*鴛鴦の契り 三 *


 白い、病室の扉。それを開けると、個室の部屋には、体を起して窓の外を見詰めている、女性の姿があった。
「ルルーシュ」
 名前を呼んで、近づく。
「怪我の具合は、どうだ?」
 名前を呼ばれて振り返った顔には、怪訝そうな表情がある。そこで、違和感を覚える。
 彼女の左目には、ギアスと呼ばれる超常の能力があり、赤く光っていたはず。既にそれはコンタクトレンズで抑えられないと、厚い革の眼帯をしなければならなくなっていた。
 なのに、今は、その両目が、紫色に戻っている。
「ルルーシュ?」
「………お前は、誰だ?」
 細められた両眼が、睨むように向けられる。低く声が発せられたその瞬間、背筋が凍え、室内の温度が、下がった気がした。
「誰だ、と聞いている。答えろ」
「黎星刻だ」
「?中華連邦の人間か。何故、俺の名前を知っている?」
「私を、知らない?」
「知らない、お前など。ナナリーはどこだ?俺の妹だ。いつも一緒にいたはずだが?」
 小さな体が星刻の後ろから出て、白い布団の上に手を伸ばす。
「かぁさま、おはよう!」
「………誰だ?」
「かあさま、どうしたの?」
「何故俺を母と呼ぶ?おい、この子供は何だ?」
「か、さま?」
 不思議そうに、娘が首を傾げる。その様子に、流石に悪いと思ったのか、ルルーシュは顔を窓の方へと向けた。
「ルルーシュ、悪い冗談だ、一体、何を………」
「冗談?お前たちの言う言葉こそ、冗談だろう?」
 小さな違和感が、今は、大きな齟齬に発展していた。


 記憶喪失。テロによる爆発に巻き込まれ、頭を強く打ったのではないかと、医師は言った。一時的な記憶障害だろう、と。しかし、いつ戻る、と言うことは断定できない、とも。
 一生、このままかもしれない。すぐにでも思い出すかもしれない。それは、わからない、と。
 話をしていてわかったのは、彼女が自分を十五歳だと思っている、と言うこと。アッシュフォード学園の高等部に上がったばかりで、家族は妹だけだ、と。
 だが、自分の体に違和感があるのも確かなようで、とくに不思議に思っていたのは、視線が高い、と言うことだった。それは、今の彼女が思っている年齢以降に、現在の身長まで伸びたと言うことだろう。
 頭の回転が速いことが幸いしたのか、知識が豊富だったのかはわからないが、現在の年月日や自らの体の異変に、記憶喪失だと言うことは納得したようだった。
 けれど、頑として、星刻と自分の産んだ娘のことは、認めなかった。
 家族は、妹だけだ、と。他にはいない、と。
 火傷や怪我の治療、そして記憶に関する検査などもあったため、一月は病院暮らしが必要だと言われた。
 その間、ルルーシュの記憶が戻ることはなく、星刻が娘を連れて訪れても、部屋には入れてくれるが、会話は出来なかった。
 ルルーシュが、二人を拒絶していたからだ。夫などいはしないし、ましてや娘などいるはずもない。そもそも、自分は男だと、まるで、星刻と出会った当初のような物言いだった。
 男として生きてきた、これからも男として生きていく、と。なのに、夫だ、娘だと、わけのわからないことを言うなと、そう言うことのようだった。
 そして、何より星刻を愕然とさせたのは、指輪を返された時だった。


 ベッドのサイドテーブルの上に、無造作に置かれている、銀色の指輪。
「ルルーシュ?」
 声をかけても、その視線は窓の外を向いている。幼子を無碍には出来ないのか、そっとベッドの上に頭を乗せた娘を、叱ることはしない。
 母の機嫌を窺うように、上目遣いに外を見ている顔へと視線を向ける娘が、可哀想だと思った。長い間母と離れて暮らし、ようやく、家族三人が揃い、喜んでいた矢先だったと言うのに………
「ルルーシュ、これは………」
 彼女の左手の薬指、そこに嵌まっていたはずの銀の指輪を指で抓み、眼前に差し出せば、睨むような鋭い視線が向けられる。
 まるで、憎悪しているようなその視線に、気づいた娘がベッドから頭を退けた。
「それは、俺のものじゃない」
「だが………」
「俺は、そんなもの知らない。知らないものを身につける趣味はない。だからそこに置いた。それだけだ」
「だが、これは君のだ」
「“俺”のものではない!」
 糾弾するような、鋭い声音。
「何故俺がそんなものを嵌めている?嵌める理由がどこにある?だから外した。貴様がそれを知っていると言うのなら、持って帰れ」
 ベッドから離れ、娘の小さな手が、星刻の服に縋りつく。こんな、苛立った風に怒る母親を、見たことがなかったからだろう。
「とうさまぁ」
 小さな声が下から聞こえて我に返り、銀の指輪を握り締める。
「そう、だな………」
 そうだ、今の彼女は、ルルーシュではないのだ。星刻の知る、強くて弱い、“ルルーシュ”ではない。あまりにも、違い過ぎた。
「確かに、これは“君”の物ではないな」
 これを嵌めるべきなのは、星刻の妻である“ルルーシュ”なのだから。今の彼女では、決してなかった。
「すまない。これは引き取ろう。今日は、帰ろうか」
「………うん………ばいばい」
 小さな手を振って、挨拶をする娘に、けれどルルーシュは、何も返さない。窓の外をじっと見て、何かを堪える風だった。
 触れたかった。体全体から棘を出しているかのように、全てを恐れ、拒絶している、彼女に。
 だが、触れられなかった。これ以上拒絶されるのは怖いと、恐れを抱いているのは、星刻も同じだったから。








書きながら、星刻に謝っていました。
ごめん!でも、苦境に眉根を寄せる星刻も美味しいと思ってます。
棘々だらけのルルーシュ。きっと十五歳位だとそうだったんじゃないかな、と言う想像です。




2008/9/11初出