*空色*


 日曜日。街中には人が溢れ、活気が溢れている。けれど、その街中を歩く人々の顔ぶれは、元来、この国に住まう民族のそれではなく、この国を侵略し、征服した者達の顔だ。
 いつか、自分の故郷も、このようになってしまうのだろうか………活気には溢れていても、無機質で、培われた文化的な素地を破壊された街が作られるような、そんな国に。
 昨夜とは打って変わった、少しの白い雲が浮かぶ青空は、そんな無機質な街をじりじりと焼くようで、傘を持つ自分は、街の景色から酷く浮いていた。
 けれど、傘を返すと約束をしたのだ。行かないわけにはいかないし、自分自身、行きたい、と思っているのだ。むしろ、その気持ちが強すぎて、足が逸る。
 生きていたのだ。失った光が、亡くなった人が、確かに、昨日、自分の目の前にいた。
 父に守られ、微温湯の中で穏やかな日々を過ごしていた自分にとって、あの経験は、冷たさと鋭さを浴びた後に、まるで、温かな太陽の光を浴びるようだったのだ。
 あれがなければ、今の自分は、ない。きっと、父を失い、家を失ったのと同時に、己が命すら自ら失っていただろう。
 だから、もう一度、会う必要がある。
 本当に、本物だったのか。
 自分の強い願望が見せた、幻影ではなかったのか、を。


 アッシュフォード学園、と書かれたプレートの掲げられた門扉を抜け、昨晩通された建物へと向かう。その建物は、校舎とは別棟として建てられていた。
 階段を上がり、チャイムを鳴らすと、扉が内側から押し開かれた。
「………何の、用だ?」
 不機嫌そうな顔が覗き、歓迎されていないことが分かる。だが、扉を閉められたりしないように、半身を扉の内側へと滑り込ませ、傘を示した。
「昨晩お借りした、傘を返しに」
「そんなのは、ただの口実だろう?入れ」
「いいのか?」
「貴様には、聞きたい事がある」
 向けられているのは、不信の目。昨晩、通報しないと言ったことを信用されていないのか、黎星刻と言う存在自体を信用していないのか、或いは、両方………その可能性が一番高いな、と心中で苦笑しながら、傘を渡し、それが傘立てへいれられるのを見ていると、こちらだ、と示された。
 それは、昨晩“彼女達”が食事を取っていた場所、リビングと思われた。
 しかし、通されたそこには、誰もいない。
「貴様が来るかもしれないと考え、妹は外出させた」
「使用人の女性と、か?」
「一人でなど外出させない。危険が多すぎるからな」
「使用人の女性は、日本人に見えたが?」
「それが、何だ?」
「一般的に、ブリタニア人が日本人を雇うのは少ないと聞いていたので」
「他はどうだか知らないが、俺は別に日本人が嫌いなわけじゃない」
「イレブン、とは呼ばないんだな」
「無論だ。人を数字で呼んでいい理由など、何処にもない」
 椅子を指し示され、座るように促される。暫く待っていると、奥から、トレーへ茶器を載せて戻ってきた。
「君は、家事をするのか?」
「当たり前だ」
 手際よくソーサーとカップを並べ、紅茶を注いでゆく。その細い指は、どう見ても女性のそれであるのに、何故、誰も彼女が女性だと気づかないのか………
 正面に座り、頬杖をついた少女の眼が、値踏みをするように星刻の頭から胸元辺りを見る。
「貴様、何者だ?」
「中華連邦の武官、黎星刻と言う」
「武官?」
「現在は、宮城周辺の警備副責任者をしている。来年辺りには、大宦官の警備担当に配置換えになるだろう」
「何故そんなことが分かる?」
「私が優秀だからだ」
「随分と、傲岸不遜な………」
「そうでもなければ、上にはいけない」
「上?」
 砂糖を入れない紅茶に口をつけ、真直ぐに少女の眼を見る。
「私には、目標がある。その為には、少しでも早く、上に、中央に近づかなければ」
「………貴様の目標などはどうでもいい。何故………」
「貴女達のことを知っているか、か?」
 言葉には出さずに、視線が強く、そうだ、と訴えてくる。
「私が初めて会った時、貴女の髪は長く、紫色のドレスを着ていた。衛兵に声をかけられ叱咤されている私を助け、妹君のために白い花の花冠を編んでいた」
「花、冠………まさか、貴様、あの時の」
 驚きに見開かれていく双眸に、星刻はようやく、ほっと息をついた。
「思い出していただけたか?」
「女みたいに髪が長かった少年か!」
「………今も、長いんだが」
 あの時も長かったが、あれから五年以上を経た今は、更に長くなっている。
「それで、俺達を知っていたのか」
「亡くなった、と聞いていましたが、ご存命で何よりです」
「何が、いいものか」
「え?」
「いつか知られる、平穏な日々が壊されることを考えながら暮らす日々が、いい日々なものか」
「今は、平穏ですか?」
「退屈な学生生活を満喫する位には、な」
 皇族であったことをひた隠しにしながら生活する日々は、決して、安穏とは言い難いのだろう。
 震えるように握られた拳を見て、星刻は携帯電話を取り出した。
「紙とペンはありますか?」
「あるが、何に使う?」
「貸していただけますか?」
 立ち上がり、近くの棚から紙とペンを取り出して渡される。それへ、星刻は取り出した携帯電話の番号を転記した。
「私の携帯電話番号です」
 滑らせた紙を、細い指が押しやる。
「不要だ」
 星刻は逆に、押しやる為に伸ばされた手を掴み、その掌の中へ紙を握らせた。
「それでも、渡しておきます。もしも貴女達がこの国で生き辛くなったり、正体が知られるような危険があれば、知らせて下さい」
「何故?」
「貴女達を、助けたい」
「どうして?」
「今の私では、匿うと言う程のことは出来ないかもしれない。それでも、手助けできることは手助けしたい」
「だから、何故だ?貴様にとってもリスクだろう?」
「確かに、リスクです。けれど、それ以上に私にとって、貴女は光だった」
 星刻にとっての光、心折らずに生きてこられた、たった一筋の………
「貴女達の宮を去って、暫くして、父が亡くなりました。正直、陰謀としか思えない、冤罪で殺されました。私は、下級の身分まで一気に落とされた。到底、宮城や貴女達が住んでいた宮になど、出入りを許されないところまで」
 絶望だった。住む家すら奪われたのだ。一族郎党が死に至らなかっただけでも、あの国の政治基盤では、奇跡だった。
「そんな状況の中、私の心の支えは貴女だった。異国の地で触れた優しさというものは、いつまでも心に残るものです」
「貴様………本気か?」
 疑わしそうに見てくるルルーシュの視線を正面から、真直ぐに受け止める。
「本気です。平穏な日常が崩れそうな気配があれば、連絡を下さい。出来る限りのことはさせて頂く。いつでも、待っています」
 今の星刻に出来るのは、精々その程度だ。だからこそ、いつまでも待つつもりだった。














2019/1/29初出