*清けき月の下*


 白い階段、黄昏色の空、柔らかな光に包まれる空間。そこはまるで、母胎。
 退屈そうに横になっていた体が、飛び起きる。まるで、何か音を拾い上げようとするように耳に手をあて、視線を巡らす。ふわり、と凪いだ風が銀の髪を揺らす。
 赤い両眼が、楽しそうに細められた。


 華やかな酒宴の席。幾ら大宦官付の武官と言えど、所詮は“武”の者。“文”の者の領域である政治的な宴の席に参加できるわけも無く、星刻他、軍人達は皆、城中の警護の任に当たる。
 “黒の騎士団”が来るのでは、と言う情報もあるが、今の所、混乱は何一つ起きていない。
 夜の涼しい風の中で揺れるのは、城内にある木々ばかり。足音は訓練を受けた軍人達のものばかりで、いささか風情に欠ける。
 しかし、これは所詮嵐の前の静けさ。明日の婚姻の儀を前に、なりを潜めているに過ぎない。中華連邦の軍人達も、そして“黒の騎士団”も。いざと言う時に動けなければ、何の意味もない。今は、力を温存しておくべきだった。
 だが、そんな穏やかなはずの夜の気配の中に、異質なものを感じた星刻は、周囲へ視線を向ける。
 何かが、空気を乱したように感じた。
 今宵、何かが起きては困る。明日警戒を強くされては困るからだ。この夜が無事に過ぎれば、明日は祝いの席、双方非礼のないようにと、警備警護は最低限にされるはずだった。
 空気の乱れの元を探そうと、眼を凝らす。灯の乏しい庭で、その時星刻の耳は、確かに音を聞いた。
 何かの、割れる音を。
 それはたとえば、コップを落としたような、ガラス片が落ちたような、そんな音だった。
 誰かが宴席でグラスでも取り落としたか…だが、それとは違う音のように感じた。そもそも、宴席の会場とは真逆から聞こえたのだから。
「まさか………ルルーシュ?」
 近くに居た者へ持ち場を離れる旨を伝え、走る。欄干を飛び越えて建物の中へと入り、人気のない廊下を走る星刻を見咎める者など、誰一人としていない。
 辿り着いた部屋の扉を開いて飛び込むと、窓から差し込む月の光が、やけに綺麗だった。
「ル、ルーシュ?」
 窓へ向くように立っていた姿が、ゆっくりと、後ろへ傾いだ。
 そして、その向こう側に、悪魔のような緑色の瞳を狂気で満たした男が立っていた。


 剣を、引き抜く。鋭く白かった刀身は、禍々しい赤に濡れていた。破った玻璃窓の欠片が、床へと落ちる。後ろへ倒れこむ体へと、携えていた拳銃を上げ、銃口を向ける。
 だが、引き金に手がかかるより先に、目の前の玻璃窓が砕け落ち、白い抜き身の刃が向かってきた。
「貴様っ!」
 眼前に迫る刃を、体を捻って避ける。そのまま後ろへと後退して血に濡れた剣を構える。
「また、お前か!」
 いつも、いつも、いつも、自分の邪魔をする。スザクは憎悪をこめて目の前に立つ男を睨みつける。
 ようやく、自分だけの物になると思ったのに、横からこんな男に掻っ攫われるとは、全く予想もしていなかった。
「星刻様、何がっ!?」
「香凛!ルルーシュを!」
「は…っ!ルルーシュ殿っ!!」
 玻璃窓の砕ける音に気づいたのか、周囲を固めていたのだろう軍人達が寄ってくる。それを見て、流石のスザクも眉根を寄せる。訓練を全く受けていない木偶ならば、幾ら数がいようと問題ではなかったが、それなりに訓練を受けている相手と言うのは、やりにくい。
 舌打ちをして、剣を収め、銃を収めて身を翻す。
 もう少しで、手に入る所だったのに。永遠に、自分以外のどこへも逝かない所へ、連れて行けるはずだったのに、と、狂気染みた光をスザクの瞳は宿し、夜陰へと消えた。


 室内の明かりをつけ、香凛がルルーシュの体を抱えあげると、ルルーシュは口から血を吐いた。
 腹部の側に一発の銃撃、そして、心臓近くを背中まで貫いている刃の傷。
「お気を確かに!」
 苦悶に歪む白皙の美貌。外の騒がしさが収まるのと同時に、星刻が室内へと戻り、ルルーシュの傍に膝をついた。
「腹部と胸部の二箇所を負傷されています」
「すぐに医師を呼びに行ってくれ。動かすのは危険だ」
「はっ」
 香凛が走り出したのを見送り、星刻は腰に巻いている布を外し、患部の出血を止めるために巻きつける。
「っう…」
 小さく呻いたルルーシュが、瞼を押し上げる。
「ルルーシュ、気をしっかり持て。すぐに医者が…」
 大きく肩を震わせ、血を吐き出す。傷口からの出血も止まらない。このままでは………
 嫌な考えが頭を巡る。それを振り払うように頭を左右に振り、ルルーシュを見下ろした。
「ルルーシュ、私だ。分かるか?」
「………シ…ク…」
 血の気を失った白い手が、上がる。その手を掴めば、まるで死人のように、熱がなかった。
「な、んだ…その、顔………」
 嘲るような色が、口元に浮かぶ。こんな、生の希薄になった瞬間にまで、ルルーシュは“ルルーシュ”らしく、“ゼロ”らしかった。
 ………何故、こんなにも寒いのだろう。自分の手を握っている星刻の手から伝わる熱が、まるで炎のように熱い。この男は、何故、こんな風な、泣きそうな顔を、しているのか………
「………さ…むい、な………」
 赤い血に濡れた唇が、弱弱しく震える。そのまま静かに瞼が下ろされ、まるで眠りに落ちるように、穏やかな呼吸が繰り返される。握っていた手から力が失われ、床の上に落ちようとするのを引き上げるように掴む。だが、至高の色の紫は、白い瞼の下に閉ざされたまま、開かない。
「ルルーシュ?」
 呼びかけても、返事がない。剣で穿たれた傷口のすぐ側、鼓動を奏でるはずの心臓の上へと手を当てる。だが、そこからは何の脈動も感じられなかった。
 あれだけ溢れ出していた血液も、止まっている。
 何故………何故、彼女が命を絶たれねばならない?“ゼロ”だからか。多くの人々を騙し、欺き、殺めたからか。彼女自身が受けた屈辱と、背負った悪意はどうなる。全て負ったまま、獄に囚われるというのか。
 憤りか、憎しみか、寂しさか、悲しさか………感情が渦を巻いて、体の中から溢れ出そうとしているようだった。
 白い手を、胸の上で組ませ、乱れた黒髪を梳いて整える。細い体を床に横たえ、血に濡れた唇に一つ口づけ、星刻は剣を握りしめ、部屋を出た。
 その瞳は、修羅の色を湛えていた。
 そして、一人残された死者の元へ、琥珀色の瞳に涙を浮かべた少女が訪れ、手を差し出した。








くろるぎさんは、ルルが手に入らないとわかったら殺しちゃうと思います。
手に入らないならいっそのこと誰の手も届かないところに………って。
さぁて。この後星刻がどうするのか………
星刻は基本的に情熱的だと思います。表に出さないだけで。
冷静を装っている、と言うか。
ので、一度ぶちっていっちゃうと凄い強くなると思うんですが。どうでしょう?




2008/7/2初出