*晴空*


 その日の天気予報は、麗らかな春の日差しの気持ち良い一日になるでしょう、と言うニュースの言葉通りになった。
 足元には緑豊かな芝生、その下にはきっと豊かな土がある。だから、この庭に咲いている花々は全て美しく、生き生きとしているのだろう。そう思って、一輪、目の前で咲いている真っ赤な薔薇を手折った。
 ここは、温かい庭だ、と空を仰ごうとした瞬間、首筋にひやりとした感触を覚えた。
 視線をその冷たさの元へ落とせば、そこには、鋭い銀の刃があった。それは、長い槍の先。
「立て」
 降って来た冷たい声に、ゆっくりと立ち上がる。冷たい声は、「振り返れ」と言った。
 そして、振り返った瞬間、頬に痛みが走った。
「何処から入り込んだか知れんが、此処が何方の宮かわかっての狼藉だろうな?」
 見上げれば、それは軍服を着た男。隣にももう一人、同じ制服を着た男が立っている。どちらも、その手に槍を持っていた。
 彼らは、この宮を守る衛兵なのだろう。ならば、得心が行く。庭に見慣れない子供がいたのだ。咎めるのが仕事なのだろう。だが、だからと言って、唐突にこれはない………そう思って、子供が顔を上げようとした時、芝生を踏む足音がした。
「私が彼に摘んできてくれと頼んだんだ」
 それは、軽やかな、子供の声。小さな足音に、衛兵二人が敬礼を取る。
「薔薇には棘があるからと、触らせてもらえないから摘んで欲しい、と」
 腰ほどまでは届かないが、長い黒髪に小さな紫色のリボンを一つつけた少女が、リボンと同じ紫色のドレスの裾を抓んで、歩いてくる。
「それに、彼は今日来ている母上の来客のご子息だ。何の問題もないが?」
 少女の言葉に、衛兵達の顔から、さっと色が引いていく。そして、きっちり九十度に体を折るようにし、「失礼しました」と叫ぶ。
「よい。それが君達の仕事だろう?けれど、今度からは相手が子供の時は少し手加減をしてあげて欲しい」
「イエス・ユア・ハイネス」
「もう一輪、薔薇を摘んでくれないか?同じ赤いものを」
 突然顔と声を向けられて、慌てて同じ位の大きさの薔薇を手折る。それを差し出すと少女は受け取り、衛兵達に屈むように言うと、胸元にあるポケットに、それぞれ一輪ずつを差した。
「うん。白い服に良く映える」
「も、勿体無いお心遣いを!」
 感激したように、衛兵二人は頭を垂れている。その二人へ少女は労いの言葉をかけ、見回りを頼んだ。すると、衛兵二人は力強く敬礼し、屋敷の方へと戻っていく。
 それを見送った少女が、中途半端に腰を落としたままの少年へ視線を落とす。
「あれは届くか?」
「あれ?」
 言われて、少女の指し示す視線の先には、先程とは違う、白い薔薇。少女の身長では到底、届かない高さにあった。
「背伸びをすれば、恐らく」
「では、取ってくれ」
 言われて、少年は何とか背伸びをして届く位置に咲いている白い薔薇へ手を伸ばし、棘に刺されることもなく、無事に手折った。
 それを少女に手渡すと、少女はくるくると手の中で回転させていたかと思うと、少年に屈むように言った。
 先程の衛兵のように、自分の服にはポケットがない。何処に差すつもりなのだろうか、と不思議に思っていると、頬を撫でられた。
「大丈夫か?」
「痛みは、然程ありません」
「すまない。彼らはあれが仕事だから」
「自分が、勝手に庭へ入ったので」
「母上から許可を貰ったのだろう?」
「あ、はい。庭で遊んでいい、と」
「なら、問題ない」
 すると、突然、少女が吹きだした。
「え?」
「似合うとは思ったけど、やっぱり似合う」
「あ!」
 言われて薔薇の行方を捜せば、何故か自分の髪に挿してある。それも、左耳の少し上辺りに。
「髪が、長いから、女の子みたいだ」
「自分は、男です。これは、家訓のようなもので、伸ばす義務が………」
 笑っている少女が、そのまま少年の手を掴んだ。
「母上から許可を頂いたんだろう?私も今日は勉強が終わった。遊んでいい時間だ!」
「え?あの」
 少年の手を掴んだまま、少女は駆け出し、薔薇の咲いている場所を抜け、小さな白い花が咲いている場所へとやってきた。
「花冠を作るんだ」
「花冠?」
「そう。妹がまだ勉強が終わらないから、お土産に」
 言いながら、白い花を摘んでいき、器用に花の枝を編んでいく。それを見ながら、少年もまた花冠を編もうとした。
 けれど、それは、白い花ではなく、所々に混じって咲いている、紫色の花で。彼女が髪につけているリボンの、彼女の着ているドレスの、彼女の輝く瞳と同じ、紫色で。
 黙々と花冠を作っていると、遠くから声が聞こえた。
「よし。出来た」
 小さな、白い花冠を完成させた少女が立ち上がる。そこへ、少女より更に小さな少女が勢い良く駆け込んできた。
「お姉様ばっかりずるい!」
「私は、勉強は得意なんだよ。はい」
 言いながら、少女の柔らかい亜麻色の髪の上へ、白い花冠を載せる。
「勉強を頑張ったご褒美」
「ありがとう、お姉様!」
 わぁい、と言って花冠を押さえながら庭を走り出した少女を見て、満足そうに頷いている少女の黒髪の上へ、少年は、少し不恰好ではあるが、何とか丸い形に出来た花冠を、載せた。
「お礼、と言うには申し訳ないが、助けていただいたので」
「………あ、ありがとう」
「あ、お姉様、可愛い!」
「ナナリーの方が可愛いよ」
 飛び込んできた妹を何とか受け止めた少女が、笑いながらその頭を撫でる。
 そこへ、少し大きな足音が二つ、近づいてきた。
「有意義なお話をありがとう御座いました」
「いいえ。少しでもお役に立てれば」
 一人は、少女達の母。そして、一人は少年の父だ。
「まあ、まあ。三人とも頭に花を載せちゃって。ごめんなさいね、娘達に遊ばれちゃったでしょう?」
 髪に白い薔薇を挿したままの少年を見て、少女達の母が小さく笑う。
「い、いいえ!そんなことは、ありません!とても楽しかったです!」
「そう?なら、良かった」
 畏まって直立不動になった少年は、何とか頷いた。
「さあ、ルルーシュ、ナナリー、お客様がお帰りですからね。きちんとご挨拶して」
「本日は、ご来訪ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「こちらこそ、長居をしてしまって申し訳ありませんでした。愚息とも遊んでいただき、ありがとう御座います」
 父が頭を下げるのに合わせて、少年も頭を下げた。
 そして、その宮を後にした。その時に父が零した言葉を、よく覚えている。
「他の宮にも足を運んだが、此方が一番温かく、優しい気がする」
 少年にとって、その日の経験はその父の言葉と共に、一生忘れられないものとなった。
 あの時、少女が助けてくれなければ、もしかすると自分はもっと酷い目に合っていたかもしれないのだ。あんな、不恰好な花冠一つで、お礼が出来たとは到底思えない。
 いつかもっと大人になったらきちんとお礼がしたい、そう、思っていた………















2018/11/29初出