*清けき月の下*


 華やかな酒宴の席。幾ら大宦官付の武官と言えど、所詮は“武”の者。“文”の者の領域である政治的な宴の席に参加できるわけも無く、星刻他、軍人達は皆、城中の警護の任に当たる。
 “黒の騎士団”が来るのでは、と言う情報もあるが、今の所、混乱は何一つ起きていない。
 夜の涼しい風の中で揺れるのは、城内にある木々ばかり。足音は訓練を受けた軍人達のものばかりで、いささか風情に欠ける。
 しかし、これは所詮嵐の前の静けさ。明日の婚姻の儀を前に、なりを潜めているに過ぎない。中華連邦の軍人達も、そして“黒の騎士団”も。いざと言う時に動けなければ、何の意味もない。今は、力を温存しておくべきだった。
 だが、そんな穏やかなはずの夜の気配の中に、異質なものを感じた星刻は、周囲へ視線を向ける。
 何かが、空気を乱したように感じた。
 今宵、何かが起きては困る。明日警戒を強くされては困るからだ。この夜が無事に過ぎれば、明日は祝いの席、双方非礼のないようにと、警備警護は最低限にされるはずだった。
 空気の乱れの元を探そうと、眼を凝らす。灯の乏しい庭で、その時星刻の耳は、確かに音を聞いた。
 何かの、割れる音を。
 それはたとえば、コップを落としたような、ガラス片が落ちたような、そんな音だった。
 誰かが宴席でグラスでも取り落としたか…だが、それとは違う音のように感じた。そもそも、宴席の会場とは真逆から聞こえたのだから。
「まさか………ルルーシュ?」
 近くに居た者へ持ち場を離れる旨を伝え、走る。欄干を飛び越えて建物の中へと入り、人気のない廊下を走る星刻を見咎める者など、誰一人としていない。
 辿り着いた部屋の扉を開いて飛び込むと、窓の近くに立っているルルーシュの姿が眼に入る。その折れそうな両腕が、壁に押し付けられ、体の自由を奪われていた。
「貴様っ!」
 腰に下げていた剣を抜き、ルルーシュを押さえ込んでいる男へと刃を向ける。
 重さを感じさせない動作で動いた男はそれを避け、忌々しそうに舌打ちをした。
「また、お前か」
「それはこちらの台詞だ。一体、彼女に何の用だ?」
 机の側には、茶器が落ちて割れている。先ほど耳に届いたように聞こえたのは、あれの音だったのか………驚きに眼を見開いているルルーシュの腕を掴んで、背後へ庇う。
「大人しくこの部屋から去れば、不問にしよう。正当な理由無く朱禁城の中を出歩くのは、たとえブリタニアのラウンズであろうと、許されない」
 剣を構え、星刻は緑色の瞳に憎悪を宿す男を睨みつける。
「それとも、この件を理由に、両国が不仲になってもいいと貴公はお考えか?」
 政治的問題をこの場に持ち出すのは、いささか筋違いかもしれなかった。だが、それを出せば、立場のあるこの男は、引かざるを得ないと、星刻は踏んだ。
 そして、案の定、ナイトオブラウンズの肩書きを持つ男は、静かに一歩後ろへと下がる。
 そのまま、何も言わずに踵を返し、部屋を出て行く。叩きつけるように閉められた扉の音が、やけに響いた。


 シュナイゼル・エル・ブリタニア、そして枢木スザク。ルルーシュにとって忌まわしさと結びついている、その二つの影がこの朱禁城の中にある限り、ルルーシュが穏やかに過ごせる事は無いだろう。
 戦場へと赴く事になるだろう“黒の騎士団”にいるよりは、との提案で引き取ってきたが、心の平穏を取るのならば、“黒の騎士団”にいた方がよほどいいのではないかと、そう思えた。
「私は、クーデターを起こす」
「何?」
「民心を汲み、天子様をお助けするために。“黒の騎士団”の力も借りたい。君は、一度戻った方がいい」
 彼女が遠くから指示を出すよりも、その場にいて直接指示を下した方が的確で、また俊敏だろうと思われた。
「君を迎えに行く」
 白い手を取り、膝を床につく。
「必ず、君を迎えに行く。それまで、どうか耐えてくれないか」
「………勝手にここへ連れてきたのは、お前だろう?」
「そうだ。けれど、君はここにいるべきでは、ない。少なくとも今は」
 クーデターを成功させ、大宦官達を追い落とし、国を本来あるべき、民へと返すこと。国は、政治家のものでも、他国の皇族のものでもなく、中華連邦に生きる全ての人々のものなのだと、知らしめること。それが成功しなければ、自分もまた、何かを選び取ることなどできないだろう。
「私は、君の腹の子が私の子でなくとも愛すると言った。その言葉に偽りなど、欠片もない。だから、その言葉を偽りにしないためにも、今は、やるべきことをしなければ」
 心を強く持ち、挑まなければならない。死ぬためではなく、生き抜くために、勝ち取るために、反乱を起こすのだ。
「そうだな………俺にも、やるべきことがある」
 今は、甘えてはいけない。
 それは、互いに。
「月に、誓おう。必ず、君を迎えに行くと」
 窓の外にある、丸い月。穏やかな光を朱禁城の庭園へと注ぐその姿を見上げたルルーシュが、喉の奥で笑う。
「あんな不誠実なものに、誓うのか?」
「不誠実?」
「不誠実だろう?欠けたり満ちたり、一定の姿を保たない、不安定なもの。信用など、出来るか」
「人の心のように、か?」
「………ああ」
 頷いたルルーシュに、ならばと、剣を抜く。
「この剣に、誓おう」
「まるで、ブリタニアの騎士任命式のようだな」
 遠い、遠いその情景。かつては夢見た騎士。けれど、その情景は夢幻と、露と消え果てた。
「私は、君を守りたい。だが、今の私では、守ることができない。だから、必ず。成し遂げて、君を………」
「勝手に、しろ。お前の、好きに」
「そうさせてもらう」
 不機嫌そうな表情。けれど、剣を見下ろしているその視線に冷たさはなく、むしろ、どこか照れているようにも見えて、星刻は剣に視線を落とした。
 銀色に輝く鏡のような刃に、美しい紫水晶が、映りこんでいた。








すいません。悲恋が好きなんですけど、書いててこっちもいいかも………とか思ってます。
星刻は男前だな。うん。くろるぎさんとは違いますね!(笑)
あー。この後は急に話が飛びます。かなり唐突に飛びます。
でも、本編を見ていれば大丈夫!!(え!?)
悲恋バージョンとハッピーエンドバージョンと同時アップを目指したいと思いますので。
どうぞ、お付き合いくださいませ。もう少しで終わります、ので………




2008/7/2初出