あの時、この足が、恐怖に立ち竦んだりしなければ……… あの時、この腕が、もっと強く伸ばされていのたなら……… もしかすれば、こんなにも嘆き、悔やみ、永く、永く生きることなど、なかっただろうに……… 昼間、吸血鬼は完全なる眠りの床につく。それは、まるで屍となって土の下にて眠るかのように。それは、既に死して命なきもののように。それは、日の昇る時間帯においては、活動を完全に停止する、ということだ。それは、ルルーシュだけではなく、ルルーシュを狙っているユーフェミアにも言えることだった。 ならば、何故、今、そのユーフェミアの騎士であり実姉であると言うコーネリアが、ルルーシュの騎士であるスザクとシュナイゼルの所に赴いているのか……… 出された茶に手をつけるでもなく、コーネリアは腰に下げていた剣を鞘ごと、机の上に置く。 「どちらもがすぐに手の届く所に置いておけば、安心してもらえるか?」 鞘ごと差し出された剣。使い込まれているのであろうそれを手放す、と言うことがどういうことなのか、深くまで理解する事はできないが、それ相応の覚悟をしてきたのだと言う証だと受け取り、スザクは顔を上げた。 「で、話って言うのは?」 「………もう、私ではユフィを止められない」 沈鬱な面持ちで、指を組んで懺悔でもするかのように開かれた口から零れたのは、重い言葉。 「長く側に居すぎた私には、あの子を止められない。もう、私はこれ以上、あの子の唇が血に染まるのを、見たくない」 優しく、穏やかで、咲き誇る花の庭園で微笑んでいるのが似合うようなあの子に、血染めの衣装は似合わない。そんなのは、見たくない………血を吐くような思いで吐き出された言葉に、シュナイゼルが棘を刺す。 「だが、君はルルーシュへ剣を向けた」 「ユフィには、逆らえない。主である吸血鬼に逆らえないのは、君達も同じだろう?」 「まあ、逆らおうと思ったことがないから」 「そうだね。彼が望むことなら何でも、と思ってしまうね」 スザクに続いて、シュナイゼルも何を今更、とでも言った風情で口にする。それを見たコーネリアが、逆に眼を丸くする。 「決して離れられない、と言う血の制約に縛られているだろう?」 「縛られているのが嬉しいから」 「私も君に同意するよ。自らここの世界へ飛び込んだんだ。それを好ましいと思いこそすれ、悔やんだりはしないね」 「何故だ?」 スザクとシュナイゼルは顔を合わせ、肩を竦める。 「愚問だね」 「ええ。でも、何で急にそんな話を?貴方は、違うんですか?義務で側にいる、とでも?」 スザクの問いに、コーネリアは視線を彷徨わせ、深く息を吸い込み、吐き出した。 「私は、今でも悔いている。あの時、あの子を助けられなかった自分を」 コーネリアが妙な話を聞いたのは、寝苦しいほどの暑さが数日続いた日のことだった。 「何?ユフィの部屋から?」 「…はい。何か、話し声が聞こえる、と言うのです。ここ数日で、幾人もの下女や衛兵が漏れ聞いていると」 「夜中に、か?随分と下世話だな」 「私も、聞き耳を立てているのかと叱ったのですが、どうも、そうではないようで…」 「なら、どういうことだ?」 栞を挟んだ本を閉じ、テーブルの上へと置き、側にあったカップを手に取る。入っているのは、透き通るような紅茶だ。 「話し声だけでなく、楽しそうな笑い声が聞こえる、と言うのです。こちらがよく扉の向こうから聞こえるそうで、話し声よりも笑い声の方が、聞いている者が多いような次第で………」 「侵入者であれば、衛兵が気づくだろう?だが、それがない。となると、ユフィが何かしらの手引きをしている、と言うことか?」 「もしくは、恋仲の方でも出来たのでは、などと噂する者もいまして…」 綺麗な白髪頭の老執事の申し出を、訝しく思いながらも、この男がそういった妄言を何より嫌っている事を知っているために、一笑に伏すことは出来なかった。 「で、お前は聞いたのか?」 「僭越では御座いましたが、そのような噂が流れるからには何か、と思いまして、昨日」 「聞こえたのか?」 「………はい」 「男の声か?女の声か?」 「………それが、ユーフェミア様のお声しか、聞こえず…」 「相手の声を確認していないのか?」 「申し訳御座いません」 深々と頭を下げる執事に、コーネリアは持っていたカップを置くと、立ち上がった。 「これを片付けておけ。私がユフィと直接話をしよう」 部屋を出て行く主に頭を下げ、老執事は、綺麗に飲み干されたカップ類を片付け始めた。 体調が芳しくないと言うユフィはその日、床に伏していた。朝食の席で、あまり顔色が良くないと思ったコーネリアは、迷わず今日一日はゆっくりと休みを取るように、と言ったのだ。だが、もしもその原因が、何かの悩みや進言された深夜の会話などにあるとするならば、早々に明るみへと出して、その心を軽くしてやる事が必要だろう。 噂話を信じるわけではないが、ユフィとて年頃の少女だ。恋の一つや二つ、あったとて構いはしない。だが、もしも、恋人でも出来たのならば、自分のこの目でユフィに相応しいかどうかを見極めてやろうと、コーネリアは思っていた。 重厚な扉を二つ、ノックして中へと入る。寝台に横たわっているとばかり思っていたユフィが体を起こし、本を読んでいるのを見て、コーネリアは肩を竦めた。 「ユフィ。きちんと寝ていなくてはだめだ」 「お姉様」 本のページから顔を上げたユフィが微笑み、側で紅茶を入れていた少女に、カップをもう一つ用意するように頼むと、少女はコーネリアへ一礼して、部屋を出て行った。 「起きているのなら、肩にショールをかけなさい。幾ら夏とは言っても、調子が悪いのならばそんなに薄着でいない方がいい」 横へ置いてあったショールを肩へかけてやり、ベッドに腰掛けて頭を撫でる。 「少し、話しても大丈夫か?」 「ええ。勿論です。一日中寝ているのも、退屈ですから」 にこりと微笑むその笑顔は、いつもと変わらない穏やかで可愛らしいもので、何の闇も感じさせないものだった。 なのに、一体何故、あんなことになったのか……… ![]() 2008/1/9初出 |