*籠の中の鳥*


 震えの止まらないルルーシュを座らせ、部下の周香凛に熱いお茶を持ってくるように命じる。
「ルルーシュ、大丈夫か?」
 かたかたと震えている両の手を掴み、膝を床について見上げると、ルルーシュが小さく頷いた。
「あの、男…シュナイゼル・エル・ブリタニアは、君の何だ?」
 逡巡したように一拍置いて、ルルーシュが口を開く。
「………兄、だ」
「兄?」
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。それが、俺の、本当の名前だ」
 ヴィ・ブリタニア。それは、確か、現在のエリア11の総督と同じ姓。ならば………
「君は、皇女か」
「もう、籍は抹消されている。死んだ事に、なっているからな」
 小さな声だが、支離滅裂な回答にはなっていないことに、少しほっとした。
「っ…何で、こんな、所で、兄上に…っ!」
 以前にも、こんな反応を見たことがなかったか。必要以上に怯えているような、魂の抜けてしまったような、虚ろな瞳を。
「………まさか、以前言っていた、兄、と言うのは」
「あいつ、だ………怖い。今も、足が、竦む。何をされるのかと、体が、動かなくなる」
 頭では理解している。もう、あの頃とは違うのだと。だが、それでも体は、覚えている。あの男にされたことを。乱されて、暴かれて、奈落の底へ突き落とされた瞬間を。
 深い、傷。男として生きようと、“ゼロ”としてテロリストの道を歩もうと、“ルルーシュ”として受けた傷が、消えない。それを引きずったまま、今も、立ち止まったままで………
「俺に、子供を産む、資格なんて………」
 ない、と小さく呟いて、項垂れるルルーシュの頭を抱え込むようにして、抱きしめる。
「産んでくれ。例えそれが、私の子でなかったとしても、私はその子を愛そう」
「お、前…何、言って………」
「だから、命を、心を、粗末にしないでくれ」
 それは、心からの願いだった。自らの命を死地に追いやり、粗末にしている自分が言えた義理ではないと分かっていても、言葉にせずにはいられなかった。


 中華連邦とブリタニアとの同盟。いや、同盟と言う名の吸収とでも呼ぶべきか。朱禁城の中を歩く軍人達の視線は厳しく、どこか憎悪や怨嗟にも満ちている。
 皆、既に大宦官達による政治の末路が、見えているのだろう。この先、この国に未来など、ないと。
 ならばと、強硬な手段や自暴自棄に走る者が未だいないのは、ここが天子様の御座所であると言うことを、充分に理解しているからだろう。
 天子とは、中華連邦そのものであり、その象徴であり、最高権力者であり、神々の代理でもある。だからこそ、大宦官達も傀儡にしようと考えはしても、その地位を奪おうとはしなかったのだ。
 だが、ブリタニア皇族と天子様の婚姻と言うやり方は、その地位を奪うのと同等………いや、それ以上に悪い結果かもしれなかった。
 だからこそ、迷う。民を思い、国を思い、涙を呑んで大宦官達の思惑の片棒を担ぐか。それとも、民と国を捨て置き、天子様の御心を守るべきか、と。
 選べるべくもない。どちらも大事。どちらも大切。どちらかを天秤にかけて振り落とすなど、出来るわけもない。最初から、分かっていた。分かっていたが、何の手立てもなかった。
 せめて、力があれば。民を守り、国を救い、天子様の真意を守り通せるだろうに、と。
 既に、翌日はブリタニアからの客人と中華連邦の要人とが集まる酒宴が催される。そして、その翌日にはあまりに性急と言わざるを得ないが、既に婚姻の儀が催される予定になっていた。
 もう、時間はない。刻一刻と、決断をしなければいけない時が迫っている。部下達は皆、今か、今かと蜂起の時を待っている。星刻の号令一つで、彼らはナイトメアを駆り、剣を取り、ブリタニア皇族や大宦官達へと向かっていくことだろう。
 けれど、まだ星刻の中には、迷いがあった。
 見えなく、なっているのだ。天子様は、自分の命を救ってくださったあの時のことを覚えているだろうか、約束を忘れずにいてくださっているだろうか、と。もしもそうであるならば、今すぐにでも剣を取る。だが………と。疑うなど持っての外だと、承知している。
 いや………天子様の心が見えなくなっているのではない。自分の心が、見えなくなっているのだ。
 何を天秤にかけたとて、どれかを捨てることなど、できはしない。どれもを、選び抜きたいのだ。強欲だと分かっている。それでも、捨てられない。
 自室の扉を開けて、深く溜息をつく。誰に見せるわけにもいかない。こんな、弱くなっている姿を。先の無い身だからこそと、走り出す胆力がない。自らの命すら、惜しんでいる。改革を成すのだと、変わりゆく中華連邦を見たいのだと願ったのは、誰より自分であったのに。
 それなのに、ここにもまた一つ、捨てられないものがある。死へと近づけば近づくほど、大切に思うものが増えていくのは、一体どうしたことなのかと、ソファで眠る姿に近づく。
 手を伸ばし、頬にかかる黒い髪へ触れようとすると、ばちり、と瞼が開いた。
「起してしまったか?」
「…いや。転寝していただけだ。扉の開いた音で起きた」
 むくりと起き上がる顔には、いまだ憔悴の色が濃い。
「明後日、だったか、婚姻の儀は?」
「ああ」
「安心しろ。“黒の騎士団”は動かす。中華連邦にブリタニアと手を結ばれるのは、こちらもありがたくない」
 無理に繕おうとしているような自嘲の表情に、咄嗟に手を伸ばして抱きしめようとしたが、その手は拒絶され、背中が向けられる。小さなその背中は、利用しあう関係ならば慰めあいはいらないと、そう言っているように見えた。
 何故だろう。その背中が、とても淋しい。そんな背中を、向けて欲しいわけじゃない。
 守ってやりたいと、そう思う。どんなに男のふりをしようと、どれだけ強くあろうとしても、彼女は優しさを捨てられない。情を捨てきることが出来ない。
 その背中に、どれだけの苦しみと悲しみを背負っているのかなど、到底わかることではなかった。けれど、理解したいと思う。
 せめて、それを分けて、共有させて欲しいと、そう、思った。








悲恋なんですか?と何通かメールを頂いたりしたので。
ハッピーエンドがやはりいいだろうか、と言うことで。
別バージョンも作ってみました。
こちらはどちらも死ぬことなく終わらせようと思います。
タイトルは全く同じで、内容だけが違います。
どちらもお楽しみくださいませ。





2008/6/25初出