがいた。彼らには、超合衆国が軍事力の放棄と共に謳った“黒の騎士団”との軍事力提携により開発された、数々のナイトメアを視察させる予定だったが、勿論、今の所それに許可は下りていない。 「ところで、殿下ぁ〜」 独特な口調のロイドが、後ろから軽く手を上げる。 「道、わかってるんですかぁ〜?」 「いや、どうも、迷ったようだな。以前も迷ったのだがね」 「どうして貴方はそう言うことを早く言わないんですか!」 カノンが声を荒げる。てっきり迷いなく足を運んでいるから、建物内部は既に把握しているものと思って、彼らは先を行く皇子殿下に着いてきていたのだ。 それが、まさか、迷子とは………と、カノンは米神辺りに手を添える。 と、小さな足音が聞こえてきた。立ち止まった一行の前に、角を曲がって走ってくる幼子の姿。 長い黒髪に、白い肌、大きな紫色の瞳は、この国では目立つだろうに、身につけているのは淡い碧色の中華服。 手には、読めないが恐らく中華連邦の文字なのだろう題字の書かれた教本らしきものが握られている。 「ちょっと、聞いてもいいかな?」 シュナイゼルはその子供に声をかけ、膝を折った。 「はい?」 「迷子になってしまったんだけれど、ここはどこかな?」 「え、と、えと、あっちがてんしさまのおうちで、こっちがとうさまのおうち」 シュナイゼル達の歩いてきた方向ををさして、天子様のお家、と言うことは、そこが天子の住まう宮なのだろう。逆に、今子供の走ってきた方角を指差して父様のお家、と言うことは、そちらがこの子の家の方角になる。 「うん。ありがとう。それで、迎賓館、と言うのはどこにあるか知っているかな?」 「あっち!」 少女は、庭の向こう側をさす。 「反対じゃないですかぁ、殿下ぁ〜」 ロイドが、恨み言でも述べるかのように、口にする。 「そのようだね。ありがとう。助かったよ。ところで、君は一人かい」 「とうさまとてんしさまのところにいくの」 「天子様を知っているのかい?」 「うん!おともだちなの!!」 「お友達………随分と年の離れたお友達だね」 「てんしさまととうさまとかあさまがなかよしなの」 「そうか。君はこの朱禁城に住んでいるんだね」 「うん!」 「お母様はいるかな?」 「かあさま?かあさまはおしごとでいそがしいからいない」 「まあ」 セシルが、可愛そうに、とでも言うように声を出す。 「でも、いつでもあえるの。かあさまやさしいからすき」 「お母様の名前は、何ていうのかな?」 シュナイゼルの言葉に、少女が一歩後ずさりをする。そして、口元に一本、指を立てた。 「ないしょなの」 「内緒?どうしてかな?」 「ないしょなの。いっちゃいけないの」 「教えてくれないかな?」 「どうして?」 「君のお母様を知ってるかもしれないから」 「だめっ!」 子供は教本を振り回した。 「そういうことをいうひとにはぜったいにおしえちゃだめなの!かあさまをわたしからとるひとだから、だめなの!!」 「君のお母様を取ったりしないよ?」 「とうさまがいってた。ぶりたにあのひとにはぜったい、ぜったいいっちゃだめ、って!!きらいっ!!」 ぶんぶんと教本を振り回す子供は、じりじりとシュナイゼルから離れていく。幾ら子供とはいえ、流石にこれは………と思ったのか、カノンが動く。振り回されている教本は角がある。人にぶつかったりしたら大変だ。 「その本、渡してくれないかしら?危ないから」 「やー!!これはかあさまにかってもらったやつだからだめ!」 癇癪を起したようにわめき始めてしまった子供に、シュナイゼルもカノンも、どうしていいかわからなかった。唯一この場にいる女性はセシルだが、彼女は研究畑の人間で、子供のあやし方がうまいとは到底思えなかった。 「すまなかったね。君からお母様を取る気はなかったんだよ」 そういいながらシュナイゼルが腕を伸ばして、子供の頭を撫でようとした途端、子供は、火がついたように泣き出した。 ![]() 2008/8/3初出 |