*慕う愛-前編-*


 耳に心地よい声が、名前を呼ぶ。
「星刻」
 けれど、覇気のないその声が低く落とされ、床へと零れる。
「もしも………」
 その先は、聞いてはいけないと思った。たとえそれが、彼の願いだったとしても。


 “黒の騎士団”の首魁であり、CEOを名乗っていたゼロが、トウキョウ租界での戦闘により負傷、その傷が悪化し命を落としたと言う報は、世界を震撼させた。勿論、今まで散々煮え湯を飲まされたブリタニア軍は喜びの声をあげ、彼をまるで神か何かのように慕ってきた日本人達は、嘆きの声をあげた。
 世界全体が、これから来たる様々な波に呑み込まれ、激動の潮流に乗ろうと言うその時に、“黒の騎士団”副指令である扇、将軍である藤堂他、騎士団の黎明期から参加していると言う元レジスタンスの数名、ディートハルト、千葉等を前に、黎星刻は怒りを隠すことなく、その場にいる全員を睨みつけた。
 このような姿を見せるわけにはいかないと、主である天子とその友人でありゼロの妻を自称していた神楽耶には退席を促しており、彼らと対峙するのは、星刻とその部下である香凛、洪古のみである。
 人数的には、対峙する相手の数が多い。だが、むしろ圧倒しているのは、星刻の周りを蠢いているかのような、闘志だった。
「一体全体、これはどういうことだ。総司令である私の所への報告が後回しになる、というのは?」
「将軍である私と副指令である扇とで決定したことだ」
「ほう?総司令の意見を無視して、ゼロの死亡を発表したと言うことか。ならば、その遺骸を見せてもらおう。流石に、仮面は外しているのだろうからな」
 遺骸にまで仮面を被せてはいないのだろうと、問いかけ、間に挟んでいる机の上に手を置く。
「その…ゼロの遺骸は………」
 口ごもる扇を、星刻は一睨みする。たかだかレジスタンス上がりの男に、武官として鍛錬を積んできた星刻の気迫は重すぎたのか、口を閉ざす。
「ない、とでも言うつもりか?」
「ああ」
 藤堂の言葉を、星刻は呆れたように溜息で一蹴する。
「ロロかジェレミア辺りが持ち出したか?否、だな。それとも、ブリタニアにでも引き渡したか?」
「それは、まだ………」
「まだ?と言うことは、副指令殿はゼロの遺骸をブリタニアに引き渡すつもりがある、と言うことになるな。裏切ったか?ゼロを?」
「違うっ!裏切ったのは彼だ!!」
 扇が、はっと口を閉ざすが、もう遅かった。星刻は我が意を得たり、とばかりに口端に笑みを浮かべた。
「語るに落ちたな。愚かな」
「誘導尋問をしたのはそちらでしょう?」
「される方が悪い。ゼロなら、そう言うだろうな」
 ディートハルトの言葉に返しながら、星刻は馬鹿だと思った。彼はそこまで教えてはくれないだろう、と。
「“ゼロ”を裏切り、ブリタニアに魂を売った、か」
「そのような事はしていない。既に我らは停戦協定を結んでいる」
「あの宰相と、だろう?まんまと彼の手の上で踊らされたと言うわけだ」
「どういう、意味だ?」
 千葉が、不思議そうに問いかける。それは、星刻と対峙する全ての人間が思ったことだった。
「我等の、ゼロの目標は何だった?日本の解放、それは第一段階に過ぎない。日本人が日本人の手と力によって、日本を取り戻す。そして、それに呼応した各国がブリタニアへの反旗を翻し、ブリタニアと言う国を追い詰めていく。そうすることで、中華も、インドも、各国がブリタニアに怯えることのない世界になる。彼方方は、日本だけが無事に解放されれば、それでいいと考えているのか?」
「そんなこと、思っては………」
「だが、彼方方の言葉を聞いている限り、シュナイゼルの言及は日本を返すことだけに留まっている。他の国々はどうなる?今は停戦協定を結んでいる。その後は?また進攻されたら?自らの手で取り戻したのでもない国を、どうやって守る?国造りは?彼方達だけで、政治が出来るのか?」
 星刻の言葉に、全員が黙る。藤堂や千葉は軍出身、扇などはレジスタンスで元を辿れば教師、ディートハルトに至ってはブリタニアの放送局勤めだった。政治の出来る人間など、ここには誰一人いなかった。
「彼は、そこまでを見据えて“責任を取る”と言っていた。彼方方にそこまでの覚悟はあるのか!?」
 星刻の怒号に、全員が怯む。それは、側に控えていた香凛と洪古も同様だった。
 本気で、怒っている、と。
「人を殺してきた罪、騙してきた罪、欺いてきた罪、それら全ての責任を取るためにも、歩みを止められない、と。君達は、一体今まで彼の何を見てきた?何か言葉を交わしたか?」
「けど、あんただって、これを見れば………」
 言いながら、扇が出してきた資料を受け取り、星刻は視線を落とした。しばらくの沈黙の後、段々と険しくなっていく星刻の表情に、扇達は誰もが期待した。
 自分達と同じ様に、憤るはずだ、と。
「これを、シュナイゼルが出してきたのか。卑怯な」
「卑怯?卑怯とは、どういう?」
「卑怯だろう?彼が一生抱え、苦しんでいかなければならない罪の証を、人前に曝け出したのだからな」
「知って、いたのか?」
 藤堂の言葉に、星刻は答えずに、資料を机の上に投げ出す。
「私は、顔も知れぬ男に付き従うほど、お人好しではない。天子様に語られた“心”の話には確かに納得したが、それで全てを許容できるほど人ができてはいないのでな。彼の正体を暴いたことがある」
「顔も?」
 ディートハルトの問いに、星刻は腰に下げていた剣の柄に手を触れる。
「無論。この剣を彼に突きつけ、問いかけた。我等を何処へ導くか、と」
 仮面を外して振り返った白い面は、不敵に笑んだ。
「彼は言った、一言」
『俺にはない、未来へ』
 不敵に微笑みながら、けれど悲しげに揺れた紫色の瞳。まるで人形のような作りのその顔に、星刻は衝撃を受けた。












2008/8/26初出