*壱章〜再逢〜四*


 朱色の文字が、白い紙の上で踊る。それを乱暴に畳んで、一つ床を爪先で軽く叩けば、御簾の向こうに影が現れる。
「お呼びでしょうか?」
「これを、届けてこい」
 床の上を滑らせて、紙を御簾の方へとやれば、一瞬、躊躇したように伸ばされた手が、それでも御簾を上げて紙を掴んだ。
「何だ?俺のすることに文句でもあるか?」
「………いいえ。御座いません」
「ならば、さっさと行け」
「御意」
 影が消え、一人になった室で、机上に拳を叩きつける。
「他に、どんな方法がある!」
 この渇きを、癒す方法を………


 その日も、いつもと変わらずに日課にしている散歩をしようと、村長は立てかけてあった杖を持ち、家の戸を引き開けた。
 だが、視界に、ひらりと白い紙片が移りこんで、体を硬直させた。
 土間の上へと落ちたそれへと、腰を屈めて震える手を伸ばす。折りたたまれたそれを広げ、書きなぐられたと思しき朱色の文字に、杖を落とした。
『贄を寄越せ』
 端的に、そう書かれた紙のどこにも、差出人の名前などはない。けれど、村長にはそれが誰からのものか、よくよくわかっていた。
 とうとう、この日が来てしまったのだと、落とした杖を持ち、戸を閉めて、草履を脱いだ。
 その様を、村長の家の傍にある木に止まった白鷺が見ていることなど、気づかずに。


 朝日が昇るとともに起きだし、簡単に朝食を済ませて、人々が田畑へと出かける時刻、同じように翡翠は目を覚まし、体を起こし、一人で朝食をとり、田畑へは出かけずに、薬草と向き合う。
 袖を捲くり、紐で括って動きやすいようにして、煎じた薬草を擂り潰す作業に入ろうとした翡翠の手を、慌しく来訪の意も告げずに開かれた戸が、遮った。
「清秋………せめて、戸を叩いてくれ」
「あ、ああ、悪い。急いでいたんでな」
 戸を閉めないまま、清秋は大股で家の中へと入ってくると、板間に腰を下ろす。呆れたような翡翠の溜息には、気づかなかったふりをするらしい。
「それで、どうしたの?三日と空けずに来るなんて。仕事は?」
「今日は、女達が代わりにやるさ」
 清秋の言を聞き、翡翠の眉根が嫌そうに、寄せられる。
「何か、あった?」
「いや。何も聞いてはいないが、ただ、村長の顔がやけに険しくて、男が全員呼び集められた」
「何か、あるの………?」
「さあな」
 軽く言う清秋の眉間にも皺が刻まれ、決して呼び集められたのが、朗報をもたらすためのものではない事を、物語っている。
「男、全員?」
「ああ」
「僕まで?」
「そう言ういい方をするな。お前は何も悪くないし、きちんと仕事だってしている。悪いのは、お前を非難する連中だろ」
「そう言うのは君だけだよ。他の皆は、決してそんな風に思ってはいない」
「翡翠」
 怒気の篭った声に、翡翠は苦笑して立ち上がると、草履を履きながら、袖を括っていた紐を解く。
「分かったよ。もう言わないから。それで、集まるのは村長の家?何時?」
「今、すぐにだ」
「本当に、何かあるんじゃないの?」
 翡翠の眉間に、再び皺が寄る。
「さあな………本当に、何にも村長は言わなかったんだ。言葉を、濁すような感じでな」
 家を出て、翡翠は清秋と連れ立って畦道を歩く。確かに、田圃に男の姿はなく、代わりに女達が腰を曲げて作業をしている。だが、その中の一人が翡翠に気がつくと、まるで、漣のように不安が静かに広がって、あちらこちらから囁き交わす声が聞こえてくる。
 それを見て、翡翠は額に手をやり、少しばかりその手を目元へと下げる。それに気付いた清秋は、その肩を軽く叩く。
「気にすんな」
 女達を睨みながら、横を歩く清秋が気を利かせたように言うが、翡翠は微笑むだけで、何も言わずに空を見上げた。
 瞬間。
 雲一つない青空の広がる空に、汚点を残すような黒い鳥が一羽、空を横切った。
 ―烏?
 そう思って翡翠が鳥を見上げると、まるで翡翠が見上げたことに気づいたかのように、鳥が首を巡らした。
 眼が合った………と錯覚させるほど、それは、絶妙な間合いだった。
 不安を運ぶような、瞬間。
「………い、翡翠!」
「あ、何?」
 弾かれたように顔を戻すと、心配そうに清秋の黒い瞳が優しくなる。
「どうしたんだよ、ぼうっとして。熱さにやられたか?」
「いや」
 首を左右に振り、否定を示す。
「お前はどうにも夏が苦手みたいだからな。薬師の癖に、自分の身体には無頓着すぎる。これからが夏本番なんだ。身体には気をつけろよ」
「分かっているよ」
 点在する家の内の一軒に、ちらほらと、男達が入っていくのが見えた。
「ほら、急ごう。また遅れたら、何か言われるだろう?」
 少し歩く足を速めた翡翠に、清秋はわざと声をあげる。
「待てよ、おい、翡翠!」
 色の白すぎる翡翠は、夏の強い陽射しの中でもないのに、消えそうに細かった。そのことが、ひどく、清秋には心配だったのだ。
 そして、空に染みを残すかのようだった一羽の烏が、木の枝へと足を下ろして羽根を休め、首を巡らす。そして、口を開いた。
『ひとり、のこらず』
 人の言葉など喋れるはずもない烏が、誰に聞かせるでもなく口を利き、そしてその黒く光る眼が、人の集まる村長の家の中を、暫く鋭く睨んでいたかと思うと、再び飛び上がった。


 集められた男達は、老人から青年まで様々だが、子供は一人もいなかった。青年は瑞々しく若さを保ち、その肉体にはまだまだこれから村を背負っていくことへの気負いが感じられ、そんな彼らの親の世代に当たる者達の肉体には、老いが見え隠れしつつも、まだまだ現役で働けるのだと言う意地があり、さらにその親の世代には、村を子の代に渡した安心感からか、厳格だが、静謐とした雰囲気を醸しだす。だが、その彼ら全てに共通して言える事は、皆が皆、田畑の仕事に関わってきた人間で、翡翠のような色白の人間など一人としていない、と言うことだった。
 清秋が戸を開け、一歩中へと入った瞬間、まるで水を打ったようになり、誰も口を開かない。それは、清秋の後ろにいた翡翠の姿に気がついたからで、流石に、居心地の悪い空気が流れる。だが、それを断ち切るように、清秋が音を立てて板間に腰を下ろし、無言で横の空いた場所を叩いた。
草履を脱いで上がり、そこへ腰を下ろす。そうすると、皺の寄り、節くれだった、苦労を知る老人の手が、床の上に一枚の紙を放り投げた。そして、それを見た半数ほどの男達が、一斉に身を竦める。
「とうとう、今年、これがきた」
 紙を放った老人が口を開く。しわがれたその声には貫禄があり、村の長たるに相応しい威圧感を伴っている。
「生贄を、選ばねばならん」
 村長のその言葉に、青年達が息を呑む。突然の言葉に、彼らは、ついていけていなかった。
「何年振りか………まだまだ、この村から搾り取ろうと言う魂胆らしい」
 萎れていくように、戦意を喪失したような村長の声音に、男達は顔を見合わせる。
 だが、清秋が声をあげた。
「村長。分かるように説明してくれ。俺達若い者には、言っている事が分からない」
「そうか。お前達は、まだ経験していなかったか………いや、していても、覚えていないのだろうな。何せ、以前これがきたのは、十年は前だ」
 放り投げた紙を節くれだった指で拾い上げ広げると、村長はそれを忌々しげに見る。
「鬼、じゃ」
「鬼?」
 訝しげに問い返す清秋に頷くと、村長の瞳は若い者を一人一人、見渡した。そして、口を開く。
「この村は、これがきた時に、生贄を差し出している。見も知らぬ、鬼に」
「なら、差し出す必要あるのか?」
 別の青年が声を荒げるが、その声は、鬼と言う単語に怯えているのか、震えが混じっている。
「無論、あるとも。一度、遥か以前………儂の祖父の代じゃが、生贄を断わった年は、行方不明になる者が耐えなかったそうじゃ」
 小さな村の中で、次から次に、女も子供も関係なく、消えていく人々。何処へ消えるのか、何があったのか分からぬままに。だが、幾日か立つと、必ず村長の家に“遺品”と書かれた紙と共に、行方不明になった者の物と思われる髪が、届けられる。それも、誰も知らぬ内に。
 その、眼には見えぬ恐怖が、人々には確りと、刻み付けられた。
「そんな事が一月も続いた後に、再び誰とも知らぬ内に紙が届けられ、今度は言われた通り一人差し出したら、行方不明になる者はぴたりと止んだらしい」
 そして、その時にも数日後に、やはり“遺品”と書かれた紙と共に、生贄として差し出した者の物と思われる髪が一房、届けられたのだ。
 静まり返った部屋の中で、一人の老人が口を開く。それは、村長よりも年が上の、最古老だった。
「わしゃ、あの時の事を、少しばかり覚えとる。酷かった。人が次々に減っていく。じゃから、これを断る事は決してするでない」
 悲しげな眼はすでに見えていないようで、空を見つめ、指先は震えている。その震えが知らず知らずの内に、皆に恐怖を伝播させていく。
「鬼は、どうやら老人は好まぬようなのだ。食いでがない、ということらしい。あの時にも、既に働くことのできない老人ばかりが、多く残った」
 そうして、畑仕事も出来ない老人ばかりが多く残った村は、鬼に襲われた、などとは一言も口にせず、流行病で若い者ばかりが亡くなってしまったということにし、他の村からの援助も受けながら、どうにかこうにか立ち直ったのだ。鬼に襲われた、などと言ったが最後、どの村からも、手など差し伸べられないことが分かっていたからだ。そして、その時の村人達は、誓ったのだ。
 もう二度と、村を存亡の危機に晒すわけにはいかない、と。
 村長の言葉に、若い者達が顔を見合す。誰も彼もが、そんな生贄になるなど、無論嫌がる。そしてその親達もまた、我が子を差し出すなど御免だと顔を見合わせ、小声で話す。中には、若い娘を持つ者もいる。すでに婚約の決まった男もいる。そんな者を差し出すなど余りに惨いと、あちらこちらで、ひそひそと囁きが交わされる。
 名の由来である翡翠色の瞳を、横に座る清秋へと向ける。清秋は、収穫の時期に婚儀をするのだと、数日前にひどく嬉しそうに言っていたばかりだ。祝いだと、酒も渡してやった。強く拳を握った清秋を見て、翡翠はゆっくりと、視線を場へと巡らす。誰もが顔を顰め、そして、決定権を持つ村長と、眼を合わせないようにしている。
 翡翠は膝に置いた自分の手を見つめて、小さく、息を吐いた。
「それは、誰でもいいんですか?」
 静かで小さなその声は、その場にいた全員の口を閉ざさせ、囁き声を遮断した。
「老人や子供以外なら。女でも、男でも」
 村長の言葉と、向けられた瞳に込められた意味を理解した翡翠は、諦めたように、目を閉じた。
「僕が、行きます」
 自分はこの村に、何も、してはやれないのだから………


 振り返らずに、誰の声も聞かないように、足早に道を行く。すでに日は傾きかけ、燃えるように赤い夕陽が、田圃に火の色を落としていた。
 後から駆けてくる足音にも振り返らずに、ただ、赤く焼けた田圃を眺め、聞こえてくる子供の声を聞き、翡翠の視線は彷徨って、結局は真っ直ぐに、村を囲む山の一つを見た。
「………てよ!おい!翡翠!待てって!」
 ようやく追いついた清秋の手が、翡翠の肩を掴んで乱暴に自分の方へと向かせる。
「お前、自分が何を言ったのか、分かっているのか?」
「勿論」
「だったら、尚の事だ!何で、あんな事言ったんだ?」
 翡翠は手を上げて、理由を並べるたびに、指を一本一本、折り曲げる。
「誰かが行かなくてはいけない。けれど、皆には家族がある。幸いにして、今の僕には家族はいないし、一人身だから………」
 翡翠の言葉を遮るように、清秋が声を荒げる。
「お前がいなけりゃ、誰が村の連中の体の面倒見るんだよ!」
「そう言った事が必要なら、君に全部渡しておくよ」
「え?」
「腹痛や頭痛、腰痛なんかに効くような薬の作り方を記したものは、あるんだよ。見れば誰でも作れると思うから」
「お前………」
「養父が残してくれたから。それのおかげで僕は食を得ている。独り占めしたのは悪いと思っているけど、そうしなければ、僕も生きていけなかったから」
「そんなことを言っているんじゃない!そうじゃなくて………」
「清秋?」
「俺は、お前を犠牲にしてまで生きていく価値が、自分にあるとは、思えない」
 肩に置かれた清秋の手を退けると、翡翠は一歩後退し、距離をとる。
「大体、生贄なんて、おかしいだろ?鬼なんて言ったって、どうせ一匹だろ?こっちは何人もいるんだ。倒せるはずだろ?だから、お前が生贄なんて、そんなもの………」
 清秋の言葉は、村人が全員助かるためには鬼を殺し、屠ろうと言う提案。だが、翡翠は頭を左右に振る。
「僕は、僕が助かるために、例え鬼でも、誰かを傷つけたくは、ない」
「翡翠?」
 夕陽が、ゆっくりと山の陰に隠れていく。影が濃く、翡翠の顔に落ちていく。
「鬼とか、人間とか関係なく、僕は誰かが傷つくのは嫌だ。僕が行く事で皆が助かるのなら、それでいいんだよ」
「何言ってんだ。相手は鬼だ。人間じゃないんだ。こっちの道理や理屈が、通る相手じゃないだろう?お前がそんな殊勝な態度で行っても、向こうは何とも思わないかもしれないだろう」
「そうかもしれない。確かに相手は鬼で、人ではないのかもしれない。それでも僕は、そんなに鬼が悪い存在だとは、思えない」
 姿を見たわけではない。本当に鬼と言うものが存在しているのかどうかも、疑わしい。それでも、悪いように思えないのは、自分もずっと、鬼子と、異人の子と、忌まれてきたからだろうか。同情、しているのだろうか。
 いいや。きっと、人が一番怖いと、知っているから、そんな風に思うのだろう。
「何言ってんだ!鬼は悪い存在だろ!」
「でも………」
「とにかくだ!お前が行く必要はないだろ。俺、もう一度村長に話を………」
「清秋」
「何だよ?」
「僕は、もう決めたんだ。だから、口出しは無用だ」
「翡翠………」
 言い切った翡翠に、清秋が苦虫を噛み潰したかのような表情をする。
 一度言い出したら、聞かないのだと、その外見に反して意思の硬い翡翠に、清秋は頭を掻き毟る。
 如何にか、思い止まらせる方法はないか。何を言えば、翡翠は生贄になる事を、撤回するのか。
 山の端の陰から覗く太陽は、既に、欠片ほどしかない。烏も鳴きながら、山へと帰っていく。それを見て、翡翠は静かに微笑んだ。
「じゃあね、清秋」
「翡翠!」
 何か、言わなければ。止めなければ。そうしなければ、自分は彼の命を助けられない。
 だが、拒むように背を向けて家路につく翡翠に、清秋は何も言葉を思いつかず、言うことが出来ずに、見送るしかなかった。


 何時頃からその罪ある所業が根付いていたのか、今現在村に住んでいる者達は知らず、また、知ろうともせず、只、諾々と鬼の言葉に従っている。
 眼に見えぬ敵。声も姿もないが、確実に、生贄に出している者達は帰ってこない。
 殺されるのか、喰われるのか………
 骨となって返されることすらない。只、遺品とのみ記された紙と共に届けられる髪の一房は、それだけで恐怖をかきたてる。そして皆、それ以上の恐怖も、犠牲も御免だと、生贄達の末路を知ろうとも、思わない。
 誰かを差し出すことで、他の多くの村人が助かるならば………
 辛いのは、皆同じである。
 誰かを犠牲にして生きている村人達は、互いに互いを責められない。
 そして、その罪ある所業を外部の者に進言して、もしも、何かの報復があったら………と考えると、それもできない。無論、己達の手で鬼を成敗しようなどと考える事も、あまりに恐ろしすぎる。
 それが、村の中の暗黙の了解だった。
 罪に眼を瞑り、罰を受け流すための。


 日が昇りきる前。流石にまだ誰も田へ出ていない時刻。どの家からも、未だ物音一つしない時刻。清秋は、急くように足を動かし、畦道を行く。
 昨日の朝も、同じ位の時間に起きた。許嫁になってくれた女性に、簪を贈るために。嬉しかった。幸せだった。あまりに朝早く訪れたのに、嫌な顔一つせず、簪を受け取り、微笑んでくれたことが。髪に挿してくれたその姿を見て、この上ない幸福に包まれた。
 それなのに、たった一晩で、こんなにも気持ちは落ち込んでいる。足取りは重くても急かしている。
 そして清秋は、村のどの家からも一番離れた翡翠の家の戸を、静かに叩く。結局、昨日は物別れに終わってしまって、奇妙なしこりを残したままで床についた。そんな状態では眠るに眠れず、結局早くに眼が覚めてしまった。
 戸を叩く手を止める。しかし、中から声がすることも、物音がすることもない。こんな時間から、薬草を採りに行くわけでもないだろう。
 悪寒が走るように、背筋を凍らせ、清秋は何も来訪の言を告げずに、戸を開けた。
「翡翠!」
 がらんとした家の中には、誰の姿もない。床すら敷かれていない。そして、文机の上に見慣れぬ草と紙が置いてあった。
 だが、そんな事に執着する間ももたず、清秋は戸を開け放したまま翡翠の家を出ると、村長の家へと駆け出した。
 そして、乱暴に戸を開くと、まるで待ち構えてでもいたかのように、板間に腰を下ろして杖を持った村長が、清秋へ眼を向けた。
 息せき切って、清秋は口を開く。
「翡翠は、どこだ?」
「もう、居らん。昨晩、村を出た」
「ふざけるな!そんな急な話だったのか!」
 身を乗り出して怒鳴る清秋に、村長は動揺した素振りも見せずに、口を開く。
「そうじゃ。昨晩は新月。新月の夜は、闇の夜。闇の夜は魔の夜じゃ」
「そんなことを聞いてるんじゃない!翡翠はどこに行ったんだ!」
「聞いて、如何する?」
「連れ戻すに決まってる!」
「翡翠を連れ戻し、お主が生贄になるか?」
「っ………!」
 呆れたように溜息をつき、持っていた杖を一つ、土間に突く。
「できんよ、お主には。秋に結婚する女は如何する?置いていくのか?」
「それは………」
「これでいい。これでしばらくは、生贄になる者も出ない」
「翡翠を犠牲にして、俺達だけのうのうと生きるってのか?」
「生きるとは、そう言うことじゃ。それに、翡翠は元々この村の人間ではない。所詮は、流れ居ついた薬師の連れ子。何処の者とも、分かったものではないわ!」
 厳しい口調に、それでも怯まずに、清秋は言葉を口にする。
「それで、何にも思わないのか?その程度のもんなのかよ?あいつにあんただって、散々薬作らせてきただろうが!」
 村長は鼻を鳴らして笑い、そして、嫌悪感を剥き出しにした声を発した。
「この村にいるからには、仕事をしなければな。農作に携われん翡翠に仕事をくれてやっただけ、ありがたいと思わんか」
「農作に携われないんじゃなくて、できないように村八分にしたのはあんただろ!」
「清秋。口を慎まんか」
「いいや!言わせてもらう!何で何時も何時も、あいつばかりに背負わせるんだ!」
 剣呑な光を帯びた村長の瞳に、清秋は瞠目する。
「それが、役目だ。余所者の。穢れを背負うこと。どの村も行っていることじゃ」
「ふざけんな………」
「大人にならんか、清秋。それは、村の成立には必要不可欠なことなんじゃ」
「納得できねぇ!絶対にだ!」
「ならば、お主も村を出て行け。友人も、家族も、全てを捨て置いて。お主にそれができるか?翡翠一人のために、お前に関わる全ての人間を切り捨てられるか?お前が今まで手塩にかけた田はどうする?枯れるに任せるのか?女は如何する?秋の祝言を取りやめにするか?」
「俺は………俺は!」
「それが嫌なら、口を噤め。何も言うな。それが、ここで生きていくための秘訣じゃ」
 その時、初めて清秋は、握り締めていた拳を、観念したように解くと、項垂れた。
「それでいい。余所者がいなくなってくれる分には、儂らは微塵も、傷つかん」
 それでも、清秋は、納得できなかった。けれど、反論する言葉を、持っていなかった。











2012/12/1初出