いつ頃からその病魔が入り込んでいたのかは、定かではない。しかし、少しずつ、領民の体が蝕まれ、領内に混乱が広がり始めたのは、確かだった。 勿論、打てるだけの手は打つべきだと、その病の原因と発生源、対処の仕方や予防の仕方など、領内にいる医者全てを動員し、解明に努めた。 だが、時は虚しく過ぎ去るばかり。そんな風にどれだけの努力を積み重ねようと、領内に病が蔓延する速度の方が、圧倒的に速かったのだ。 一体、誰が悪かったと言うのだろう。 病に対して無知であった領民か、未知の病に対する適切な処置を行えなかった医師か、それとも、全ての財をなげうってでも救い出すことの出来なかった、領主か……… 悪い条件が重なった。運が悪かった。そういって片付ける事はたやすいだろう。 だが、当時を生きた人々にそれを言うのは、残酷なことだ。 彼らはただ、憎むことしか出来なかったのだから。 世界は常に美しく、汚れたものなど何一つ存在しなかった。並べられる食事は必ず毒見役が先に確認をし、安全なものだけが並べられる。部屋の中の調度品や衣服などは全て整えられ、糊が利いたものばかり。庭に咲く花々は美しく………けれど、それが自分達の住んでいる場所だけなのだと、ルルーシュは知っていた。 一歩、城を囲む塀から外へと出れば、そこには領地が広がっている。そこに住まう人々の纏う服には糊など利いておらず、靴を履いていない者も中にはいる。細い路地裏にはごみが散乱し、腐敗臭を放つ。 そんな現状を何とか向上させたいとは思っても、ただの領主の息子であるルルーシュに、権限は何一つない。父を諌めても、生意気な口を利くなと怒鳴られる始末。 その年は雨が少なく、農作物が不作だった。そのため、農業に携わった者達からは税を軽くして欲しいとの申し出があったが、ルルーシュの父はその申し出を却下した。それならばせめて、家の中にある調度品の中の花瓶やら鎧やらを幾つか売るだけでも、領民に施しを与える事が出来るだろうに、と考え進言しても、またその考えも却下された。 このままでは、飢え死にする者も出るかもしれない。そんな時に城下から流れてきた噂。 それが、未知の病の広がりだった。 体の弱い子供や年寄りから、少しずつ感染していると言う。原因が分からない。けれど、熱が出たかと思えば熱が収まり、それで治ったかと思うと今度は奇行に走る。そして、最終的には口や鼻、耳などから血を流して、死んでいくのだ。 対処法が分からない。どんな薬を飲ませればいいのか、どんな処置を施せばいいのか………医師達も皆頭を捻ったが、いい案など浮かびはしなかった。 そして、領民達は領主に願い出た。無事な者だけでも、塀の中へ入れてはくれまいか、と。きっと、この高い塀のそちら側までは、病は入り込むことはできないだろう。病が沈静化するまででいい、せめて………と。 だが、病が城の中へ入ることを恐れた領主、ルルーシュの父親はそれを拒否した。病に罹っているか罹っていないかなど、一目見ただけでは分からない。もしかしたら入れたその日に発症していなくても、次の日に発症するかもしれないではないか、と。 落胆し、肩を落として城を後にする領民の代表の背中に、悲しみと憤慨を見て取ることができても、ルルーシュはただ眺めているしか出来ない。どれだけ溜息をつこうと、それで誰かが救われるわけではない。 「無力、だな」 呟いて、夜気に当てていた体を起し、テラスから室内へ戻ろうとした時、ちらちらと、城下に赤い色が見えた。 それは、街の中に灯る家々の明かりとも違う強さで、動いているように見えた。こんな夜に、一体何事かと、目を凝らす。 赤い色、動きながら、近づいてくるそれに、ルルーシュは急いで部屋の中へ戻ると、手早く着替えて部屋を飛び出した。 「誰か、誰かいないか!」 叫びながら廊下を走り、気づいて走り寄ってきたメイドを捕まえる。 「ナナリーを起して、着替えさせてくれ」 「は、はい。何か?」 「何もないことを祈るが、分からない。緊急の事態に備えてくれ」 「分かりました」 メイドが、ルルーシュの来た方向へと走っていく。ルルーシュの部屋の向こう側に、妹のナナリーが部屋で眠っているはずだ。 すれ違う何人かに、城門の警備の強化を頼み、そのままルルーシュは両親の眠っている部屋へと走る。 多分、城内で最初にあの灯に気がついたのは、ルルーシュだろう。城門の警備兵ですら、門へと続く緩やかな坂の傾斜のせいで、見かけてはいないだろう。 あれは、松明の炎。領民達の、怒りの表れ。 このままでは、彼らは大挙してこの城へと乗り込んでくるだろう。そうなれば、何が起きるか分からない。いや、確実にパニックが起こるだろう。 廊下を走っていると、慌てたように向かってくる一人の男が居た。衛兵の服を着ているところを見ると、今日の門番だろう。 「りょ、領民が押しかけてきています!門を閉じましたが、何時破られるか分からない状況です!」 興奮した状態でそう話す男に、城内に居る者達へすぐにそのことを知らせに行くようにと命じ、ルルーシュは走り出した。 嫌な予感がした。そして、得てしてこう言う予感は、外れる事がないのだと、脳内が警鐘を鳴らしている。 そして、その予感は的中した。 ベッドの上で横になりながら語りだしたルルーシュは、一度目を閉じて、深く息を吐いた。 「子供だった。何にも出来ない、子供だったんだ。ナナリーを守る事も、出来なかった」 家族を守りたいと思った。領民を苦しみから救いたいと思った。けれど、それは叶わなかった。 「ルルーシュ、疲れてるなら、話は明日でも………」 「いい。今、話す。俺の話を聞いて、もしもそれで嫌だと思ったら、騎士をやめていい。お前たちを巻き込む気は、ない」 血液の不足が、眠気を連れてくるが、軽く頭を振ってそれを追い払い、脳裏に描くのは、破られた門扉と、領民に殺された門番達、そして……… 「領民は、俺達を城の外へおびき出すために、火を、放ったんだ」 庭に咲いていた花は全て燃え、城へと移った炎に、使用人達は逃げ惑った。 誰が、悪かったのだろう。一体、誰が……… ![]() 2008/4/2初出 |