*生得の重き腐敗-Y-*


 秋の、少し肌寒くなってきた夜気を吸い込み、息を潜めるようにして、庭に身を隠す。
 日が傾き、漆黒の夜が空を覆い、丸い月が南の空へとあがるまで、コーネリア、ダールトン、ギルフォードは辛抱強く待った。だが、ユフィの部屋の窓が開くことはなく、また、誰かが庭へと侵入してくる、などと言うこともなかった。
 しかし、南の空へとあがった丸い月が静かに、西の空へと傾き始めた時、一陣の風が強く吹いた。
 それは、まるで突風のようにも、優しく撫でていくような風にも思え、コーネリアは咄嗟に目を閉じた。
 そして、次の瞬間、見上げたそこに靡く、長い金髪を眼にした。
 その顔つきは、幼子そのもの。長い金の髪は夜闇を弾いて月光を纏い輝き、その瞳は、ひたとユーフェミアの眠る部屋の窓へと向けられている。だが、その幼子の立つ場所は、ユーフェミアの部屋に設けられているテラスの手摺の上。そこへどうやって登ったのか、何時の間に辿り着いていたのか、そんな当然の疑問や誰何の声は上がらず、軽い音を立てて内側から開いていく窓を見ているしか、なかった。
 それは、コーネリアだけでなく、ギルフォードも、ダールトンも。
 たった数秒の出来事だったのだろう。だが、三人にとってそれは酷く長く、穏やかに過ぎた時間だった。ゆるりと開かれた窓からテラスへと出てきた、幽鬼のように青白い顔をしたユーフェミアが、訪れた幼子の手を掴むまでが。
 だが、弾かれたようにして最初に動いたのは、コーネリアだった。
 腰に下げていた剣を鞘から抜き放って立ち上がる。
「お前は誰だ!」
 コーネリアの声に、ユーフェミアの手をとった幼子が、振り返る。相変わらず手摺の上に立ったまま、庭にいるコーネリアを見下ろした。
「僕はV.V.。よろしく」
「V.V.?」
「そう。ああ、君がユフィのお姉さんだね?名前は確か…コーネリア」
「ユフィを、何処へ連れて行く?」
「僕のお城だよ。僕の居城。ユフィはね、僕のお嫁さんになるんだ」
「何だと?」
「美人で可愛くて、とても僕に似合うと思うんだ。ずっと一人で、寂しかったし」
「勝手に連れて行かせたりはしない!」
 コーネリアの叫びに被せるように、風がコーネリアの横を掠めていった。それは、ギルフォードの構える拳銃から発射された、一発の銃弾。
 だが、それはV.V.の顔の横をすり抜けただけだった。
二発目、三発目とギルフォードが引き金を引く。さすがに当たると思ったのか、V.V.は危うい手摺から、テラス側にではなく、庭側へと身を躍らせた。勿論、ユフィの手は、とったまま。
「ユフィ!!」
 コーネリアが駆け寄ろうと走り出したのを、ダールトンが止める。そして、着地した場所めがけて、ギルフォードが引き金を引いた。
 鳴り響く、耳に痛い銃声。だが、銃口を飛び出ていったはずの弾丸は、どこにもなかった。見れば、軽くあげられたV.V.の左手が、閉じられている。
「危ないな。ユフィに当たったら、どうするんだ?」
 子供の力とは思えない、右腕だけで自分よりも背の高いユフィの体を抱え、掲げた左手で、向けられた弾丸を握りつぶしているその姿に、コーネリアは背筋を震わせた。
「っ…化物め…!」
 言いながら、剣を構えてV.V.の方へと足を進める。だが、コーネリアの前に、ユフィが両腕を広げて立ちはだかった。
「お姉様、止めてください。彼は、私を助けてくれたんです」
「助けた?」
「そうです。夏に体の調子を崩してから、ずっと床から起き上がれなかった私に、沢山の話をしてくれて、楽しませてくれて、励ましてくれたんです。きっと良くなるよ、って」
「だが、こいつは人間じゃないんだぞ!」
「私も、もう、同じです」
「何?」
「死に至るほどの血液を、吸血鬼に血を吸われることで失った私も、もう、吸血鬼です」
「ユ、ユフィ………」
 目の前で手を広げて立ち塞がる妹が、本当に自分の妹なのかと、あの幼く、自分の背中に隠れていた優しい妹なのかと、コーネリアは剣を構えていた腕を下ろした。
 一体、何が原因で、こんなことになってしまったのだろう。何故、自分が大切な血を分けた妹であるユフィと、対峙しなければならないのだろう………
 そんな、愕然と視線を彷徨わせるコーネリアの意識を現実世界に戻したのは、既に何発目か解らない、銃撃の音だった。
 ギルフォードが立て続けに連射する弾丸は、決してV.V.までは届かない。だが、その連射速度にV.V.も追いつくので必死なのか、数発は掠めているようだった。
「一人でずっと暮らしてきたのだと言うんです。寂しかったのだと。私は今まで、沢山お姉様からもお母様、お父様からも愛情を注いでもらった。今度は、誰かにそれを返したいんです。彼が、寂しくて独りで居られないと言うなら、その寂しさを和らげてあげたい」
「私を、置いていくのか?父上や母上を、置いていくと?何故、そんなことを自分一人で決めてしまったんだ?」
「お姉様は…いえ、お姉様だけではなく、皆が反対すると思ったからです。今お姉様が言ったように“化物”の仲間になることなんて」
 それだけ言うと、ユフィはコーネリアへと背を向け、ギルフォードの銃撃を受けながら、何時の間にその背後を取っていたものか、振り下ろされるダールトンの刃を避けているV.V.の元へと駆け寄ろうとした。
 だが、流石に二人の人間を相手に、それも決して素人とはいえない腕前の二人の攻撃を避け続ける事は難しかったのか、それとも、そこまで相手の力量を測っていなかったのか、一発の銃弾がようやくのように、V.V.の右足を射抜いた。
 右膝を芝生の上につき、傷口を労わるように手を当てるV.V.の後ろから、ダールトンが剣を振り下ろす。その刃の切っ先は、吸い込まれるようにV.V.の背へと刺さり、胸へと抜けた。
「V.V.!」
 ユフィの、悲鳴のような声が響く。飛び散るV.V.の血を厭うでもなく近づいたユフィの手が、引き抜かれた剣の刺さっていた胸の傷口に触れ、血に塗れた。
 その時、コーネリアには、V.V.が笑ったように見えた。丸く明るい満月の下で、確かに、口角を上げて。
 だが、その姿は、砂のように細かくなったかと思うと、風に吹かれて、消え去った。
 たった一瞬の出来事。駆け寄ったユフィの目の前で、砂となって消えたV.V.は、影も形もなくなった。
 そして、ユフィに異変が起きたのは、その瞬間だった。









2008/1/9初出