*悪血*


 名前を伝えて頂ければ分かります、と星刻が言うと、枢木スザクが一度退室した。その間、星刻はジノと正面から対峙していた。
「貴方は、皇帝を守るのがお仕事だ。だが、もしもその皇帝が道を踏み誤っていたら、その時はどうします?」
「何だい、いきなり?」
「例えの話です。己が主人と仰ぐ者が、歩んではならない道へと歩み始めた時、貴方は止められますか?」
「皇帝陛下は道を誤ったりしないよ」
「妄信、ですか?それは一番危ういですね」
「何が言いたい?」
 やはり、まだ若いな、と思いながら星刻は席を立ち上がった。
「シャルル・ジ・ブリタニアは、中華連邦国内の施設で人体実験を行っている」
「なっ………!?馬鹿なこと」
「馬鹿なことかどうかは、ご自分の目で、耳で確かめるといい。必要とあれば、お力を貸します。私は近々本国へ戻るので」
 不審の種を、一つ。次は、何処へ撒くべきか………そこへ、ノックもなく扉が開いた。
 淡い色のピンクのドレスに、それに合わせた豪奢な車椅子。ウェーブのかかった淡い栗色の髪色は、変わっていない。
「黎様!」
「お久しぶりです、ナナリー。いえ、皇女殿下、とお呼びした方がよろしいか?」
「いいえ、いいえ!そのままで!」
 車椅子を動かしたナナリーが、追いかけてきた枢木を置き去りにし、星刻へと近づこうとしたのを、ジノが止める。
「失礼。ナナリー様。この男は一体?」
「友人なのです。ずっと、私やお姉様に優しく接してくださいました。退いてください、ジノさん」
「分かりました」
 ナナリーの車椅子を掴んでいたジノの手が離れ、星刻はその場に片膝をついた。
「黎様」
「一年ぶり、でしょうか?もう少し経っているかもしれませんね」
 差し出されたナナリーの右手を、そっと両手で包み込む。
「御元気そうで、何よりです。けれど」
「黎様、是非、お姉様に会ってください!」
「ルルーシュが、此処にいるのですか?」
 いることはとうに知っている。だが、此処は驚いてみせる場面だ。
「黎様にお会いすれば、お姉様も目を覚ますかもしれません」
「どういう、ことでしょうか?お会いしていなかった一年に、何がありましたか?」
 その情報が、欲しい。知りたい。いや、知らなければならない。そうでなければ、星刻は自分で自分を許せなかった。
「ナナリー、駄目だ!彼はブリタニアの人間じゃない」
「そうです、ナナリー様。シュナイゼル様の許可を頂かないと」
「っ………」
「話せないというのなら、無理に聞いたりはしません。けれど、会うことが叶うなら、一目でも会わせて頂ければ」
「黎様………」
「折り紙の鶴は、折ってらっしゃいますか?あれを千羽折ると、病を治すという言い伝えが日本にはあるそうですよ」
「黎様は、それを誰から?」
「貴女に折り紙を教えた、彼女から」
 星刻の手の中から自分の手を抜いたナナリーが、膝の上で両手を合わせ、顔を上げた。
「ジノさん、スザクさん、お姉様の部屋へ行きます」
「ナナリー!?」
「ナナリー様!?いけません!」
「いいえ。決めました。シュナイゼルお兄様には報告していただいて構いません。黎様、どうぞ」
 車椅子の向きを直したナナリーが、部屋の扉へと向かった。その後ろへ、星刻が付き従う。枢木が血相を変えたように逆方向へと廊下を走って行き、ジノは、まるで星刻を、敵を見るような眼で見つめ、ついてきた。


 先程通された部屋よりは小さな、落ち着いた部屋だった。あるのは、寝台と医療機器、そして衣装箪笥と思しきドレッサー位のものだった。窓は閉められ、カーテンは揺れていない。だが、窓から見えるのは空の青い色ばかり。ということは、やはり此処は角部屋。
 都合が良かった。
「昨年、このエリア11で起きた黒の騎士団の蜂起の後、ようやく再開できたお姉様は、既にこの状態でした」
 車椅子で近づいたナナリーが、手探りで寝台にかかるレースのカーテンを引いた。
 そこには、この一年、焦がれ続けた姿が、瞼を下ろし、眠っていた。黒い髪が、肩を超すほどに伸びている。だが、その体は、一年以上前とは比べ物にならないくらい、痩せ細っていた。
「今は、何とか点滴で栄養を摂取しているような状態です。御医者様の御話では、眼を覚まさない理由は不明だ、と」
 眉根を寄せたナナリーに、星刻も心が痛んだ。彼女はきっと、何も知らされていないのだろう。何故、姉がこうなったのか、その原因を。
「触れても?」
「是非」
 ナナリーが車椅子を引き、星刻に場所を譲る。寝台に近づき、星刻は両膝を折って、寝台の上で眠り続けるルルーシュの額に触れ、ゆっくりと頬へと手を滑らせた。
「痩せたな、随分と。私は、もう、君を待つことはやめにしようと思う」
「黎様?」
「君の願いを、思いを、あまりに尊重しすぎた結果が、これだ………この一年の私の苦悩を、君は知らないだろう?いや、知ったところで、笑い飛ばすかもしれないが」
 点滴の刺さった右腕を取り、その細い指に自分の指を絡める。細すぎる指を、折ってしまいそうだった。
「君の隣で、私は生きていたい。たとえ、そこがどんな戦場でも、だ。世界を敵に回そうと、神を敵に回そうと、私は君と同じ世界を見て、歩んで行きたい。一人で構わないと言うか?君の進む道は茨の道だ。棘を払うための剣が、棘だらけの道を平らかにするための人間が必要だろう?」
 その時、星刻が合わせていたルルーシュの指が一本、ぴくりと、動いた。
「ルルーシュ。私の初恋は、あの頃から何一つ、変わっていない」
 ゆっくりと指を解き、立ち上がった星刻は音もさせずに動き、袖の内から放った縄標でジノを縛り上げ、その腰に下がった剣を抜き取った。
 そして、肩の衣服の留め具の内側に仕込んでいた無線のスイッチを入れる。
「私の居場所は分かるな?地図の示す通り、作戦通りに頼むぞ、紅月」
「貴様っ!」
「静かに願おう、ナイトオブスリー。私は何も、此処を占拠しようというわけではない。ただ、初恋の相手を取り戻しに来ただけだ」
「黎、様?」
 何が起きているのか見えていないナナリーが、怯えたように一歩分程、車椅子を後退させた。


 ナナリーが星刻を案内している間、スザクはシュナイゼルへ事の次第を報告しに行っていた。だが、シュナイゼルはその言葉を聞いても頷くだけで、止めようとはせず、むしろスザクに対して、聞きたいことがある、と留まるように言った。
 手近にあったコンピューターの画面をスザクへ向けると、そこには音楽や音声を再生する画面。シュナイゼルが再生ボタンを押すと、途端に、スザクの顔色が変わった。
「弁明を聞こうか?」
「じ、自分は………」
「皇帝陛下が知っていて君をラウンズにしたのかどうかはわからないが、私は君に、ルルーシュとナナリーの側にいることを許すわけにはいかなくなった。分かるね?」
 スザクが怒りか悲しみにか、拳を震わせたその時、総督府が大きく揺れ、爆発音のような物が聞こえてきた。















2020/8/29初出