*白日*


 一冊の本と、小さな贈り物を手にした星刻は、再びエリア11―かつての日本―へと来ていた。
 再開のあの日から数ヶ月。彼女は高等学校へと上がっているはずだった。少し遅れてしまったが、入学祝、というものを贈りたかった。今日訪問する旨は連絡済みだが、返事はなかった。
 今の星刻に、親類縁者はいない。父が殺されてから、数少なかった親類縁者は皆掌を返して、身近な場所から去っていった。及ぶかもしれない累を避けるためだったのだろう。だから、こういった“祝い事”とは無縁だったのだ。
 例の如く、学園の敷地へ足を踏み入れる。休日のせいだろう、生徒の姿はちらほらと見える程度だった。
 こんなにもあっさりと部外者が入れてしまうことに、星刻は少し心配だった。セキュリティは大丈夫なのだろうか?隠しているとはいえ、此処にはブリタニアの元皇族が二人も住んでいるのだ。それとも、それを悟らせないために、必要最低限の“学校”に相応しいセキュリティレベルにしているのだろうか。
 到着した棟の玄関脇にあるチャイムを押すと、暫く待って扉が内から開けられた。開けたのは、以前見かけた使用人の女性だった。
「いらっしゃいませ」
 大きく開けられた扉の内側へ招かれ、今度は前回ほど毛嫌いされていないようだと、心中で苦笑する。
 リビングへと案内されると、そこには姉妹が揃って座っていた。そして、星刻を見た途端に、ルルーシュの双眸が鋭く細められ、小さな溜息が零された。
「本当に来たのか。暇なのか?」
「普通に休暇をとりました」
 大宦官付の武官は、何も一人につき一人だけではない。交代することも可能だ。24時間365日寝もせずに番をすることなど不可能なのだから。
 すると、ルルーシュが立ち上がった。
「咲世子さん、買い物を頼めるか?」
「留守にして、よろしいのですか?」
「ああ」
 言われた使用人―咲世子が、一度不信そうな視線を星刻に向けたが、当然の反応だろうと思う。だが、ルルーシュの言葉に頷き、外出していった。
「座れ。今お茶の用意をする」
 ただし、ナナリーの横には座るなよ、と言われ、星刻は「では正面を」と、椅子に腰を下ろした。その声を聞いていたナナリーが、ころころと可愛らしい声で笑う。
「お客様がいらっしゃると聞いていて、何方かしら?と思っていたんです。以前、お兄様がお連れした、雨に濡れた方ですよね?」
「ええ。黎星刻と言います」
 そういう認識なのか、と理解し、ナナリーには何も話していないのだろう、とそれ以上言葉を紡ぐのを止める。
 暫くの沈黙を断つように、ルルーシュが茶器類の載ったトレーを持って台所から出てきた。そして、カップをそれぞれの前へ置き、紅茶を注ぐ。
 ナナリーの横に座ったルルーシュが、その手をゆっくりと紅茶の入ったカップへと導いてやる。彼女は、眼が見えないのだ。
「ナナリー、この男は私達のことを知っているんだ」
「え?」
「昔、一度会っているんだよ」
「私も、ですか?」
「そうだ。お前に言うのをどうしようか迷ったが、何かあった時に事情を知っている者がいるのは心強いと思って、紹介することにした」
「何処で、お会いしたのでしょう?」
 ルルーシュから視線を向けられて、星刻は頷いた。
「アリエスの離宮です。今日は、その時に頂いたものを持って来ました」
 持っていた本の頁を繰る。そこには、二度と見る気のなかったものが、挟んであった。
「どうぞ」
 ルルーシュとナナリーの前に差し出す。それが何であるか、ルルーシュはすぐに気づいたようで、驚いたように星刻を見た。差し出されたそれに手を伸ばそうとするナナリーに助け舟を出してやり、ルルーシュはそれに触れさせた。
「これは、お花、ですか?枯れていますけれど、薔薇のお花、みたいですね」
「はい。一度だけ、アリエスの離宮にお伺いした折に、ルルーシュ皇女殿下から頂きました」
 星刻が“皇女殿下”と呼んだことに、ナナリーがルルーシュを見上げた。その肩を、ルルーシュの手が強く握る。
「お姉様………」
「なあ、ナナリー。いつまでアッシュフォードが私達を匿ってくれるとも分からないこの状況は、不安定なものだ。もしも、万が一、私達の素性が知られるようなことになれば、また、政治の道具にされるだけだ」
「………………はい」
「この男は、中華連邦出身だと言う。私達には、あまり逃げる場所は多くない。もしも本当に、万が一、此処から去らなければならなくなった時に、行く場所は必要だ」
「黎様は、そのお話をお姉様に?」
「はい。させていただきました。何かあれば連絡を下さい、と。大したことは出来ませんが、つい先日、先代である父が所有していた家が手元に戻ってきたので、棲家だけはご提供できるかと」
「どうして、黎様はそこまで?」
「今、ナナリー様の手元にある花が、理由です」
「このお花、ですか?」
 ナナリーの指が、花の輪郭を辿る。
「まさか、まだ持っているとは思わなかった」
「思い出の品です。それから、少しの下心で」
「下心、ですか?」
 不思議そうにナナリーは首を傾げ、ルルーシュが不信そうな視線を向ける。
「実は、私の初恋はルルーシュ様なので」
「は?」
「え?」
「ですので、出来ればナナリー様には応援していただけると助かります」
「まあ!それは是非、応援いたしますわ!」
「ありがとうございます」
「待て待て待て!何だ、その話は!」
「最初から言っていたら、警戒されてしまいますから」
「お姉様」
 ナナリーが、ルルーシュの手を辿るようにして握り、力を籠める。
「ずっと、お姉様には苦労ばかりかけてしまいましたから、少しでも肩の力が抜けるのでしたら、是非、デートでも!」
「しない!何でそうなる!」
「しないんですか?」
「しないだろう?会って一度や二度で簡単にデートなどするものではない」
 しょんぼりとしてしまったナナリーに、紅茶と一緒に持ってきたお茶請けのクッキーを進め、星刻にも紅茶を飲めといい、ルルーシュは自分の前に置いたカップの紅茶を一息に飲み干した。
「それから、こちらを」
 持って来ていた小さな包みを、一つずつ二人の前に置く。
「ささやかですが、ルルーシュ様は高等部に入学する年齢だったはずですので入学祝を。ナナリー様にも進級祝いです」
 それは、普段使える様にと考えた、ハンカチだった。ささやかではあるが、何か、二人と繋がりを持っていたいと考えた、星刻なりの祝いの気持ちだった。
「とても、嬉しいです。ありがとうございます、黎様」
「いいえ」
「是非、またいらしてください。中華連邦のお話も聞きたいです。今、何が流行っているか、とか。ね、お姉様」
「ナナリーが、そう言うのなら、まあ、また来てもいいぞ」
 照れ隠しの様なルルーシュの言葉が星刻にはとても嬉しく、綻ぶようなナナリーの笑顔が、穏やかな日々を思わせるものに思えた。















2019/6/2初出