*心腹之疾 五*


 星の瞬く夜空を見上げて、麗華が言った。
「あのね、貴方をここへ連れてきた日は、沢山、沢山星が空に浮かんでいたの。だから、貴方の名前は、星刻ね」
 落ち葉に埋もれるようにして倒れ、死していくだけのはずだった自分の命を救い、名前まで与えてくれたこの方を必ず守ろう、己の命を賭してでも………そう、決めていた。
「星刻にだけ、私の秘密を教えてあげるね。私は、本当はね………」
 決めていた、のに………


 あの日、麗華の元へと訪れていた男達の姿は、その後見かけることはなくなった。だが、ある日、突然訪れてきたかと思うと、恭しく頭を垂れた。
「ご婚礼の日取りが決まりました」
「何で!?私は、いいなんて…」
「麗華様、これはもう、貴女様御一人の問題ではないのです。この国に住まう全ての一族の、悲願なのですから」
「でも、でも、私………」
「お聞き届け下さい。我らの望みを、願いを」
「っ………」
「なるべく御年の近い者を選びましたので、どうか、どうか、首を縦に振ってくださいませ」
 麗華は、蒋家と言う名門の血筋の、長なのだと言う。それも、他にもう一人も残っていない、唯一の当主なのだと。だからこそ周りが、必死に縁談を進め、早くその血を残して欲しいと、そう願っているのだと。
 男達は恭しく垂れた頭を上げて、星刻を眼にすると、嫌そうにその口元を歪め、それを手で隠した。
 口元を隠したとしても、眼が、卑しいものめと、そう、言っていた。
 男達が麗華に頷いてもらおうと、更に口を開いたその時、屋敷の扉が音を立てて開いた。
 そして、音もなく、黒い影が、屋敷の中へと入ってきた。
「ご機嫌麗しゅう、蒋家の姫君」
 誰だと、男達が誰何を上げるよりも先に、男達の首が、その場へと落ちた。
「不味い肉だ」
 黒い影は、口元を歪めて血に濡れた唇で、くっくっと笑った。
「姫君の肉は、美味いだろうな」
 星刻が気づき、近づこうとした時には、影の不可視の手で払われた。
 名前を呼んで、腕を伸ばした。だが、声も腕も、麗華までは、届かなかった。
 眼を見張るその瞬間、鋭い刃のような爪が、麗華の細い体を、刺し貫いていた。
「………あまり、美味しくはないな。名高い蒋家の生き残りと聞いていたから、ましな味がするかと思ったが………やはり、獣の肉はよくないな」
 口についた血を拭うと、黒い影は笑いながら、入ってきた時同様、大きな音を立てて扉を閉め、屋敷を出て行った。
 払われて、壁へと激突した体を起し、必死の思いで体を引きずりながら、辿り着く。
「………星、刻………」
 どうすればいい。どうすれば血が止まる。肩の肉がなくなっている麗華を前にして、星刻はどうしていいのか分からず、途方に暮れた。
 小さな手が伸びて、星刻の頭を撫でると、そのまま滑った手が星刻の口に辿り着き、まだ乾いていない血を流し込もうとする。
「いっ、ぱい、生き、る、の」
 涙の浮かぶ顔が、ゆっくりと青ざめていく。名前を呼ぼうとして喉に力を入れるが、うまく言葉が出てこない。
 くたりと落ちた手を掴もうとして、その手を受け止める。
「麗華、様?」
 命を失った小さな体、それが、灰銀の艶やかな毛に覆われた、狼へと変わる。
 小さな、小さな、狼だった。
『私は、本当はね、狼なの。灰銀の毛並みの、狼。綺麗だって、山を駆け抜けると皆に褒められるのよ』
 小さなその体を抱えあげて、抱きしめる。
 初めて、その体を抱き上げる事が叶った瞬間、人の形を得ることが出来た瞬間、何より大切で、誰より慕った主を、失ってしまった。
「許、さない………」
 低く零れた星刻の声は、誰にも聞かれることがない。
 ただ、窓の外で、漆黒の蝙蝠達がその目を光らせて、星刻を見ていた。


 濡れた髪を拭っていたルルーシュが、肩の辺りへ視線をやる。
「で、この子供はどうしたいんだろうな?」
 ふわふわと漂っている子供。スザクにもシュナイゼルにも、星刻にも見えていない子供は、何事かを訴えるように、口を開く。
「で、お前はどうしたいんだ?」
 項垂れている星刻を見下ろして、足を組みなおしたルルーシュが、深く長く、溜息をつく。
「少しは答えたらどうだ?」
 呆れ顔のルルーシュが、もう一度子供を見やり、肩を落とすと立ち上がった。
「これ以上付き纏われても迷惑だからな。おい、子供。俺の体を貸してやるから、この男と話せ」
「えぇえええ!?」
 スザクとシュナイゼルが、同時に眼を見開く。
「何言ってんの?何言っちゃってるの、ルルーシュ!」
「そうだよ。彼の言う通りだ。何故君がそこまでする必要が?」
「これ以上この子供にも、この男にも付き纏われたくない!面倒ごとはすぱっと終わらせる!俺は眠いんだ!」
 そういえば、先刻から眠い、眠いと言っていたな…と、既に頭の隅に追いやっていた事柄を引っ張ってきたスザクは、肩を落として、首を項垂れさせた。
 一瞬、ルルーシュの動きが停止したかと思うと、その手が伸ばされて、星刻の頭を撫でる。
『もう、いいの。星刻には、星刻の生を生きて欲しいの。だから、敵討ちなんて、しないでね』
 子供の軽やかな声が、ルルーシュの口から零れる。その声に、星刻が頭を上げて、涙を流した。
『敵討ちなんてして、星刻が傷つく方が嫌だから。一緒に居られて、嬉しかったから、もう、いいの』
「麗華様………」
 頭を撫でるルルーシュの手を掴み、星刻は震えながら、涙を流していた。












2008/10/28初出