*渇望する精神、その憧憬-T-*


 眼下に見下ろすのは、煌びやかな人工のネオン。数えるのも馬鹿馬鹿しいほどのその数は、圧倒的な質量を持って、空に輝く星や月の光を掻き消してしまう。夜空の美しさを楽しむ者は少なくなり、皆、前だけを向いて、進んでゆく。
「この国に、あいつがいるのか?」
「一応、届いた手紙の消印は、この国のものだよ」
 懐に入れていた白い封筒を取り出し、開封済みの口から、便箋を取り出す。一枚きりの薄いそれには、急いで書いたように一言、走り書きがしてあった。
『しばらく身を隠せ C.C.』
 乱暴に書かれたようなその字は、黒のボールペンで書かれており、雨にでも濡れたのか、名前の部分が少し、滲んでいた。
「全く…何から身を隠せって言うんだ?普段から夜にしか生活しないんだ。同族から身を隠せと言うなら、そう書けばいいものを」
「でも、これが届いてから、彼女と連絡が取れなくなったんだろう?」
「ああ。それに、幾人か交流のある同族とも、だ。まるで皆が、息を潜めてでもいるように」
「調べようにも、この国、まだ戦後の混乱で、まともに情報収集も出来ないんだよ。夜に出歩こうものなら、軍人や警察に職務質問されるし」
 便箋を封筒の中にしまい、懐へとしまいこむ。
「されたのか?」
「されてる人を見たんだ。だから、隠れて観察してた。随分規制も厳しいみたいだし。まあ、ブリタニア帝国がこの国を戦争で破って、傘下に治めてから、まだ半年だから、混乱が続いているんだろうけど」
「母国だろう?少しは、悲しくないのか?」
「悲しくないといえば嘘だけど、でも、もうこの数十年で様変わりしてるから、あんまりそう言う気がしないんだ。昔はもう少し、緑が多かったんだよ」
 見渡す限りの場所にあるのは、高層建築の群れ。夥しい数のコンクリートの建築物は、無機質な冷たさしか与えない。四季折々を楽しむ事が出来たこの国の良さは疾うに失われ、硬く冷たい鉄骨に覆われている。せいぜい見える緑といえば、公園や街路樹程度。森は焼かれ、林は伐採され、見る影もない。特に、大きな街では。
「それで、家の手配はできたのか?」
「してあるよ。街中だと引越しも目立つから、郊外にしておいた。でも、交通機関は充実しているし、いいんじゃないかな?」
「なら、先にそっちを見よう。住処に落ち着いてから、探せばいい。一朝一夕にどうにかなるものでもない」
「とりあえず、この国の現状を調べてからでないと、動くのは難しいと思うよ。君が眠っている間に、調べておくよ」
「ああ」
 もうすぐ、夜が明ける。白々とした空が、東に広がり始めるだろう。
「眠い…」
「ちょっ…ここで寝ないでよ?ルルーシュ!?」
「無理だ…寝る…寝床まで運んでくれ、スザク…」
「ちょっと…冗談!?無理だよ!!」
 瞼が、ゆっくりと落ち、紫紺の瞳が閉じられる。そのまま細い体が傾ぎ、立っていた場所から落下した。
「ルルーシュ!?もう!!」
 高層建築群の内の一つ、七十階建てに近いその屋上から落下して、無事でいられるわけなどない。だが、スザクは躊躇うことなく、その屋上から身を躍らせた。そして、落下していく体に追いつくために、加速をつけようと、壁を蹴る。
 腕を伸ばして、体を抱え込み、壁を蹴る。そして、隣にあるビルの壁を蹴り、幾つかのビルの壁を蹴り飛び、人気の全くない、荒廃した場所へと降り立つ。
「…危なかった…」
 ほっと息をつき、急いでその場から立ち去る。
 朝日が、昇ろうとしていた。


 白い廊下。落とされた明かり。その中を真っ直ぐに進む青年の口ぶりは鋭く、後ろをついてくる部下へと突き刺さる。
「解析は?」
「未だ、良好な結果は出ておりません」
「後、どのくらいかかるのだ?」
「…目途すら、立たず…」
「一体、どれほどの情報量だと?」
「遺伝子における情報だけでも、我々の倍はあるのです…」
「処理を急がせろ」
「承知いたしました」
 男は敬礼すると、そのまま急いで来た道を引き返して行く。そして、青年はそのまま歩き続け、白い廊下を抜けると、溜息をついた。
「本国に知られでもしたら…私の地位など、脆く崩れ去ってしまう!」
 怯えるように、青年は金の髪へと指を差し入れ、頭を抱えた。


 眼下には、海。上空から望むその美しい景色を眺め、渡された書類へと視線を移す。一通り眼を通し、視線を鋭く眇める。
「この報告書は真実か?」
「はい」
「ならば、憂慮すべき事態ということになるのだが…」
 険しい表情で何事かを考え込んだ白皙の美貌があげられ、控えていた部下が、姿勢を正す。
「これを見過ごす事は出来ない。すぐに、エリア11にいる部下へと通達を。何らかの処置を、早急に取るように…と」
「どのようにしますか?」
「施設の閉鎖、あるいは完全停止、それが出来なければ、全ての情報を私の所へ上げた後、処理して構わない」
「分かりました」
 恭しく礼をとる男が、連絡を取るために離れる。そして、再び書類へと眼を通し、苦々しげに眉根を寄せる。
 憂慮すべき事態…そう。
「余計な事をされては、困る」
 小さく呟いた男の青い瞳は、鋭く、遙か彼方を見晴らすかのように、窓の外へと向けられた。












2007/10/11初出