*夫婦の企み*


 五年以上前、泣きそうな顔で、縋るように腕を伸ばしてきた。女性と言うにはまだ幼く、少女と言うには大人びたその表情の中に、ひた隠しにされていた恐怖や悲哀。慰める事も、救ってやることも出来ず、ただ、その心に深く穿たれて治らぬ血の滲む傷口を、舐めてやる事しかできなかった。
 何が、彼女にしてやれただろう。私のこの手が彼女を救ったなどと、到底思えはしない。
 それでも今、こうして腕の中にいてくれる………それが幸せだと告げたなら、君は、ここにずっと、いてくれるだろうか。


 左目に、黒い眼帯。
「それは、どうした?」
「コンタクトでは、もう抑えられないらしい」
 ギアス、と言う能力なのだと聞いた。人により出現する形は違えど、乱用すれば必ず、その力は己の身に返る、と。
「いつか、右の目にも出るかもしれない」
 両の瞳にその証が出れば、彼女はもう、人の瞳を見る事ができなくなる。自分の意思や意図とは関係なく、他人へと命令が下されてしまう能力。彼女はその力で、多くの者を失ってしまったのだと、かつて聞いた。
 まるで、嘆くように。懺悔するように、ぽつりぽつりと話し出したその時の頼りなげな声は、まだ覚えていた。
「俺は、騎士団を退団する」
「何?」
「幹部も意見の一致を見た。事情も話した」
「どうする、つもりだ?」
 どこへも行くことなど出来ないと、言っていたはずだった。生まれた時に与えられた名前も、その後に名乗った名前も、鬼籍に載ってしまったと。
「考え中だ。だが、幹部には止められたよ」
「何と?」
「親は、子の側にいるものだと」
 苦笑するように言う細い体に腕を伸ばし、抱きしめる。
 去っていって、しまいそうだったから。
「ここに、いてくれないか」
 どこへも、行って欲しくなかった。打算もなくただ、感情のままに思ったそれを、口にした。
「ここに、いてくれ。ルルーシュ」
 大人しく抱きしめられている彼女が、いつこの腕を振り払うのかと、そうならないといいと、抱きしめる腕に力をこめる。
「ここにいて欲しい。あの子と、私の側に」
「一度、お前に聞きたかった」
「何だ?」
「何故、お前はそこまで、俺に優しいんだ?」
「………今更な、質問だな」
「?」
 わかっていないのかと、右手を白い頬へ添える。逃げないようにと、左手は背中へと。
「君を、愛している。愛する相手に優しくするのは、当たり前の事だ」
「そう、か」
「ああ」
 愛していると、好きだと呟く相手を信じられない彼女の心情をよくわかっていた。何度も裏切られ、悲しみの底へと落とされた彼女の心の、暗い闇。
「君がここにいて、あの子が側にいて、それで私は幸せだ」
「幸せ?」
「ああ。だから、君には側にいて欲しい」
「………わかった」
 小さく呟かれた言葉。その一言で、充分だった。


 繋いだ指に力がこめられて、星刻は視線を落とした。肩の辺りに、小さな頭がある。
「この間、病院へ行って検査をしてもらった」
 一体何の、とは問わずに、無言で先を促す。
「ずっと、怖かった。大丈夫だとわかってはいても、どこかで、ずっと………だから、答えを知りたかった。あの子が、本当は誰の子なのかを」
「っ…!?」
「悪かった、何も言わなくて」
 ふわりと、右目の紫色が微笑む。
「馬鹿、だよなぁ。あの子は、あんなにお前に似ているのに」
 泣き笑いのような、顔だった。安堵したような、嬉しいような、泣き出しそうな。
「結果が出た時、正直、安心したよ」
「ルルーシュ………」
「相談しなくて、悪かった」
「いや、そんなことは、いいんだが…何故、今?」
「………けじめ、だな。お前が、きっとここにいていいと言ってくれると、わかっていた。でも、その言葉に完全に甘えたくなかったんだ。だから、その前に、知っておきたかった。清算、したかったんだ」
 過去を、後悔を、苦渋を、捨て去りたかった。それでも捨て去れないとわかっていたから、ならばせめて、と。
 そんな姿に、星刻は一つ小さく微笑んだ。
「あの子は、私より君に似ていると思うが?」
「どの辺りが?」
「眼の色も、髪の色もそうだし、強情な所も」
「なら、頑固な所はお前に似たんだな」
「そうだろうか?それも君に似ていると思うが?」
「俺が、頑固で強情だと?」
「違うのか?」
 むっとしたような表情は珍しいな、などと思いながら手を伸ばし、華奢な体を抱き寄せる。子供を一人産んでいるとは思えないほど、細い体だった。
「ずっと側にいるなら、口調を改めなければ」
「………癖は早々抜けるものじゃない」
「頑張って貰わないと、君の真似をしてあの子まで一人称が“俺”になってしまう」
 それは困ると言い募れば、観念したようにルルーシュが口を閉ざす。苦笑して、ルルーシュの頬に手を添え、啄ばむように唇を重ねる。
「天子様に、明日報告しよう。家族が揃いました、と」
「気が早いぞ」
「こういうのは、外堀を埋めていく方が早いだろう?」
「………仕方がないな。その案に乗ってやろう」
 策略家として名を馳せた彼女らしい不敵な微笑みに、星刻も微笑んで、力強く手を繋いだ。








ルルーシュはここから前向きに生き始めます。
そして、星刻は精力的に外堀埋めるために働き始めます。
二人は別に結婚式とか挙げていませんから、知らない人も多いわけで…
恐らく中華側で知っているのは香凛と洪古と天子様くらいじゃないかと。
なので、周りに早く事実として浸透させてしまえ、と(笑)
勿論、夫婦の企みはうまくいきます。ええ、この二人ですから。




2008/8/16初出