*玄冥*


 中華連邦へと戻った星刻は、忙しくしていた。大宦官付の武官としての仕事は多忙を極め、その合間に、ようやく戻ってきた屋敷の修繕や手入れに時間を割かれていたからだ。
 時折、息抜きのようにルルーシュへメールを送ることはあったが、返事があることすら稀で、直接会うこともなかった。
 あの日、この屋敷へ再び足を踏み入れた日に出会った少女の口から語られた話は、到底事実とも真実とも思えず、努めて星刻は忘れるようにしていた。
 それでも、父が書斎にしていた部屋へ入れば、本棚を見れば、思い出さないわけにはいかない。こちらからしか開けられない“表の扉”だと言われたが、唐突に駆け込んできた少女の姿を見て、向こう側から突然人がやってこないとは言い切れないのだ。だからと言って、二度と使うことの出来ないように、固めて封じてしまうことも出来なかった。
 あの日やってきた少女は、幾許かの話を星刻にした後、日本へ行くと言い、いつか返すとは言っていたが(多分返ってこないだろう)路銀を拝借して、出て行った。その後の行方は不明だ。追う手立てすら、星刻にはない。
 今年は訪れることが出来ないが、進級祝いの言葉をメールで送った。数日経って返ってきた感謝の言葉に、星刻の心は少しだけ晴れやかになった。
 この国は、何も変わらない。父が殺される前から、ずっと。
 民は貧困に喘ぎ、官は汚職に塗れ、権力は一握りに集中し、国の本来の権力者であり象徴である幼い天子は傀儡同然。だが、その幼い天子だからこそ、星刻は光を見出した。
 善を善と、悪を悪と認識し、言葉に出来るその素直さと純粋さは、今のこの国に最も足りないものではないだろうか、と。
 軍は、既に疲弊しきっている。特に、各国との国境を守る為に配置されている者達は。中でも酷いのは、ブリタニアとの国境線だ。中華連邦独自に開発したKMFもあるにはあるが、それでも、神聖ブリタニア帝国との技術力の差は、いかんともしがたい。インド軍区の力を取り込んでも尚、追いつくのは至難の業かもしれないのだ。
 そんな情勢の中で、かつての日本―エリア11は、不安定な状況だ。常にエリア内の何処かでテロや暴動が発生し、日本を取り戻すことに血道を上げている兵士達は、それでも良くやっている方だと、星刻は思う。
 同じ状況になった時、恐らく今の中華連邦の軍隊では、侵略された祖国を取り戻すために何年も、何年もかけて侵略者との差を縮めていくことは出来ないだろう。噂でしかないが、日本独自にKMFを開発しているとも聞く。その軍事資金の援助を、中華連邦が行っているとの話すらある。
 この国は、何処へ向かっているのか。国の舵取りをしている大宦官達の頭の中は、己が得ることの出来る富と名声、権力でいっぱいだろう。国の未来など、描かれてはいないのかもしれない。
 大分片付き、住むことが出来るようになった屋敷の中で、手付かずなのは庭だ。庭師を入れて綺麗にしてもらうべきなのだろうが、今はそこまでの余裕がない。時間を見ながら自分の手で地道に草を抜いていくしかないのか………と、茫々と茂る草を見ながら溜息をついた時、付けっぱなしにしていたテレビから、速報が流れてきた。
『エリア11の総督を務めていた神聖ブリタニア帝国第三皇子、クロヴィス・ラ・ブリタニア殿下が、逝去されたとの報が入ってきました。詳しい状況は、現地からの中継が入り次第………テロリストによる犯行との話も入ってきており、情報が錯綜しております』  星刻の背筋に、悪寒が走った。何か、良くないことが起こるのではないか、そんな風に思い、ルルーシュにメールをしようとして、留まる。
 何を聞く?何を尋ねる?無事か、と?危険はないか、と?
 今までは他愛もない会話だった。だが、そんなことをメールとして残し、誰かに見られでもしたら、それこそ、彼女達の立場が悪くなるのではないか?
 星刻はそして、結局メールを諦めた。電話の方がいいかもしれない、と考えたからだ。録音されない限り、残らないだろうと。
 だが、何度コールしても、時間を変えてかけても、彼女が呼び出しに応じることは、なかった。
 勿論、着信履歴が残っているだろうに、折り返しかかってくることもなかった。


 そうこうしている内に、世界は、エリア11は、怒涛の渦へと巻き込まれていった。
 星刻の到底手の届かない場所で、次から次へと災禍のような出来事が起きていった。
 それでも、ルルーシュからの応答はなかった。まるで、故意に星刻からの着信を拒否しているかのように。
 これならば、ナナリーの携帯電話番号も聞いておくべきだったのではないか、と後悔したが、遅い。今の状況下では、おいそれと星刻がエリア11へ足を踏み入れることも適わない。何か、都合の良い口実でもあれば話は別だが、そんなことは到底起きなかった。
 時間だけが過ぎ、事件だけが起き、星刻は取り残されていった。
 世界で、今、一体、何が起きている?
 エリア11に突如出現した“ゼロ”とは、何者だ?
 その仮面の下には、誰がいる?
「最初に“ゼロ”が出現したのは………」
 時系列に“ゼロ”の動きを追い、それに付随する“黒の騎士団”の動きを追う。彼らの関わった事件の時間や場所、結果起きた出来事を分析していく。
 “ゼロ”の目的は何だ?もしも自分がその立場であったならば、何を目的とする?エリア11を、日本を解放するだけが目的ならば必要なさそうな作戦も、一見すると見受けられるような気がする。
 そこに、何か規則性はないのか?法則性や理念のようなものは?
 “黒の騎士団”は弱者の味方だと言う。それは、ブリタニア人であろうと日本人であろうと、弱者であるのならば、関係ない、と。その言葉は“ゼロ”が日本人であると仮定すると、絶対に出てこない言葉だ。ならば“ゼロ”は日本人ではないのだろう。弱者ならばブリタニア人も助ける、ということになるからだ。その意図する所は何だ?弱者を守るために存在する、ということか?
「あの仮面は、何を隠している?」
 何を隠すための仮面だ?顔、声、身分、素性、それら諸々全てだろう。隠さなければならないような立場にあるということだ。公に顔を出せない人間………
「手元にある情報だけで判断するな!」
 そんなことは、ないはずだ。きっと。
 手元にあった携帯電話が震え、相手を表示する。咄嗟に通話ボタンを押した。
「ルルーシュ!」
 驚いたように、電話口の向こうで息を飲む音がした。そして、幾許かの間を置いて、喉の奥からこみ上げる笑いを必死に押し殺すかのような、笑い声。
「どうした?」
『いや、お前が、俺を名前で呼んだのは初めてだと思っただけだ』
「あ………申し訳ない」
『いいや。その方が、俺も助かる。堅苦しいのは苦手だ。悪かったな、電話にもメールにも返事をしなくて』
「ああ。何度かけても出ないので、心配していた。ニュースで、エリア11がかなり頻繁に扱われているから」
『ああ。騒々しいことこの上ないな』
「君達は、無事なんだな?二人とも、怪我などはしていないか?」
『大丈夫だ。ナナリーには基本外出させていないし、咲世子さんもついている』
「君は、どうなんだ?」
『俺か?………特に何も。相変わらずだ』
「私に出来ることがあれば、何でも言ってくれ。何でもしよう」
『酔狂な奴だ。俺の事など………すまない。生徒会で呼ばれた。またな』
「ああ」
 遠くから自分を呼ぶ声に答えたルルーシュに、平和な場所にいるのだと、その時の星刻は少しの疑いを持ちつつも、安堵していた。















2019/11/23初出