*最愛の骨と血-T-*


 新聞に踊る記事。それは、今、巷を騒がせている猟奇的事件を追うものだった。猟奇的、とは言っても、毎日人が殺されているわけでも、死体が夥しい数出てくると言うものでもない。
 それは、怪奇であり、異様である事件…そう言う点で、猟奇的なのだ。
 科学の発達した時代において、一体何を言っているのかと、誰もが疑いたくなるような事件。
 人々は皆、その事件を“吸血鬼事件”と呼んでいた。


 巷を騒がせる“吸血鬼事件”。それは、必ず、夜も更けた時刻に起こる。夜、一人で往来を歩いていると、突然何処からともなく、羽音のような音が聞こえ、気づくと目の前に誰かが立っている。そして、白昼夢でも見るように意識を数瞬なくして気づくと、体のどこかに、まるで獣に噛みつかれたような傷跡が残っている…というものだ。今のところ死者は出ていないが、貧血症状などを起こし、道路へ倒れこむ者などもいることから、危険な事には変わりない。
 警察だけではなく、軍まで関わり犯人を挙げようとしているが、まともな目撃証言は愚か、何がしかの証拠品も皆無に等しいと言うことで、両者ともに白旗を上げている状態だった。
 そして、この事件は既に、一月以上、続いている。
 枢木スザクもまた、この事件を追う人間の一人だった。夜間警護に人手が足りないとかりだされ、暇な部署ゆえに、上司からは簡単にO.K.が下りたと言う。
 スザクが所属するのは、軍内部の技術部。ここでは日夜、様々な道具が開発され、世に送り出されている。今は、“吸血鬼事件”の犯人を捕まえるべく、有効な道具はないかと尻を叩かれているが、犯人がどういった者なのかも分からずに、有効な道具など作り出せるわけもないと、皆ぼやき、そのために、暇なのだ。
 夜間警護と言うことで、携帯が許可されているのは、拳銃が一丁のみ。後は、追跡をするのに必要な、蛍光塗料の入ったカプセル。これは相手にぶつけ、発見し易いようにするための物だ。
 だが、こんなものが、一体何になると言うのだろう。相手は、何の証拠も残していかないような相手なのだ。そう簡単に、捕まえられるとは思えない。
 人も疎らな夜半。事件さえなければ、賑わっているのであろう繁華街の往来とて、酔客が危うい足取りで歩いているだろうに…今は、スザク以外に人影がない。確かに、こんな場所で襲われでもしたら、一般市民は成す術がないだろう。誰かに助けを呼ぶ暇すら、ないかもしれない。
 周囲へ視線を光らせながら、そんなことを徒然と考えていると、急に冷え込んだ気がして、スザクは剥き出しの腕を摩った。
 その瞬間、人の気配を感じて振り返り、そのまま、懐に手を入れ、拳銃のグリップを握り、引き出す。そして、その勢いのまま、本能に任せて、銃口を向ける。
 と、目の前に、自分とそう年の変わらない青年が立っていた。
 闇色の髪、紫水晶色の瞳、白い肌、そして、纏う黒衣。
「君は?」
「俺の速度に、よく追いついたな」
「何?」
「後ろから忍び寄って、俺の気配に気づいた上に拳銃を向けてきた人間は、お前が初めてだ。少し、油断したな」
 拳銃を向けられていると言うのに、一向に恐れる様子のない青年は、白い手袋に覆われた指を、口元に持っていく。
 何事か思案しているようなその仕草に、スザクは銃口を下ろそうかとも思ったが、本能が、直感が、それを許さなかった。それは、軍人としての直感だったか、それとも、人としての本能だったか…
 青年が、口元の手を、ゆっくりとスザクの方へと伸ばす。その仕草に見入っていると、いつのまにか、すぐ側に、青年の顔があった。
「いい匂いだ」
「なっ…」
 咄嗟に、引き金に指がかかる。だが、指がそれ以上、動く事はなかった。
 青年の指が、スザクの指を押さえつけ、引き金を引けぬようにしている。それも、凄まじいほどの力で。
 ゆっくりと近づいてくる顔。笑みの形に彩られた口元から覗くのが、白い牙だと気づき、スザクは空いている手を振り上げた。無論、殴るつもりで。
 だが、音もなく遠のいた青年は、右手をひらりと翳す。その手には、黒い手帳。
「枢木スザク。軍人か。それも、前線に出る部署ではないな」
「なっ…!僕の!」
 いつの間にか盗られたらしい、軍人としての身分を証明する手帳。それを、手の中で玩ぶ青年は、まるで悪戯を思いついた子供のように、少し笑う。
「俺を探して、見つけてみろ。その時に、これは返してやろう。期限は、一週間」
「何?」
「もしも見つけられなかった場合は、この手帳は焼く。大事なものだろう?身分を証明するための」
「お前っ!!」
 取り返そうと、一歩踏み出して跳躍し、青年の手を掴んだ…と思ったが、その手は空をすり抜けている。何処へ行ったかと視線を巡らせれば、数メートル先で、手を振っている姿があった。
「楽しみだ。お前が、俺を捕まえられるか、どうか」
「ふざけるな!」
 拳銃を構え、発砲する。だが、その弾はやはり空を切り、民家の塀にめり込んだ。
 そして、一人、スザクは道に取り残された。










2007/8/25初出