飛び込んだゲストルームの窓は粉々に割れ、床に落ちている。車椅子に乗ったナナリーを背へ庇うように立っているC.C.の横顔が、酷く冷たく見えたのを、スザクは今も、よく覚えている。そして、思ったのだ。 狂気とは、人を、ここまで歪めるものか…と。 静かに伸ばされた手が、C.C.へと向けられる。 「迎えに来たよ、C.C.」 「マオ…」 「僕が眠っている間に何処かにいなくなっちゃったから、凄く探したんだ。そしたら、こんな小汚い屋敷にいるんだもん。驚いたよ」 「小汚いとは、よく言ってくれるな、マオ」 音もなく部屋の扉を開け、中へ入ったルルーシュが、挑むように声をあげる。マオの意識がそちらへ向かい、細くなった瞳が、憎悪を湛える。 「ルルーシュ!」 「いい加減、捨てられたんだってことに気づかないのか、お前は?」 「C.C.が僕を捨てるはずがない!どうせ、お前が変なことを吹き込んだに違いないんだ!C.C.は僕と一緒にいるのが正しいんだ!僕は、C.C.と一緒にいなくちゃいけないんだ!」 「馬鹿馬鹿しい」 マオの意識がルルーシュへ向いている間に、じりじりと、C.C.はナナリーの車椅子を、ずらしていく。 「お前の独り善がりな妄想のために、俺達がどれだけの迷惑を被っているか…」 「お前のことなんか、どうだっていい。僕が会いたいのは、C.C.だけなんだ。お前は、邪魔だよ、ルルーシュ」 「珍しく、意見が合うな。俺にとっても、お前は邪魔だ、マオ」 ルルーシュが拳銃を取り出し、銃口をマオに向ける。撃鉄を起こして引き金を引き、弾丸がマオへと向かう。だが、マオは避けることなく、肩を抜けていったそれを、つまらなそうに見た。 「こんな普通の銃弾で、僕が死ぬとでも思ってるのか?」 銃弾が貫通した右肩の傷口が、塞がっていく。そして、服の破れだけはどうにもならないが、そこに、傷などなかったかのような肌が、元通り出来上がった。 「つまんない攻撃だな」 「さあ、どうだかな」 二発目、三発目と、立て続けにリボルバーを回転させ、引き金を引く。流石に、余計な血を流すのは嫌なのか、巧みにそれらを避けたマオは、部屋の壁を蜘蛛のように足で駆け上がり、ルルーシュの前へと降り立った。だが、その行動を予測していたのか、ルルーシュは拳銃の銃口をすぐさま、目の前に降りてきたマオの額へと向ける。避けきれずに、銃弾はマオの髪を一房、撃ち落とした。 その応酬の間に、C.C.はナナリーを部屋の外へと出し終え、そこに立っていたスザクを、恨めしげに見上げた。 「お前、銃を持っているのだろう?」 「…まだ、出番じゃないみたいだから」 「あいつが、そう言ったのか?」 「そう」 「…私は、ナナリーを部屋へ連れて行く。もし、その間に、あいつが怪我をするようなことがあったら、何が何でも飛び込んで、マオを殺せ」 「彼は、何者なんだ?」 「吸血鬼だ。私に執着し、ルルーシュを憎んでいる」 短くそう言うと、C.C.はナナリーの座っている車椅子を押し、ゲストルームから遠ざかっていった。 衣食住、全てに困り、今、まさに、死のうとしていたその時に手を差し伸べてくれた存在が、姉であり、母であり、彼の全てだった。彼の命を救い、新しい命を与え、共に在ることを許してくれる彼女は、絶対に、永久に、側にいてくれるのだと信じて疑わず、例え何処かへ出かけても、必ず戻ってくるその姿ともたらされる土産物や話に、嬉々とした。 だが、世界は、いとも簡単に崩れ去った。二人だけで構築されていた世界に、見知らぬ異物が入り込んだ。 一人の少年と、少女。今日から家族だと言われても、受け入れられるわけがなかった。他の存在など、彼には必要なかったからだ。ただ、彼女が居てくれれば…他のものになど目もくれず、側にいればそれでよかった。それなのに、彼女は彼のそんな心情を理解も読み取りもしてはくれなかった。 酷い、裏切りだと、感じた。許せなかった。 だから、彼は、元の通りに世界を戻そうと思った。二人だけでいた時と同じにするためには、入り込んだ異物を、なくしてしまえばいいのだ、と考えた。 そして、彼はまず手始めに、少女を傷つけた。何故かと言われれば、簡単そうだったから、としか言えなかっただろう。少女がいなくなり、少年がいなくなれば、彼は彼女と二人だけになれるはずだった。 しかし、家族を、仲間を傷つけられた彼女は、それを許さなかった。世界中に数少ない、彼女にとっての家族や仲間を傷つけられた事は、彼女にとって、酷い裏切りに映ったのだ。 彼は、再び、独りになった。 装填され続ける銃弾。交わし続ける白い残像。だが、確実に、数発は、残像に突き刺さっている。貫通したものもあれば、貫通せずに肉にめり込んだままのものもあるだろう。だが、そんなことなど憂慮せずに、肉は自動的に傷を塞ぎ、皮を張り、血を巡らせてゆく。 その、数発めり込んだ中に、通常の弾丸ではない弾丸が、含まれている。 銃弾は二種類。一種類は、鉄を含ませたもので、もう一種は、食塩水を加工し、銃弾の中にそうとは知れぬように含ませてあるものだった。 一般的に、吸血鬼には銀や大蒜、十字架や聖水などが利くとされているが、全て民間伝承で、化学的な根拠があるわけではない。十字架や聖水などは、吸血鬼になった者が、そうなる前に信仰していた宗教によるものであろうし、銀や大蒜に至っては、根拠が乏しい。それならば、血液そのものに影響を及ぼすのではないかと思われる素材を使用したほうが、根拠が多少なりともあると…ルルーシュがそういったのだ。実際、ルルーシュに十字架や聖水は利かぬらしい。彼は、吸血鬼になる前、基督教を信仰していなかった。大蒜は生前食べていたらしいし、銀のアクセサリーも特に問題はないということだった。 ならば…食塩水の中で血液が破れて溶血したり、縮小したりする事を考えれば、こちらを使用するのが順当だろう。また、鉄は根拠がないものの、血を嘗めれば鉄の味や臭いがすることから、血液に何かしらの影響を及ぼすのではないかと…そう考えて用意されたものだった。 だが、今、それが何発あたっているのかは分からないが、効果は現れていない。不審に思われないよう、普通の弾丸と混ぜて使用しているために、効果が薄いのだろうか。 それよりも、息の上っているルルーシュの方が、気にかかった。まるで、走った後に息の上ってしまう、普通の人間のように、肩で息をしている。マオの方は、全く、そんなことはない。 加勢した方がいいだろうかと、拳銃を握る手に力を込める。 「まずいな」 気配もなく、いつの間にか後に立っていたC.C.が呟いた。その声に顔を上げると、眉間に皺が寄っている。 「だから、騎士を作れと言ったのに…」 C.C.のその言葉と、室内にあった玻璃扉付きの棚が倒れる音とが、重なった。急いで覗き込めば、倒れた棚のすぐ側で、ルルーシュが咳き込んでいる。 「やっぱりだ。お前、もう、休眠期なんだろ!」 「…五月蝿いぞ、マオ」 「負けを認めろよ!それで、僕にC.C.を返して、死ね!」 「黙れ」 「そうだ。お前も、ナナリーみたいになればいい。足と眼を失ってさ、自分じゃ血を呑むことも出来なくなって、死ねばいい!」 狂ったように笑い続けるマオが、動きを止める。 「…何だよ、その眼…何で、お前、もう使えるようになってるんだよ!僕だってまだ、使えないのに!!」 拳銃を構え、銃口をマオに向け、引き金を引いたルルーシュの紫色の左の瞳が、紅く輝いていた。 ![]() 2007/9/12初出 |