*鴛鴦の契り 四 *


 頭に負った怪我が完治し、背中の火傷も大分治った頃、医師からは帰宅が許された。だが“今のルルーシュ”に、家はなかった。あるのは、星刻の妻として生活していた、黎家の屋敷だ。
 それでも、他に向かう先がないルルーシュは、不承不承と言った風ではあったが、星刻について、黎家に向かった。
「天子様に休暇を頂いた。少し、気晴らしに出かけないか?」
「お前と出かける理由がない」
 にべもないな、と苦笑しながら、決して視線を合わせようとせずに、車窓へ顔を向けているルルーシュへ更に声をかける。
「療養だ。医師にも遠出の許可をもらっている」
 ちらりと、左目が向けられる。久しぶりに見たその瞳は、剣呑な光を帯びていた。
「………勝手なことを」
 余計なことをするなと言わんばかりの台詞だった。しかし、しばらくの沈黙の後、短い溜息が聞こえた。
「好きにしろ」
 拒絶の言葉ではなかったことに、星刻は心底、安堵した。


 せめてもの気晴らしにと連れてきたのは、天子所有の天領に程近い、小さな村だった。人家は疎らで、農作業に従事する人々の姿がちらほらと見えるそこを見下ろせる丘の上に、質素だが奇麗な屋敷が一軒、あった。
 娘も着いてきたがったが、ルルーシュが決して顔を合わせようとせず、遠ざけるようにして声もかけないことに、夜毎涙で頬を濡らし、瞼を腫らして、翌朝笑顔で記憶のない母親に会いに行く姿を見続けられずに、信頼できる者に預けた。
 このままでは、ルルーシュも、娘も、傷つくだけだと。
 母親に拒絶された事に傷ついた娘の心も、幼子を恐れるようにして顔を背けるルルーシュの心も、守ってやりたいと思った。
 記憶がない不安、周りに知る者が一人もいないと言う不安に、ルルーシュが少なからず怯えを抱いているのはわかっていた。だからこそ、娘を遠ざける事を怒る事も出来ず、見ているしかできなかったのだ。
 環境が変われば、少しでも思い出すかもしれない。そんな一縷の望みをかけて訪れたそこは、ちょうど、春の花が満開に咲き誇る季節を迎えていた。


 桃色の花弁が、風に乗って空を舞う。それを、瞳を細めて見上げたその横顔は、どこか穏やかだった。
「懐かしいな」
「懐かしい?」
「初めてこの木を見たのは、枢木の家だったな」
 ぽつりと出てきた名前に、星刻は目を見開く。だが、表情は相変わらず穏やかで、緊張したような面持ちは、ない。
「どうして、こんな、泣くみたいに散るのかと、不思議だった。ブリタニアにはない植物だったからな」
 ふ、とその表情に翳りが宿り、視線が下を向く。
「あいつは、生きているのかな」
「誰の事か、聞いても?」
「枢木スザク。幼馴染なんだ。戦争で、離れ離れになって………無事でいるといいが」
 十五歳だと自分を認識している彼女は、枢木スザクが生きて、ブリタニア皇帝の騎士になっている事を、知らない。無論、星刻が自ら伝える事はしなかった。必要、ないだろうと。
「幼馴染…友達か?」
「俺は、そう思ってる。あいつは、違うかもしれないが………」
 暗くなる表情。それでも、生きていて欲しいと、無事でいて欲しいと願う彼女の、あの男に対する信頼がいかほどか、嫌と言うほど思い知らされる。
 わかっていた。今の彼女にとって、星刻は“他人”なのだ。たとえ多少心情の齟齬があったとしても、枢木スザクの方が、よほどに信頼できるのだろう。
 一週間の休暇。その短い間に、彼女が記憶を取り戻す保障は、どこにもない。その一週間が過ぎた後、彼女はどうするのか。何とか信頼関係を築かなければ、離れていく可能性も、あった。
 一日目は、会話にならなかった。日がな一日本に目を落とし、食事だけは一緒に摂ったが、挨拶程度だけだった。二日目は会話になったが、相変わらず触れることが出来なかった。三日目の今日は、まともな会話が出来るようになった。
 だが、それは星刻にとって、痛みにも似た憤りや、やる方のない不安に苛まれたものだった。
 後、四日。
 どうすれば、記憶は戻るのだろうか。もう一度、以前のように名前を呼んで欲しいと、手を繋いで欲しいと、そんな望みすら、あまりに遠い、夢のようだった。
「知っているか?」
「ん?」
「今、エリア11がどうなっているか。今の俺が十五歳ではないと言うのなら、あそこだって少しは変わっているのだろう?誰が統治を行っている?日本人はどうなった?」
「日本、か?今は独立して、合衆国日本になっているが?」
 その提案をし、立ち上げたのも、彼女であったのに。
 驚いたように眼を見開いて、何事か考え込むように腕を組んでいたかと思うと、納得したように頷く。
「ふぅん。誰が上に立っている?」
「皇神楽耶が」
「ああ!神楽耶か、無事だったのか、彼女も」
「知り合いなのか?」
「ああ。彼女も幼馴染といって差し支えないだろうな」
 知らない、事柄。子を授かり、指輪を送り、家族となり、一緒に暮らしていた間に、聞いたことのなかった話。自らの事をあまり語りたがらない彼女に、星刻も聞こうとはしなかった。
 幼少時の事柄は、あまりよいイメージと結びつかないものだろうと、そう、思ったからだった。
 前を行くその背中に腕を伸ばし、抱きしめたかった。だが、今それをすれば、彼女は離れていくだろう。それでも、感情に逆らえずに伸ばした腕は、ルルーシュの肩に触れていて。
 びくりと震えた肩。腕が振られて、星刻の手を弾く。
「触るな!」
「っ………」
 拒絶。これでは、初めて会った頃と、何も変わらない。いや、それよりも、なお………そう思う星刻の前で、ルルーシュが一瞬目を見開いたかと思うと、視線を逸らし、坂を駆け下りていく。
 だが、星刻は、追えなかった。追うのが、怖かった。
 再び拒絶されたらと、それを考えると、動けなかった。








十五歳のルルーシュは棘棘です。
ナナリー以外は信じていない感じです。
そして、背景が時期外れに桜なのは。
ここで桜が出てくるからです。(笑)




2008/9/14初出