*着火*


 奇跡でも、魔法でもないと言われた不可解な力で、ナナリーの盲いた双眸は、光を取り戻した。だが、その両脚は未だ立つことも歩くことも叶わない。そんなナナリーの座る車椅子を押しながら、ジノは、皇族という立場に生まれながら、自分を公的な場以外で決して呼び捨てにすることのない彼女の、優しすぎる心を心配していた。
 此処に来てから、既に数ヶ月が経過している。あの、エリア11総督府内での騒動は、不自然に、報道されなかった。けれど、ナナリーはそれを気にしている風でもない。何より気にしているのは、あの騒動の中でも目を覚ますことのなかった、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことだろう。
 中華連邦総領事館の中で一時的に処置を受けたルルーシュに、睡眠剤が投与されていたことが分ると、何故かジノが“黒の騎士団”から追求された。医師を手配していたのはシュナイゼルだ。皇帝の騎士であるジノがどうこうできる話でないのは分かっていただろうが、怒りのやり場がなかったのか………日本人(イレブン、というとナナリーが怒る)というのは、不思議な民族だと思った。
「ナナリー様」
 呼ばれたナナリーが顔を上げると、一人の女性が近づいてきた。彼女は、篠崎咲世子という日本人で、ルルーシュとナナリーがアッシュフォード学園で暮らしている際に、身の回りの世話をしていたのだという。ナナリーは殊の外、彼女を信頼しているようだった。
「どうかしましたか?」
「少し、よろしいでしょうか」
 言葉を濁した咲世子に、ナナリーが首を傾げる。促されて向かった先は、ルルーシュが眠っている部屋だ。
「先程、黎殿から連絡がありました」
「黎様から?何と?」
 ジノは、この咲世子という女性のことも、ましてや自分達を此処へ連れてきた黎という男の事も信用していない。あの男は、自分が連れてきたにも関わらず、ナナリーの事もルルーシュの事も放置しているのだから。
「ブリタニアが、中華連邦と手を結ぼうとしている、と」
「それは、どう言った意味で、でしょう?」
「ブリタニア帝国の第一皇子が、中華連邦の天子様と婚姻を結ぶ、とのことです」
「まあ!オデュッセウスお兄様が結婚!?お相手の天子様というのは?」
「その………年齢が、ナナリー様とあまりお変わりない方で」
「え?」
「それは、同盟というよりは実質的な人質、でしょうね」
 ジノが口を挟むと、咲世子は小さく頷き、ちら、と眠るルルーシュを見た。
「黎様は大変怒っていらっしゃって、黒の騎士団幹部の方々も、良くない状況だと、会議を開いてらっしゃいます」
「もしも、そのお話が纏まったら、どうなるのでしょうか?」
「我々は、この島から追い出されることになるかと」
 ブリタニアが中華連邦と手を結ぶ、というのはそういうことだろう。今“黒の騎士団”が借りている場所は、中華連邦が所有する人工島だ。敵対する勢力を、自分達の土地に住まわせるわけはない。だが、そうなれば彼らは行き場を失う。エリア11を飛び出してきたのだ。今更戻る訳にもいかない。そうなれば、彼らに保護されているルルーシュとナナリーも、行き場を失うことになる。
 最悪の場合を考え、調査があると言ってこの場を離れているジェレミアにも相談しておくべきか………『皇族を守る』という一点において、ジノと彼の利害は一致している。
 そこへ、紅い風が入り込んできた。


 突然入室してきたのは、紅月カレンだ。黒の騎士団のエースパイロットだという。自分より一つ年が上で、ルルーシュとは同じ教室で勉学していたのだという。ブリタニア人と日本人とのハーフだと言うが、彼女がジノへ向ける目は、憎しみの籠もった目だ。
 だが、その日はジノへ目も暮れずに、真っ直ぐにルルーシュの眠るベッドへ近づくと、突然腕を振り上げ、振り下ろした。
「カレンさん!」
 ナナリーの悲鳴にも似た声に、ジノが動くよりも先に咲世子が動き、その腕を掴み上げていた。
「カレン様、何をされますか?」
「離してよ!引っぱたいてでもこいつを起こすの!」
「おやめください!」
「おかしいじゃない!睡眠剤はとっくに抜けてるって聞いたわよ!」
 力強く咲世子の腕を振り払い、カレンの腕はもう一度振り上げられた。だが、その腕は振り下ろされる前に、ジノが掴んだ。
「皇族への暴力は看過出来ないな」
「うっさい!ブリキ野郎は黙ってな!」
 ジノを殴ろうと飛び出してくるもう片方の腕を掴む。彼女は、対人戦も苦手ではないようで、その速さに不謹慎にも、ジノは口笛を吹きたい気分になった。
「君とは一度、本気で戦ってみたいな」
「ふざけないでよ。あんたなんか、叩きのめしてやるから」
「おぉ、怖い」
「お二人とも、喧嘩は………」
 咲世子が止めに入るが、カレンが腕を引かない以上、ジノも腕を引くわけにはいかなかった。
「大体、こいつがとっとと起きれば話は早いのよ!ルルーシュのくせにいつまでも寝てるなんて、らしくない!」
「………………る、さい」
「え?」
 ジノとカレンが、同時に顔を同じ方向へと捻った。
 ゆっくりと、長い睫毛が震えて、瞼が押し上げられる。その下から現れたのは、妹のナナリーよりも色が濃く、深い、紫色の右目と紅く染まった左目だった。
「お姉様!」
 ナナリーが、車椅子から転げ落ちそうな勢いで前へ行こうとするのを、咲世子が助けてその上半身をベッドへ乗せてやる。
「お姉様!ナナリーです!わかりますか?」
 ナナリーの手がルルーシュの右手を握り、顔を近づける。ルルーシュの顔がゆっくりと右側へ動いて、ナナリーを見ると、その左目から静かに、涙が一筋、零れた。
「ああ」
 少し低めな掠れた声が、小さく呟く。その声を聞いたナナリーが、小さな子供のように泣き出した。


 医師の診察が終わった事を確認すると、ナナリーはすぐにルルーシュに近づこうとしたが、それをC.C.が止める。ジノには、この少女が一番謎だった。一体、何者なのか………
「ルルーシュ、目を見るぞ」
 まだうまく声を出せないルルーシュが、首を縦に振る。C.C.が近づいて、その左目をのぞき込んでいたかと思うと、小さな箱を取り出した。
「特殊なコンタクトだ。左目を開けていろ」
 C.C.が、よし、と呟いてナナリーを呼ぶ。ナナリーは車椅子をベッドへ近づけて、ルルーシュの手を握りしめた。
「お姉様」
 それ以上言葉はいらない、とばかりに、ナナリーはルルーシュの右手を自身の両手で包み込んで、離さない。
「ルルーシュが起きたなら、動く準備をしておかないと。咲世子さん、事情を説明しておいてもらってもいい?」
「承知しました」
 カレンはそれだけ言うと、何故か楽しそうに部屋を出て行く。ルルーシュは視線を動かして一度ジノを見たが、すぐに咲世子へと視線を向けた。
 そこから、小一時間程かけて咲世子が、現在の世界情勢、ナナリーがいる理由、事情(当然ジノの事は省かれた)等を説明して、しばらく考え込んでいたルルーシュが、声が出ない代わりか、唇だけを動かした。
『藤堂、ディートハルト、ラクシャータを呼べ』
 と。















2020/11/14初出