*心腹之疾 一*


 長い黒髪が、夜の強い風に靡く。と、同時に月の光にきらめく白銀の刃が、赤い花を散らせた。
 どさりと、夜の路辺に倒れる体。見下ろすその瞳は鋭く、冷たい光を宿している。
 まるで、硬い地面へ溶け込むかのように姿を消すその体を見やり、血のついた剣を一振りし、腰の鞘へと納め、男は月を見上げた。
「必ず、殺してやる」
 空を掻いた己の無力に嘆き、怒り、憎悪したあの瞬間。眼の前で命を落としていく主の骸の一欠片すら、掴む事は出来なかった不甲斐なさを思い、唇をかむ。
 何より殺したいのは、憎いのは、己だとわかっていたけれど。


 雑然とした夜の繁華街。赤や黄、橙や桃色と言った様々な色の提灯に火の入った、露店の続くその道に、人は溢れている。露店の中を覗く者、設置されている椅子に座って食事を取る者、地面に座り込んで賭け事に興じる者、視線をやればどこもかしこも活気に満ちたそこは、数千年の歴史を持つ、中華連邦。
 今は、神聖ブリタニア帝国との間で冷戦状態にある、大国。
 そんな繁華街の一角、破落戸が集まるような少し寂れた酒屋の中では、今まさに、賭博が行われていた。そこへ、十数分前に飛び入りで入ってきた、明らかに中華連邦の人間ではない風貌をした男が、負けなしで札束を積み上げていく。
 身なりの整った、色白の男。金髪に青紫色の瞳と言う風貌がいけ好かなかったのだろう、賭博などには縁がなさそうだと誘ったのが運のつき、負け続きの男達の懐は、寒い風が吹いていた。
「もう終わりかな?なら、これは貰っても?」
 何をしに、こんな場末の酒場に来たのかはわからないが、男が積まれた札束をもって立ち上がった瞬間、彼の周囲には破落戸の輪が出来ていた。
 けれど、男は動じる風でもなく、肩を一つ竦めただけで、悠々と、手に入れた札束を懐へと仕舞った。
 その動きが、男達の怒りに火をつけたのだろう。一人が拳を振り上げて男に殴りかかると、我もと、拳を振り上げ、向かってくる。
 男は一つ溜息をつくと床を蹴り、側にあった椅子の上へと足をかけると、背もたれを蹴って、別の机の上へと飛び上がった。
「賭博に誘ったのは君達だろう?負けたから腹いせに殴るなど、程度が知れるね」
 そのまま、机から降りるとカウンターと呼んでいいのか、酒を煽っている主人らしき男へと近づく。
「すまないが、ここへ行く道を教えて貰えないかな?」
 男は地図らしきものを取り出し、道順を教えてもらうと、そのまま殴るべき対象を見失って打ち合ったらしい破落戸達の横を通り抜けて、店を出た。
 その様を、店の一番奥、一人静かに呑んでいた男が見ていたことなど、誰も、気づかなかった。


 街角で待つ、二人の青年へ片手を挙げて近づいて、地図を広げる。
「このまま、この道をあがって行くといいらしいよ」
「そうか。ところで、懐に何か入っているだろう?」
「ああ、ちょっと賭博に誘われてしまってね。逃げ出せる雰囲気ではなかったから、少し付き合ったら、圧勝してしまってね」
「だからこんなに遅かったんですか?」
 緑色の瞳が、胡乱な色を宿して見上げてくるのに苦笑して、肩を竦める。
「この国の紙幣だし、役に立つと思うけれど。どうぞ」
 言いながら、懐から取り出した紙幣を、白い手に握らせる。
「スザク、荷物を」
「君に持たせるわけにはいかないよ。大丈夫」
 言いながら、側にあったトランクを持ち上げた青年が、先頭に立つ。
「ところで、シュナイゼル。お前、賭博なんか出来るのか?」
「これでも一通りの勝負事は負けなしだよ。勝負するかい?」
「屋敷に着いたらな。チェスは?」
「それなりに」
「よし。スザク、着いたらチェスセットを出してくれ」
「えぇ?君、本当に好きだよね、チェス。どこに入れたかなぁ」
 繁華街の大通りから外れ、人気の乏しい広い道を上っていく。幾度か細い道へと入り、折れ曲がり、人の手のあまり入っていない山の中腹へと昇ったそこに、ひっそりと佇む屋敷が、一軒。
 随所に洋風の様式が見られるが、扉や窓などの細部の細工が、中華の唐草文様のようなものが入っている。和洋折衷ならぬ、中洋折衷、とでもいうのだろうか。
 左右に広がるその建物へと視線をやり、頷く。
「ここか。中々いいじゃないか」
「気に入った?」
「ああ。ところで、さっきからつけてきているそこのお前、姿を見せろ」
 白いコートの裾を翻して振り返り、腰に手を当てて仁王立ちすると、スザクとシュナイゼルがそちらへ視線を向けて、それぞれ懐に隠し持っていた拳銃を取り出す。
 数秒の沈黙の後、木々の合間から姿を見せたのは、男だった。
 長い黒髪を夜闇に流し、鋭く光る紅色の瞳を向けてくる男。その腰には、長い剣が提げられていた。


 風の唸る音と共に繰り出された剣戟を、ひらりと交わして後退するのと同時に、トランクから手を離したスザクが前へ出て、どこから取り出したのか、匕首に似た小刀で刃を受け止める。
「スザク、殺すなよ」
「わかった」
「シュナイゼル、紅茶の用意を」
「チェスは?」
「後でもいい」
 二人が屋敷の中へ姿を消すのを確認して、刃を弾き返す。
 重い、と痺れる腕の感覚で察し、目の前にいる男を見る。
 この男はただの人間だ。だからこそ、殺すな、と言う指示だったのだとわかる。もしも同族、あるいは同類で危害を及ぼす者であるならば、即刻排除と言うだろう。
 それがないと言うことは、殺さず、生け捕りにしろ、と言う意味だった。
 それが一番難しいんだけれど、と心の中で愚痴、小刀を構えなおす。男も、剣を構えなおしたようだった。
 数十年平穏に暮らしてきたと思ったら、またこれか、とよくよく平穏に縁のない自分達に、スザクは溜息をつきたくなった。












2008/10/18初出