*渇望する精神、その憧憬-Y-*


 暗い夜の雑踏の中で、ようやく開いている花屋を見つけた時は、既に仕事帰りの人々の姿も疎らになった時刻だった。ゲットーで起きている作戦のことなど、租界には関係のないことらしい。当たり前のように、平穏な時間が流れていた。
 店先に並んだ花の中から、淡い色合いをした、白とピンクの薔薇を選び、花束を依頼する。
「プレゼントですか?」
「…いや。リボンはいらない。包んでくれればいい」
 決して、浮いた気分ではない。リボンなど、あっても仕方がない。墓前…いや、棺の中へ、供えるのだから。遺品として、着用していたドレスを入れた、棺の中へ。肉は砂と消え去り、骨も欠片ほどだった。それほどに、蝕まれていたと言うことなのだろう。
 いっそ、苦しまぬように、人として死ねる内に、死なせてやったほうが、よかったのかもしれない。だが、そうは思っても、それでも手放せなかったのだと、一緒にいたかったのだと、思ってしまう。
「これでよろしいですか?」
 紙とセロハンで包まれた質素な花束は、しかし、亡き彼女の柔らかさをそのまま表すように、白とピンクの柔らかさが夜闇に引き立った。
「ああ」
 代金を払い、花屋を後にする。何も書置きもせずに出てきたが、屋敷にはカレンダーが張ってある。帰ってくれば、スザクは気づくだろう。
 早く帰って、この花束を…そう思ったルルーシュの意識に、引っかかる気配。背後から、何者か…複数の足音が、つけてきているような、そんな気配がした。
 必死に、気配を殺している。だが、殺しきれない焦りのようなものが、滲み出ている。足並みの揃ったそれは、明らかに数人の人間の気配だった。決して、同族の“吸血鬼”ではない。
 租界の中心地ともいえる繁華街やオフィス街を通り抜け、住宅街を抜ければ、ひっそりと夜の気配に包まれた、人通りの絶えた場所へと出る。そこで、ルルーシュは足を止めた。
 気配を気取られているとは思わなかったのか、つけてきた男数人は、立ち止まったルルーシュへと、警戒するように、ゆっくりと近づいてきた。
 着ている服は私服のようだったが、統率の取れた足並みと動きは、一般人のそれではなかった。
 軍人か…そう思い至ったルルーシュへと、統率者らしき男が、手を出した。
「一緒に、来ていただきたい」
 慇懃無礼なその態度は、ルルーシュの返答など、聞く気はないようだった。そして、それを示すように、男達は徐々に動きを変え、ルルーシュを取り囲むように四方を固めた。
「貴方に会いたいと言う御方がいるのです」
 怪訝そうに眉根を寄せたルルーシュの耳に、近づいてくる車の音が聞こえた。


 目隠しをされ、連れて来られた場所は、絢爛豪華と言っていい部屋だった。大きなシャンデリアに、最高級の革を使用したソファ、螺鈿細工の施されたテーブルに、事前に用意されていたと思われる、白ワインと赤ワイン。絢爛豪華だが、広すぎると言うことはなかった。エリア11−日本式に言う所の、三十畳から四十畳といったところか…天井が高いせいか、さらに広く見えた。
 待たされること数十分。乾燥しているような部屋の中で、ルルーシュの気がかりは、持っている花だった。水を与えなければ、花は枯れてしまう。一晩程度は大丈夫だろうが、気がかりには違いなかった。
 入ってきたのは、覚えのない男。金髪に、切れ長の薄い青い瞳。最初の印象は、隙のない男だ…と言うことだった。柔和そうな風貌だが、決して眼の色が、笑ってはいない。冷徹で、切れ者の瞳をしていた。
「待たせてすまなかった。政務が押してしまってね」
 男は、ルルーシュの座っていたソファの対面に置かれたソファに腰を下ろし、側にあった氷の満たされたワインクーラーから、赤ワインを取り出した。
「赤でいいかな?」
「どちらでも」
 男は、手馴れた手つきでワインコルクを抜き、グラスにワインを注いだ。血にも似た禍々しい色の赤が、グラスに注がれてゆく。一つのグラスがルルーシュの方へと滑り、取るように促される。
「乾杯を」
「何に?」
「この、瞬間に」
 その時、ようやくルルーシュは、思い出した。目の前にいるこの男…録画で見た、ブリタニア皇族の葬儀の後に、紹介されていた、エリア11の新しい総督、シュナイゼル・エル・ブリタニアの顔を。


 深夜0時を過ぎても戻らないルルーシュに、さすがのスザクも異変を感じた。おかしい、と。
「僕、少し探してくるよ」
「どうやって?」
「勘で。何となく、ルルーシュの好みとか、最近分かってきたし…C.C.は、出ない方がいい」
「ああ。だが、気をつけろ。何があるか、分からない」
「大丈夫。体の使い方には、慣れたから」
「だから、だ。過信しすぎるな。騎士は、確かに主人である吸血鬼と同等の能力を有する。移動速度、攻撃速度、その他諸々…だが、吸血鬼と同様、不死じゃない」
「どういうこと?それは、聞いてないけど…」
「聞いてない?……ルルーシュは、知らないのか、まさか?」
「何が?」
「主人が死ぬと、騎士も死ぬ。血の契約が切れるからだ。だからこそ、騎士は主人を守る。自分の命を永らえさせるために」
「………気をつけてみるよ。とりあえず、夜明けまでには探さないと」
「ああ」
 C.C.は、出て行くスザクの背を見ながら、窓の外、雲に隠れる月が不安を提示しているように思えて、仕方がなかった。


 一枚、セピア色の写真。四隅の一角は欠け、大分古いものだと分かる。日付も入っていないそれは、カメラと言う機材が人類の叡智によって作り出されてより、そう経っていない時期のものに見えた。とするならば、百年以上は前のものになるだろう。
「この写真に、覚えはないかな?」
 映っているのは、一人の青年…そう。人間だった頃の、ルルーシュだった。
「私が初めてこの写真を見たのは、本当に幼い頃だ。物心つく頃だったから、五歳程度…ブリタニアの皇族の屋敷は広くてね。その中でも、父の居住する屋敷は、規格外だった」
 シュナイゼルのエル家、クロヴィスのラ家、他にも幾つかの家が存在し、それぞれが両親兄弟姉妹、後ろ盾となる貴族達で居住し、それらは全て独立した家を成している。中でも、現皇帝の居住は、その権力を誇示するものとしてとても巨大であり、また、複雑怪奇な迷路のようになっていた。
「子供心に、父の巨大さはひしひしと感じていたが、あの屋敷の中は特別、興味を引いた。世界中の書物や美術、あらゆるものが揃い、揃わぬものはなかっただろう。ある時、父の屋敷の中で、不思議な人々を見た」
 研究者のような白衣を着た男達と、ブリタニア軍人の集団。凡そ、居住区で見かけるような人々ではないような一団。
「勿論、何があるのかと、不思議に思った」
 そうしてついていった先には、広く、白い、長い廊下があった。何の音も響かないそこを、その一団は躊躇いもなく進んでいく。そして辿り着いた場所には、医療器具やベッド、その他様々な病院で使用するものが置かれ、多くの人々が動き回っていた。
「後で知った事だが、そこは、父の私設研究所だったらしい。私はそこで、この写真を見つけた」
 そっと中へと滑り込み、見つからないように視線を巡らせた先にあった、一枚の写真。手の届く場所にあったそれを、当たり前のように手に取り、眺め、そっと、懐へと仕舞い込んだ。
「私はずっと、この写真の人物に会いたいと願っていた。いつか必ず逢えるのだと信じて、疑わなかった。そして、今、目の前に、この写真に写った本人が、生身で存在している。これほど嬉しいこの瞬間に、乾杯をせずにはいられない」
 揺れる、グラスの中の赤ワイン。男の真意が読めず、ルルーシュは目の前の写真から、男の顔へと、視線を動かした。












2007/10/29初出