*生得の重き腐敗-T-*


 夜の闇の中、薄紫色の双眸が、眼下に広がる夜景を見下ろす。その瞳に宿るのは、狂気にも似た、冷徹な悪意。
 その視線に宿る色を、心配するように向けられる、少し色の濃い紫の双眸。夜景の色を映しながら、なおそれに埋没しない狂気の色が、確かに垣間見えて、心痛に表情を曇らせる。
 可愛らしい唇から、確かに、小さな笑い声が零れていた。


 一般的に吸血鬼は、水を嫌うと言われている。そして、吸血鬼の移動には、祖国の土を敷き詰めた棺が必要だとも。だが、どうにもそれは、ルルーシュに適用されないらしいとスザクが知ったのは、騎士になってすぐの頃だった。
 ルルーシュは、綺麗好きだ。何かしらの事情で入浴する事が叶わない場合でも、湯か水に浸したタオルで、体を拭う。スザクなどは、一日入浴できない程度は構わない方なのだが、ルルーシュはそうではないらしい。お陰で、騎士となってからのスザクは綺麗好きになった。
 そして、生前は貴族だったと言うルルーシュは、人に傅かれる事に慣れているせいか、人に体を洗わせることに苦がないようで、時折、スザクを呼んでは背中を流させたりする。
 だが、ここ一月、それがない。まだ、怒っているのだと、スザクは溜息をついた。
「彼は、どうだい?」
「………相変わらず、一言も口を利いてくれません。貴方からも何か言ってくださいよ」
「いや、この間話しかけたら、ナイフが飛んできたよ」
 笑顔で飄々と言ってのける男に、再度スザクは溜息をつく。
 自殺願望とでも言おうか…自らを厭うルルーシュの命を繋ぎとめるために、彼の優しさを利用して、その意思を無視した騎士造りをさせた。そのことを、未だに怒っているのだろう。一言も口を利かず、部屋から出てこず、体力が持つのだろうかと思っていたら、どうも、夜になると部屋からいなくなっていることがある。食事は、きちんとしているらしい。
「失敗したかな」
「…私を、騎士にしたことが、かい?」
「ええ。今も口を利いてくれないってことは、そう言うことでしょう?ルルーシュの意思を無視したことは、確かに不味いことをしたと思っていますけど、それ以上に、彼に生きる意志を持って欲しかったから」
「彼は、そんなに死にたがっているのかい?」
「死にたがっていると言うよりは…自分を嫌っているような感じですよ。自分一人が生きているのが、許せないんだ。でも、僕はルルーシュに死んで欲しくない。貴方だって、そうでしょう?」
「初恋の君、だからね」
 青い瞳を穏やかに細めるその表情を見て、スザクは三度溜息をつく。
「君も見るかい?写真」
「写真?」
「そう。彼に関する書類やデータは全て破棄したが、一つだけ持ってきたものがあってね」
 言いながら、懐から取り出した定期入れのようなものを開くと、そこには一枚の写真が収められていた。
「昔の彼だよ。私は、この写真を見て、彼を好きになったんだ。セピア色になってはきているが、綺麗だろう?」
 一人映る青年。今のルルーシュよりは若干幼いように見えるが、そう年齢の変わらない頃のものだろう。後ろに写っている花は、薔薇だろうか。どうも、何処かの庭園で撮影したもののようだった。
「これ、下さい」
「だめだよ。これは私の宝物なんだ。幾ら君が騎士の“先輩”だとしても、これだけは渡すわけにはいかないよ」
「“先輩”だと思っているなら、その“君”って呼び方は、やめてくれませんかね?」
「ああ。つい。どうしても、外見年齢が年下だから」
 にこにこと、人のよさそうな表情で笑う男を前にして、やはり失敗したと、スザクは内心舌打ちをする。この男は、やはり厄介だったかもしれない、と。
 シュナイゼル・エル・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国の皇子であり、現在は行方不明と言うことになっているこの男。ルルーシュの側にいるために、自分の出生も身分も地位も、全てを簡単に投げ出した。
「僕は出かけてきますから、ルルーシュが勝手に部屋から出て行ったりしないように、見ていてくださいね」
「前に君が言っていた意味を、今痛感しているよ」
「ん?」
「騎士は、主人である吸血鬼から離れられなくなる、と言うね。彼の気配が遠ざかると、不安が過ぎる」
「何かあれば、すぐに分かる。すぐに気づく。何をおいても駆けつけなくてはいけない、という気持ちになる。それが、ルルーシュと僕達の関係だ」
「そこに、心はあるのかな?」
「僕はありますよ。貴方だってそうでしょう?でも、ルルーシュは………違う。多分」
「切ない片思いだね」
「幸せな片思いですよ。じゃあ、お願いしますよ」
「ああ。気をつけて」
 シュナイゼルが手を振るのを背中で受けて、スザクは夜の街へと出かけた。


 機嫌取り、というわけではないが、せめて彼の好きなものでも買って帰って、機嫌を直してもらわないと、このまま口も利かずに日々が過ぎるのでは、あまりに寂しすぎた。
 スザクが向かったのは、深夜も営業している、飲み屋街の酒屋。何店舗か覗き、様々な種類の酒を取り扱っている店に入る。  主食が人間の血液のせいか、ルルーシュが好んで飲むのは赤ワインだった。たまに白ワインにも口をつけているようだが、それは稀で、年に数回あるかないか、と言う程度だ。ならば、年代物の赤ワインがいいだろう。だが、もう何十年も生きているから本人はいいと思っていても、童顔のスザクを見て、素直に酒を購入させてくれる店は少ない。その日も勿論、身分証明書を求められた。
 身分証明書は、ある。偽造したものだったが、外見年齢がそれほど妙に思われないような年齢設定にしてあるため、疑わしそうな目を向けられたが、それでも、購入する事は出来た。
「やれやれ…」
 店を出て一つ息を吐き、さて、次はどうしようか…と思案しながら方向転換をして足を踏み出した時、身体に衝撃があった。
「っ…」
 瞬間閉じてしまった目を開けると、抱きつくような格好で、一人の少女がスザクの前にいた。
「あ。ご、ごめんなさい」
「え?あ、こっちこそ、ぼうっとしてて」
 驚いた少女が身体を離し、頭を下げる。スザクの方も、周囲を見ずに方向を変えて歩き出してしまったのだ。悪いといえば、悪いだろう。
「ユフィ!」
 スザクが頭を下げた時、少女の後方から走ってくる女性がいた。
「どうして勝手に一人で出歩く!」
 追いついた女性が、明らかな敵意を込めた目で、スザクをねめつけた。
「たまには一人で歩いてみたいですわ」
「私が必ずついていくと言っただろう?お願いだから、言うことを聞いてくれ。で、お前は何だ?」
「え?あ、ぶつかっただけですよ。僕がぼうっとしてたから」
「いいえ。急いで走っていた私も悪いのです。ごめんなさい」
 二人して頭を下げ、互いに怪我がないことを確認して、スザクはその場から立ち去った。
「ユフィ。本当に、お願いだから………ユフィ?」
「見つけましたわ、お姉様」
「何?」
「とても、いい香りがしましたのよ、今の方。とても、とても」
「ユフィ………」
 穏やかだった瞳に、狂気の色が浮かんだ。









2008/1/2初出