*鴉と鴇*


 波の音。朝靄深く、まだ何人も起きだしてはいないような、白々と明けた空に月が残る時刻の湊。船着場には、幾隻もの船が碇を下ろし、人々と同じ様に、眠りに入っている。そんな中を、起きだしたらしい海鳥達が、鳴きながら羽を羽ばたかす。
 そんな船着場から離れた場所に、一隻の大型船が停泊している。そこは、暗礁が多く、また、海上に突き出している岩石も数多く、船を停めるには不向きであると、誰も見向きもしない場所。だのに、そのような場所に停泊する船とは、如何なるものか…
 そんな船の中の一室、異国から渡ってきた船に乗っていた、彫細工の細かい寝台の上、一人の少年が健やかに眠っている。利発そうな顔立ちを、栗色の髪が淵取り、下ろされている瞼の先で、睫が震える。
 ゆっくりと上げられた瞼。覗いたのは、鮮やかに輝く宝石のような、青い瞳。寝惚けているようなその瞳が、揺れるように彼方、此方へと向けられる。
「んっ…」
 肘を突いて身体を起し、少年は目を擦りながら、欠伸を噛み殺す。
「おはよう、鴇」
 優しく頭上から降ってきた声に、首を動かしてそちらへと視線をやると、だらしなく胸元をはだけて着物を着た男が、手に陶器の湯飲みを持って立っていた。端整な白皙の容姿に、烏の濡れ羽色のような黒髪、閉じられているような細い瞳。だが、その黒瞳は、何もかもを見通すかのように深く、強い事を知っている。
「ん…おはよう……って、お前、人の部屋勝手に入ってくるな、って、俺は何度も言ったよなぁ?」
 眉間に皺を寄せて頭を掻きながら、朝から小言を口にする少年、鴇は、手近にあった枕を掴むと、それを勢いよく男に向かって、投げつけた。
「っと。危ないよぅ。お茶が零れるじゃないかぁ」
 語尾が延びる悠長な、独特の喋り方をしながらも、男はお茶を零す事もなく、難なく枕を受け止めると、それを元あった場所へと無造作に戻す。そして、寝台の横に置いてある小机の上の茶器を示す。
「鴇も、お茶飲むかい?」
「ああ、飲む」
 鴇が申し出に頷けば、男は自分の分の湯飲みを小机の上に置くと、手際よく茶器に茶葉を入れ、沸かしてきたばかりの湯を注ぎ、色が出るまでしばらく置いて、鴇専用の、少し大きめの湯飲みに茶を注ぐ。
「はい。どうぞ」
 出された茶を無言で受け取り、一口啜った途端、鴇は湯飲みを口から離した。
「熱い!」
「お茶だから、当たり前だろぅ?相変わらずの、猫舌なんだねぇ」
「う…うるさいな…悪いかよ」
 子ども扱いされたような言葉に、鴇は湯飲みを両手で握り締めるようにして持ち、男を睨みつける。
「悪くなんてないさ。体質は、人それぞれだからねぇ」
 頭を撫でようと伸ばされた男の手を弾きながら、鴇は湯飲みの口に唇を当てて、息を吹きかける。熱いままでは、一向に朝の一杯を飲むことが出来ない。そもそも、自分が猫舌だと言うことを分かっているのに、自分が好きだからと、湯を酷く沸騰させて持ってくる男の意地の悪さが、鴇は嫌いだった。
 鴇が熱い茶を冷ましている間に、自分の茶を飲み終わったのか、湯飲みを茶器の横に置き、寝台に腰掛けた男に対して、眦を吊り上げる。
「何、当たり前みたいに座ってるんだよ」
 此処は己の自室で、お前の部屋じゃない、と、怒鳴ってやろうとする前に、男が口を開く。
「ん?いや。気持ちよさそうに眠っていたから、どんな夢を見ていたのかなぁ、と、思ってさ」
 危うく湯飲みを落としそうになった鴇は、心底嫌そうに、男を半眼でねめつける。
「お前、人の寝顔眺めてたのか?」
「うん。可愛かったよぉ」
 にっこりと微笑んで、男は腕を伸ばすと、指先で、鴇のはねた寝癖の髪を撫でる。
「で、どんな夢を見ていたんだい?」
 正面から覗き込むようにして、髪を撫でながら問うて来る男に対して、鴇は、ようやく温くなり始めた茶を一口飲んで、躊躇いながら口を開いた。
「お前と、初めて会った頃の夢だよ、鴉」


 木々が生い茂り、鳥の鳴き声が微かに、耳に届く。花が眼を楽しませ、その香が、気分を軽くするような、春の日。
 長閑なそんな空気の中で、まるで色に浮かれた春を掻き消すかのように、音を立てず、軽い足取りで山道を下っていく、黒衣の男。目は微笑の形で閉じられているが、完璧に舗装されたとは言えない山道を下るその足取りが、危うくなることはない。
 鳥の鳴き声が止み、風が止まったような瞬間、男は足を止めた。
 閉じていた瞳を開くことなく、気配だけで探ろうというのか、男は首を動かし、動揺するでもなく、肩を竦めた。
 どうやら、物取りの類のようだ。諦めたように足を止めた男を、三人の男がぐるりと囲む。
「ちっ。金目の物は持ってなさそうだな」
 鎌を持った男がそう呟き、他の二人の男へと、顎をしゃくって何か合図をする。と、指示された男二人は、抜いていた刀を鞘に納めると前に出て、男の腕を掴もうとした。
 だが、伸ばされた腕をひらりと交わすと、男は苦笑して、口を開いた。
「退いて、くれませんかねぇ」
「何だと?」
「道を塞がれちゃ、前に進めない。だから、退いてくれませんかねぇ、と、お願いしているんですがねぇ」
 明らかに物取りとわかるであろう男を三人前にし、自分が取り囲まれている状況を理解しているとは思えないような、ゆったりとした口調で話す目の前の男を、奇妙なものでも見るかのように、物取り達はその風体をねめつけるように観察する。
 微笑んでいる表情は、人がいいようにも見えるが、眼元は鋭いようにも見える。纏っている黒色の着物に柄は一切なく、まるで喪服のような寂しさを漂わせると同時に、厳しく、鋭い雰囲気を漂わせている。
「てめぇ、この状況が分かって言ってやがるのか?」
「まあ多少の頭はありますのでねぇ…けど、先程そちらさんが言ったように、金目の物は持っていないんですよ。他を当たってはくれませんかねぇ?」
 溜息と共にそう呟いた男は、そこで初めて瞳を開くと、深く、深い黒色の瞳で、三人の屈強な男の風体を見回した。
 三人が三人とも武器を持ち、獣の毛皮をなめした上着を着ている。髪は四方八方に伸び放題で、粗野な雰囲気を醸しだす上に、所々破れた着物は、荒くれ者の気配を漂わせている。
「その風体は…山賊、ですか?」
「おうよ。俺達は、泣く子も黙る化連隊(けれんたい)の山賊よ」
 最近巷で名を轟かせている、山賊集団の名前であるその名に、誇りを持っているとでも言うようにふてぶてしく言った男は、胸をそる。
 その者等の仕業は、極悪非道。女子供も容赦なく殴りつけ、暴行し、金品を巻き上げ、時には殺人まで犯していく…手段なぞ全く選ばない…それが、化連隊と呼ばれる山賊集団だった。
「おやおや」
 正面を切って山賊だと言われたのにも拘らず、男はさして困った風でもないように、肩を竦めて、黒曜石のような瞳で、鋭く男達を睨みつけた。
「こんな所で、化連隊の方にお目にかかるとはねぇ」
「何だと?」
「お名乗りを頂いたので、私も自己紹介を致しましょうか…」
 そう言って男は袖に手を入れ、素早く手首を返した。
 奇妙な音が響き、次の瞬間には、三人の男のうちの一人、先程男の手を掴もうとした男の首が、千切れ飛んだ。
 血を噴出しながら後ろに倒れ、指示をした男の方へと、切断面の綺麗な首が飛ぶ。
「紅傀儡(べにくぐつ)、鴉と申します」
「最近勢力を広げてる盗賊団の人間か!」
「御存知ですか。そうそう、お聞きしたいことがあるのですよ」
 そう言って、再び手首を返すと、もう一人の男の首が落ちた。
 一人残った男は、持っていた鎌を落とし、目の前に飛んで来た為に、つい掴んでしまった男の首を放り出し、一歩後へと下がると、脱兎の如く逃げようとしたが、気づかぬ間に鴉が目の前に迫っていた。
「お教えいただきましょう。化連隊の本拠地は、どこにあるのですか?」
「て、てめぇ…」
 男の額に、滲み出る脂汗。本能が、男の体を叱咤する。
 …早く逃げろ、と。
「さあ、早く言わないと、貴方の首も彼らのように、落ちてしまいますよ?私は、気の長い方ではないので」
 にっこりと微笑むその笑顔が、男の恐怖を頂点にまで高めた。
「こ、この、山の、中にある。そ、それ以上は、言うもんか…」
 男にとっては必死の、命がけの抵抗だったのだろうが、それはまさに、命を賭した反論となった。
「そうですか」
 ふっと、安堵のような溜息を男がついた瞬間、下連隊の男の首は土の上に落ち、絶命した。
「さてと、早く行かないと、日が落ちてしまいますねぇ」
 鴉は今し方自分の作り出した死体に見向きもせず、再び山を降りるために、足を下りの方向へ向けた、その瞬間。その脇腹に蹴りが入った。
「…は?」
 鴉は瞬きをして、己に蹴りを入れた者を見下ろした。
 痩せていて、少し日に焼けた少年だった。日に透けるような色素の薄い栗色の髪と、まるで春の空を映したような青色の瞳が、好戦的な感情を鴉に伝えてきた。
 蹴りを入れてきた足を掴もうとする前に、拳が飛んでくる。それを受け止め、反撃しようと足をあげる前に、少年は鴉の体から離れると、近くにあった大木の幹に飛び乗った。
「…只者じゃねぇな。大の男を三人、一息に殺しちまいやがった」
「君は?」
「名乗るほどの者じゃねぇよ、紅傀儡の鴉さんとやら。あんた、下っ端じゃねぇだろ?」
「いやいやぁ…そう、見えるのかな?」
「ああ。この山を降りてくる間中、見張っていたが…あれだけ周囲に殺気放ってるのに、気づかないそいつらが馬鹿だったな」
 男等の死に怯えるでもないその言い草に、鴉は片目を開き、窺うように木の上の少年を見やる。
「私を、ずっと見張っていた?君は、何者なのかな?」
「よく言うぜ。途中で俺が見ていることに気がついて、俺を撒いたくせによ」
「いやいや、偶然だよぅ」
 ゆっくりとした口調で話す鴉に、少年が片眉を上げる。
「気に食わねぇ…気をつけな。てめぇの首、いつか取らせてもらうぜ」
「そうかい。それで、君の名前は?教えてくれても、いいのじゃないかい?君は私の名前を知っているのだからさ」
 少年は眉根を寄せると、口角を上げた。
「俺か?俺の名前は、鴇(とき)だ」


 鴇が持っていた釣竿が音を立てて撓り、後へと、その切っ先が向く。
「何の用だ?俺の後に立つんじゃねぇよ」
「おや、御免よ」
 悪びれず、鴉は軽い口調でそう言うと、海からの潮風に嬲られる髪を押さえて、鴇の座っている隣へと座る。
「俺はお前の首を取るといったのに、そんな奴の横に平然と座れるお前が分からないな」
「ふふ…私も不思議に思っているんだ。漁師でもない君が、何故こうして、毎日海に降りてきて、釣りをしているのか…」
「山人が釣りしちゃいけねぇか?」
「いや。ただ、鴇には海の方が似合うなぁ、とね」
「知った風な口を利くなよ。てめぇ、いつまでこの村に居座るつもりでいやがる?」
「おや?私に、この村に居座られちゃ、迷惑でもかかるのかい?」
 鴉は、初めて鴇と山道で会ってから、山の麓にある、寂れた漁村に逗留していた。家の数も船の数も少ない、生活しているのがやっとだとでも言うような、そんな村。
 釣竿を引き寄せ、鴇は海を見た。目を細めて、遠い、地平線の方を見遣る。
「盗賊かぶれにいられちゃ、迷惑なんだよ」
「ああ、確かに、そうだねぇ」
 釣竿の糸を竿に巻きつかせて立ち上がり、釣れた魚の入った籠を持ちあげると、鴇は視線を鴉へと向け、頭から爪先までを眺める。
「お前、この村へは、何の目的で来た?」
「それは、教えられないねぇ。君は決して私の味方、という訳ではなさそうだからねぇ」
「ここまで世間話のように喋ってて、よく言うぜ」
 籠を持って岩場から岩場へと飛び移り、砂浜へと降りる。その鴇の背中へと、鴉は声をかけた。
「君は、本当に何者なんだい?」
 鴇は返事をせずに、鴉へ一瞥をくれただけだった。


 二日、三日と村へ逗留する内に、鴉の所へは、次から次へと、忠告をしに来る村人が後を絶たなくなった。
 曰く。早く村から出て行かないと、化連隊に目をつけられる…住み着いていると認識されれば最後、税という名の略奪がされる…下手をすれば、余所者である故に殺されるかもしれない…
 そうして忠告する者のほとんどが、鴉の事を引き金に、自分達にまで火の粉が及んでは敵わないと、そう思っているようだった。
 だが、確かにそうだろう。碌な収入もないような、貧苦に喘ぐ漁村から、山賊達は血も涙もなく、搾り取れるだけ搾り取ろうと、絹から油、果ては釣れたばかりの魚などまで、奪っていくのだ。これ以上の略奪は真っ平御免だと、そう、表情にありありと出ているのだ。
 やれやれと頭を掻いて、鴉はこの先をどうするかの思案に暮れた。
 自分のいる紅傀儡と言う名の盗賊団は、最近出来たばかりの盗賊団だが、その実力は化連隊などの及ぶ所ではないと自負している。
 そんな盗賊団の若き首領から、鴉へと下された命令は…
『鼠がうろついていた。邪魔だから、潰して来い』
 というものだった。
 どうやら、周りを嗅ぎ回る化連隊の手の者が鼠の如く、首領の周りをうろちょろとしていたらしい。それが、癇に障ったのだろう。
 それにしても、たったそれだけが理由で、一つの山と村を囲うようにして、勢力を伸ばしつつある山賊の塒を壊滅させて来いとは、いかんせん一人でやるには、荷が重過ぎるのではないかと、鴉は溜息をつく。
 だが、気にかかることはあった。
 眼前で人の首が飛んでも、驚くでも怯えるでもなく、山人だと言いながら、海へ毎日足を運んでいる鴇。彼はもしかすると、あの盗賊団の一味なのだろうか…それとも…
「やれやれ…あんな子供に、何を振り回されているんだろうねぇ…」
 厄介なことになったと、鴉は袖の中に隠し持つ武器の刃に触れながら、自分の中に生れた感情を確かめるかのように、呟く。
 鴉が村の中で寝起きしているのは、物置小屋のような、寂れた一つの建物だ。村人が漁業に使う網を置くために、時折使用しているのだと言うそこを、幾許かの金を渡して、借りていた。
 その、小屋の外に、人の気配がすることに気づいたのは、職業柄と言うべきだろうか。
 だが、殺気は感じられない。しかし、現在の時刻は夜。月も、夜空に上がりきっている時刻だろう。
 音もなく土間へと下り、勢いよく木戸を開けると、驚いたように眼を見開いた少年がいた。
「鴇?どうしたんだい?」
「話がある」
 周囲へ視線を巡らせた鴇を見ながら、鴉も気配を探る。他の人間の気配は、なかった。


 小屋の中は暗い。一応は、普段寄り合い所のような形で使用しているためか、土間と板間があるにはあるが、土間の片隅には網や銛などの道具が置いてあり、板間は男が五、六人膝を突き合わせて座れば一杯、と言う広さだった。既に、鴉が村人から借りた布団道具が一式敷いてあったために、余計にそこは狭く感じた。
 仕方なく、鴉は布団の上へ腰を下ろし、その正面に鴇が座る。
「すまないね。白湯を出すような用意もないんだよぅ」
「いらねぇよ、んなもん」
 そうかい、と呟いて、一つ息を吐く。
「それで、話って言うのは?」
「お前、この村に来た目的は何だ?」
「それは、言えないよ」
「もしも、俺と目的が同じなら、協力しないか?」
「君の目的、って言うのは、何かな?」
「………俺の目的は、化連隊を潰す事だ」
「恨みでも、あるのかい?」
「個人的な事情だ。そこまで話す必要はねぇだろ?ただ、俺は奴らを潰したい。もし、あんたの目的もそれなら、どうだ?単独で動くより、さっさと終わると思わねぇか?」
「ふむ………確かにねぇ」
「あんたの力は、この間山で見たから、信用できそうだし」
「おや。どう、見たのかな?」
「袖の中。仕込んであるんだろ。連中には何が起きたか、見えてなかっただろうけど」
「目がいいねぇ」
 鴉の揶揄に、気配が動いた。と思っていると、鴉の首に、ひやりと冷たい指があった。
「この暗闇の中でも、見えてるぜ、俺には」
「本当に、目がいいんだねぇ」
「で、あんたの目的は?」
「変わらないよ、君と。私の目的は、やつらの壊滅だ。お頭が酷くてねぇ。一人で行って来い、なんて言うもんだから………」
「それだけ、買われてるんだろ、あんた」
「さあ、どうだかねぇ。ま、条件は付けさせてもらったけど。でかい仕事だからねぇ」
「へぇ」
 冷たかった指が、離れていく。浮かしていた腰を下ろす気配がして、鴉は首を少し動かした。
「それで、私はやつらの本拠地を知らないのだけれど………」
「俺が知ってる」
「へぇ?」
「中もよく知ってるから、安心しな」
「調べたのかい?」
「知ってるんだよ、ただ。それでいいだろ」
「ふぅむ。そういうことに、しておこうか」
 袖の中に入れていた腕を解き、ごろりと、鴉は座っていた布団へと横になった。
「なら、詳しい段取りは、またにしようか」
 鴉が横になったのを見て、鴇が立ち上がって手を振る。
「土間、借りるぞ」
「は?」
「寝床がないんだよ。やつらの襲撃にあって家が潰されちまってさ」
「おやおや」
 突然夜中に来たのは、そう言うわけだったのかい…と、納得して、鴉は口元に笑みを刷く。そして、素足のまま、土間へと下りようとする鴇の着ている着物を掴み、引っ張る。
「此方で寝ればいい。土間よりは、ましだろうさ」
「狭いだろ」
「構わないよ。狭いのには、慣れてるんだ。普段は、船で生活してるものでねぇ」
「船で?」
「うん。だから、此方へおいで。君みたいな子供をそんな場所で寝かせるのは、忍びないからねぇ」
「っ…!俺は、子供じゃない!もう、十五歳だ!」
「おや?それは、すまなかったね。てっきり背が小さいから、十かそこいらだと」
「てっめぇ!」
 声をあげた鴇が、鴉が被ろうとしていた掛け布団を剥ぐ。
「てめぇは敷布団だけで寝やがれ!」
「ううぅ…寒いよぉ」
「変な猫撫で声出すんじゃねぇ!気色悪ぃ」
「だって、寒いんだよぉ。返しておくれよ」
「それに丸まってりゃいいじゃねぇか」
「全く、可愛くない子だねぇ」
 ひょろりとした腕を伸ばして、掛け布団を奪いとった鴇を、奪われた掛け布団ごと、鴉は敷布団の上へと引きずり倒した。
「っ………ってぇ」
「一番の解決方法は、さ。一緒に寝ることだね」
「はぁ?」
「暖も取れて、布団も一式で済む。ああ、何て素晴らしい考えだろう」
 楽しげに、鴉はいそいそと奪い返した布団を伸ばして、自分の上にかける。その間に逃げようとした鴇の腕を掴み、無理矢理に布団の中へと入れてしまう。
「逃げるんじゃないよ。湯たんぽ代わりみたいなもんなんだから、ね?」
「湯たんぽだぁ?」
「君も、私を湯たんぽにしてくれて、構わないよ?それなりに、体温は高い方だと思うからねぇ」
「………その君、って呼び方、気にくわねぇな」
「なら、名前で呼んでもいいかい?」
「………好きにしろ」
「じゃあ、鴇。おやすみ」
 いつも閉じているような目を、にこりと笑ませて、鴉は完全に瞼を下ろす。小さく、おやすみ、と聞こえた気がした。


 一度塒へ戻り、武器の調達をして来るよ、と微笑んで、鴉が朝旅立ったのを見送り、鴇は相変わらず、釣り糸を垂らして海岸に座っていた。
 海は広い。どこまでも、どこまでも見渡す限りに青く、深く、雄大だ。いっそ、この海に呑まれて、その奥深くで静かに眠ることが出来るのならば、それはきっと、とても穏やかで幸せな事なのではないかと、そう思う。
『鴇、お前は山なんてちっぽけな場所で終わる男じゃねぇ。お前はいつか、海に出ろ。この広くてどこまでも果てしない、海にな。お前は海に好かれてる。そんな男は、そうそう居やしない』
 呵呵大笑、そんな言葉が似合う男だった。
「釣れてるか?」
 後ろから声をかけられて振り返れば、腰に一振りの刀をさげた男が、にやにやと笑いながら近づいてきた。
「…てめぇに、関係あることじゃねぇだろ」
「ま、確かにな。それより、お前、最近この村に来た妙な奴と居るらしいな」
「知らねぇよ」
「しらばっくれるのは自由だけどな…」
 呆れた、とでも言うように肩を竦めて一つ溜息をついた男が、突然刀を抜き、その切っ先を鴇へと向けた。
「お前一人で、何か出来ると思うなよ?」
「ふん。お前らこそ、俺に寝首を掻かれないように気をつけるんだな」
「やっぱり、殺しておくんだったな、お前もあの時に」
「お前に出来るのか?俺を殺す事が。俺に一度も喧嘩で勝てた事無いくせに?」
「鴇…てめぇ!」
「よく覚えておけよ、帥。お前は俺には、絶対に勝てないって」
 帥、と呼ばれた男は、抜いていた刀を振り上げ、鴇の頭上へと振り下ろした。だが、その刃が鴇を傷つけることはなく、数歩後ろへ飛び退った鴇は、籠を手早く持ち上げた。そして、撓らせるように釣竿の先を、帥の喉元へと突きつける。
「ほら、な。お前の攻撃は当たらなくても、俺の攻撃はお前に当たる」
「くそっ…!」
「そんなに俺を殺したきゃ、全員でかかって来いよ。化連隊全員でな」
 釣竿を肩に担ぎ、鴇はそのまま帥へと背中を向けた。その背中に、刃が振り下ろされる事は、なかった。


 岩。岩。岩。黒い海の中、あちら此方に頭を出す、波に洗われた無骨な岩の上で、鴇は大の字になって寝ていた。
 満天の星が輝く暗い夜空に浮かぶ三日月。雲はただの一筋もなく…だが、そんな夜空を切り裂くような黒い闇が一筋、鴇の目の前を横切った。
「…烏?」
 夜に飛ぶ鳥がいるのだろうか…と、不思議に思いながら首を少し上げると、突然目の前に人の顔が出現して、鴇は硬直した。
「こんな夜更けにこんな所で寝ていたら、危ないよぅ?」
「っ…お前!」
 驚き、勢いよく身体を起すと、突然顔を出した鴉と額がぶつかった。
「っ…った…何なんだよ、お前!」
 ぶつかった額を押さえながら、鴉を睨みつけると、鴉も鴇同様、ぶつけたらしい額を押さえていた。
「いやぁ…それは、私の台詞だと………いきなり起き上がらなくても…痛いよ」
「うるせぇ!大体、お前、戻ったんじゃないのかよ?」
「戻ったよ?武器の手入れをして、部下にまだ少しかかりそうだから、って言ってから、此処へまた来たんだよ」
「あーそうかよ。で、何で俺がこんな所にいるって分かったんだ?」
 額を摩る鴇の横に腰を下ろし、鴉がにこりと笑う。
「内緒だよ。それより、こんな場所で何を?満ち潮になっても岩は隠れないとは言え、高波が来たら危ないよ?」
「高波なんか来るかよ。嵐なんか、七日七晩は来ないね」
「ほぉう?」
 興味深げに瞳を開いた鴉を見て、鴇は急いで口を押さえるが、すでに時遅し。言葉は口をついて出ていた。
「まるで、嵐が来ることを予測しているかのようだねぇ?」
「てめぇには関係ないね」
 鴉から視線を外し、夜の闇よりも深く、さらりと柔らかく力強い波へと、鴇は視線を移す。
 貝のように口を閉ざし、仏頂面になってしまった鴇を見て、鴉は微笑しながら手を伸ばす。
「そんな顔、しないの。可愛い顔が台無しだよぅ」
 ふに、と柔らかい鴇の頬に指を沈め、そのまま抓むように指で挟む。途端、されたことに対して羞恥が沸きあがってきたのか、抓まれた頬が赤くなる。
「な、何言ってるんだ!この馬鹿!ってゆーか、離せ!」
「暴れないの。こんな狭い岩の上で暴れて、海へ落ちたらどうするんだい?」
「海は俺に牙を向かない!大体、お前と俺は手を組んだだけだ。俺みたいなただの餓鬼にそこまで構う必要なんかねぇだろ!」
「…本気で、そう思っているのかい?」
「え?」
 突然低く落ちた声に、鴇はばたつかせていた腕を下ろすと、自分より頭一つ分背の高い鴉を見上げた。
 夜の海よりも深い闇色の瞳に、自分の顔が映りこんでいるのを見て、動けなくなる。
「まさか、この私にあれだけの襲撃と蹴りを入れておいて、自分のことをただの餓鬼だと君は、本当に思っているのかい?」
「…え?」
 もしかすると、この男は、今、本気で怒っているのだろうか?
「ふざけないでほしいねぇ…この私に一撃入れることのできる人間など、私達の盗賊団でも、頭位のものなのだがねぇ」
 地から這い上がるかのような低い声が、鴇の耳元で怒りを伝え、背筋へ悪寒と共に、別の何かを伝えてくる。
「ふふっ…この私を惑わせておいて、そんな無自覚な事を言うなど、許せないねぇ」
 ぞっとするほど壮絶な色気を放ちながら微笑んだ鴉は、そのまま顔を近づけると、鴇の口を自分の口で塞いだ。
「っ…!」
 硬直した鴇の体を押さえ込むように抱えると、そのままその身体を岩の上へと寝かせてしまう。
「どうやら…私は、思っていたよりも、君のことが気にかかっているようだよぅ」
「…っ…この野郎!離せ!」
 腕を上げ、足を上げるが、鴉は動じずにそれを全て封じ込めると、細い鴇の体の上へと馬乗りになった。
「ねぇ、鴇。一緒に、紅傀儡で海賊をやらないかい?」
「…海、賊?…海に、出るのか?」
「そう。海だよ。この広くて、どこまでも続く、境界など持たぬ、雄大な海。そこへ船を漕ぎ出すんだ」
「海に…」
「海が、好きなんだろう?君は、山よりも海へ出たいのじゃないかい?」
「俺は…」
 口ごもった鴇の口元へ指を当て、その細い体を抱きかかえるようにして、音もなく鴉は別の岩へと移動する。
 岩から岩へと、闇に紛れて足をとられる事もなく移動した鴉は、鴇を抱えたまま、目の端に止まった洞窟の中へと身を隠す。
「なっ…」
「しぃ。静かに」
 口を押さえ、大きな着物の袖で隠すように鴇の体を包み込む。
 何事かと、鴇は鴉を見上げるが、その閉じられた瞳からは何も窺えず、けれど、警戒するような色を立上らせているのを見て、口を噤む。
 ちらちらと、焔の色が見え隠れし、幾つかの足音が聞こえてくる。そして、抑えたような話し声が。
「人の声が聞こえたと思ったんだが…」
「こんな夜更けに人の声なんかするもんか。いるとしたら、化連隊の奴らだけだろうよ」
「ははっ…そうだな、違いない…ったく、何であんな場所にいつまでも居座っているんだか。さっさといなくなってほしいね…ああ、船の様子でも見に行くか?」
「そうだな」
 男達の声と足音が遠ざかり、鴇は静かに溜息をつく。
「随分と嫌われているようだね、化連隊は」
「…お前も盗賊なら、分かるだろ?居所の定まらない連中って言うのは、屑なんだよ。特に、盗賊なんて、人の目を避けて生きる連中はな」
 腕を振り上げて鴉の鳩尾に一撃入れ、鴉の腕から逃れると、鴇は洞窟の入り口で、振り返った。
「今度こんなふざけたことしやがったら、てめぇの力なんか借りねぇで、俺は一人でやるぜ」
「そうつれない事を言わないで、仲良くしようよ」
 殴られた鳩尾を摩りながら、鴉は鴇の横に立ち、微笑む。
「それで、いつ、連中の塒へ行くつもりなのかな?」
「明日の夜」


 新月の夜。
 月の明かりも何もない山の道を、松明の炎すら持たずに駆け上がる影が、二つ。道なき道、獣も使わぬような、倒れた木々の折り重なったその場所を通り抜け、足を止める。
「見えるか?」
「薄らとだけれどね」
「左右に一つずつ、小屋があるだろ?あそこにその夜の門番がいる」
「何人か、わかるかな?」
「五人前後だろうな。で、その向こう側にあるでかい建物が…」
「本拠地、というわけだね?」
「ああ。あそこに化連隊の頭目と、その下の幹部連中、後は雑魚が三十人程度、詰めてるはずだ」
「ふむ。詳しいねぇ」
「あんた、武器は?」
「あるよ。君こそ、何も使わないのかい?」
「俺は素手でやる。武器は使わない」
「ふぅん」
 側にあった木の上へと、体重を感じさせない身軽さで飛び上がり、鴇は小屋の中を見透かしでもするように、目を凝らす。しばらくそうしていたかと思うと、音を立てずに地面へ着地し、鴉を振り返った。
「行くぞ」
「いいけれど…どうかしたのかい?」
「丁度今、交代の時間で連中が動いてる」
「へぇ。凄いねぇ。見えるのかい?」
「目はいいって、言っただろ。それと、一つ言っておく」
「ん?」
「頭目は、俺がやる。あんたは雑魚をやれ」
「君が、確実に倒してくれるというのなら、構わないけれどねぇ。首は、頂いてもいいかな?頭から持って帰れと言われていてねぇ」
「好きにしろよ。行くぜ」
 獣のような俊敏さで、小屋のすぐ側まで近づいた鴇を追い抜き、鴉は袖の中へ手を入れると、そこに隠してあった武器で、左右にある二つの小屋の木戸を半分に寸断する。割れた扉が地面へと落ちる轟音に、中にいた二十名程度が、驚いた様子でわらわらと出てくるのを、待ってましたとばかりに、鴇が先頭に出てきた男の懐へ飛び込み、その顎を下から手で突き上げる。仰け反った男の体をそのまま蹴り飛ばし、後続の何人かを巻き添えにして、転がり飛んだ。
「鴇っ!野郎共、鴇が来たぞ!迎え撃て!」
「へっ。束になってかかって来いよ!」
 挑発するように言う鴇に、男達は小屋の中に隠していたらしい武器を手に取り、飛び出してくる。だが、獲物を持たない鴇の身軽さと俊敏さに、男達はついていくことが出来ない。刀を振り下ろす間に、刀を鞘から抜く間に、刀を奪い取られている者もあれば、いつの間にか昏倒させられている者もいる。
「お見事だねぇ」
 鴇の孤軍奮闘ぶりに一人驚嘆の声をあげ、鴉は指に引っ掛けた武器を回転させ、そのまま後方へと無造作に放り投げた。それは、もう一つの小屋の中から武器を持って出てきた数人の腕や足を切りつけ、弧を描いて鴉の手の中へと戻る。
「な、何者だ、てめぇ!」
「紅傀儡、鴉と申します。恐れ多くも我等が頭より、四天王の名を頂戴しています」
 戻ってきた武器を、もう一度放る。左右の手の中から飛び出したその武器は、まるで意思を持ってでもいるかのように空を飛び、鴉へ刀を向けようとする男達の体を切り裂き、傷つけ、戻ってくる。
「四肢を寸断されて一思いに死ぬのと、苦しみながら血を流して死ぬのと、どちらがお好みですか?」
 ゆっくりと、鴉の瞳が開かれる。その、闇よりも深く濃い色に圧倒されるように、男達は手に持っていた武器を放り出すと、背を向けて逃げ出した。
 だが、それを見逃す鴉ではない。勿論、同業者相手に容赦など、するわけがない。
 三度、武器を放り、逃げた男達の足を止める。足を傷つけ動けない男達は、皆地面に転がり、呻いていた。
「さて、と………と。鴇?」
「四天王…か。幹部か、お前」
「ああ、うん。一応ねぇ」
 いつの間にか、気配もなく横に立っていた鴇が、恨めしそうな顔で見上げてくる。
「一度、真面目に手合わせしてみてぇな、あんたとは」
「おや。そうかい。じゃあ、これが終わったらその内にでも、どうだい?」
「………考えておく。行くぞ」
 今頃は、外の騒ぎが中にも伝わっているはずだろう。幾らこの辺を牛耳り、敵のない化連隊とはいえ、他者からの襲撃に無用心なわけがない。
 中に居るのは、多く見積もって五十人。それを二人で全て相手しようと言うのだから、全くもって無茶だな、と、鴇は自嘲した。


 明かりの灯っていない廊下は、新月の夜のせいなのか、全く先の見えない闇に包まれていた。そんな中でも、迷うことなく、真っ直ぐに前へ向かう鴇の背中を見ながら、鴉は袖の中へ仕舞った武器に触れる。今の所、敵の気配はない。だが、すぐに武器を抜けるようにはしておきたかった。
 それにしても………と、不思議に思う。まるで、鴇はこの建物の中を熟知してでもいるかのように、迷いなく進んでいる。廊下が分かれていたりしても、そこで立ち止まったりはしない。
 彼は、本当に何者なのか。年の割には体の動きもなっているし、物事を見る目も確かなようだ。それに、海に対する執着心。山で暮らしているように見える風体なのに、あそこまで海を好むと言うのは、何か理由があるように思えた。
 だが、聞いた所で鴇は答えないだろう。いまだ、鴉のことを警戒している節がある。まあ、盗賊を生業にしているのだから、警戒されて当然ではあるのだが。
 鴇が立ち止まったのを見て、鴉も足を止める。そして、左手の側にある引き戸を、大きく引き開けた。
 室内の四隅には、燈台が置かれ、火が灯されている。その部屋の中には、十数人の男がいた。
 二人が通り過ぎるのを待って、後ろから襲い掛かる手はずででもあったのか、手には皆何かしらの武器を持っている。
「少しは殺気を消せってんだ、馬鹿が」
 鴇が毒づき、部屋の中へと飛び込み、目に付いた一人目を蹴り飛ばす。そのまま二人目を殴って昏倒させ、三人目に飛び掛る前に、鴉が腕を閃かせた。
 途端、鴇に群がろうとしていた男達の内、五人の腕が落ちる。
「邪魔すんな!」
「いや、でも、私もこれが仕事だからねぇ。早く終わって、いいじゃないか」
 にこにこと笑いながら言う鴉を尻目に、鴇は足を振り上げ、刀を弾き飛ばす。鴉は戻ってきた武器を指に引っ掛け、右手を軽く動かし、武器を飛ばす。
 鴉は、自らの体に血が付着する戦いが好きではない。刀を持って戦えば、返り血を浴びる可能性がある。鴇のように素手で戦えば、相手に血を吐かせることは少ないだろうが、楽ではないだろう。
 そう考えた鴉が好んで使うのは、飛び道具だった。円形のその武器は、外側に刃があることで、飛びながら敵を斬りつける。投げ方次第できちんと手元へ戻ってくるので、重宝していた。
 かといって、刀や素手で戦えないわけではない。一通りの戦い方は、熟知しているし、部下に教えることも出来ないではない。好んで使わないだけだ。
 つまり、鴉は極度の面倒臭がりなのだ。楽なら楽をしたい。そう言うことだった。それは、日常生活でも、戦でも。だから、盗賊と言う稼業を選んだ。汗水流して働くのが、嫌だったからだ。
 室内に入って幾許も経たない内に、中にいた十数人の男達は呻きながら床に這い蹲ることになった。一人もまともに起き上がれないのを確認した鴇が、さらに奥へと進もうとしているのを見て、鴉は横に立つ。
「凄いね、鴇」
「あんたこそ、えげつないやりかたするな」
「えげつない、かなぁ?」
「ああ。俺は好きじゃないな」
「おや。嫌われてしまったかな?」
「別に。最初から好いてるわけでもねぇよ」
 引き戸を開けて、再び廊下へ出た鴇は、ずんずんと大股で奥へと進んでいく。
 やれやれ、素っ気無いね………と、鴉は心中で呟いて、溜息をついた。


 怒号と悲鳴が途絶えたのを確認して、男は刀を握って立ち上がった。腰に刀を差し、引き戸を開け、側にあった燈台を掴んで、廊下の隅にそれを置き、明かりを設ける。
 気配が少しずつ近づいてくるのを感じ、刀を鞘から抜く。橙色の灯を投影して煌めく刃を翻し、廊下の角へと、その切っ先を向けて斬りこんだ。
 刃と刃が当たる音がして、眼を見張る。
「危ないねぇ」
 ゆったりとした口調が言い、漆黒の姿が現れた。
「鴇、大丈夫かい?」
「余計なことしやがって」
 鴉に肩を押さえ込まれてその場に尻をついた鴇が、恨めしげに鴉を見上げる。見上げられた鴉はと言えば、右手に握った武器で持って、突然曲がり角から突き出てきた刃を受け止めていた。
 漆黒の髪に漆黒の衣。銀色に光る円形の刃に、閉じられた細い瞳。左手はしゃがみこんだ鴇の肩を掴んでいる男を見て、刃を引く。
「何者だ?」
「人に名前を問うのであれば、そちらからお名乗り頂くのが、筋ってもんじゃないですかねぇ?」
「化連隊副頭目、帥」
「おや。では、この奥に頭目さんがいるというわけですね」
 帥が刃を引いたのを確認して、鴉は時の肩から手を離し、武器を握りなおした。
「紅傀儡四天王、鴉と申します。以後、お見知りおきを」
「どけ、鴉」
「だめだよ。頭目の首は君が取ってくれるのだろう?なら、この男は私が相手をするよ。早く終わらせたいからねぇ」
「鴇、てめぇ、紅傀儡と組みやがったな!」
「紅傀儡と組んだわけじゃない。こいつの目的と俺の目的が同じだったから、一時的に手を組んだだけだ。鴉と」
「同じことだろうが!この裏切り者が!」
 帥は引いた刀を構えなおし、怒鳴る。しかし、それよりなお苛烈な殺気が、鴇の全身から迸った。
「巫山戯んな…裏切り者はどっちだよ?親父を殺して頭目の座を奪った挙句に、義賊だった化連隊をただの盗人の集団にしやがって!てめぇも、あの野郎も、絶対に許さねぇぞ」
「鴇、君は化連隊の先代の子供なのかい?」
「あぁ?何だ、知らねぇで手を組んでたのかよ?そうだ。こいつは、奇麗事ばっか抜かす先代の拾ってきた子供でな、そんな子供にここを継がすとか抜かしやがったから、俺らでここを乗っ取ったのよ」
「やれやれ…仁も義もないとは思っていたけど…そこまで落ちた所だとはねぇ」
 額に手を当て、いかにも気落ちしたと言う風情な鴉が、帥を無視して、鴇に手を貸して立たせた。
「ねぇ、鴇」
「何だよ?」
「私と一緒に、海賊をしないかい?」
「昨日もそれを言ったな、お前」
「君と一緒に、海賊をしたいな。義賊でないと嫌だと言うなら、頭に交渉するよ」
「てめぇら!俺を無視すんじゃねぇ!」
 帥が刀を突き出そうとするが、それより先に、帥の頬を傷つけるすれすれの箇所を、鴉の武器がすり抜けていき、鴉の手の中へと収まった。
「少し、黙っていて下さい。私は今、鴇と話しをしているんですから」
 鴉の閉じられていた瞼が開き、帥を射抜いた。深く黒い瞳が、薄暗い中でも分かるくらいに光り、殺気を向けてくる。
「ねぇ、鴇。どうかな?」
「…の、野郎!今はそんな時じゃねぇだろうがよ!」
 鴇の手が振り上げられ、鴉の頭を引っぱたく。その衝撃に頭を揺らした鴉が、くすくすと笑った。
「いいねぇ、やっぱり」
 手の中で武器を操りながら、鴇から手を離した鴉が、一歩前へ出る。
「考えておいて欲しいな」
 にこりと笑った鴉が、武器を帥へ向けて投げつける。弧を描いて飛んだそれが、帥の髪の一房を切り落とした。
「行きなよ、鴇。ここは私に任せてさ。すぐに追いつくよ」
「大概お前も、変なやつだな」
「褒め言葉として、もらっておくよぉ」
 戻ってきた武器を取り、帥の横をすり抜けた鴇を見送った鴉が、にこりと笑う。
「さて。すぐに終わらせましょう、帥さん」
 放たれる殺気の強烈さに、額から滴り落ちる汗を、帥は拭った。


 ひょい、と血の流れ出る屍を飛び越え、武器についた血を懐に入れてあった布で拭い、そのまま鴇の走って行った方向へと歩を進める。
 鴇は、攻撃力こそ鋭く、身軽で素早いが、鴉の見た所、一度も殺しはしたことがないように見受けられた。
 鴇からは、血の匂いがしない。それは、鴉のように独特な業を身につけたものにしか分からないものだろう。
 化連隊の頭をやるのは自分だと言っていたが、果たして、それが出来ているかどうか…
「ふぅ。本当に、振り回されてしまっているねぇ」
 今までは、常に何事にも無関心を貫いてきた。深く入り込まず、浅瀬に足をつけるくらいの場所で、人との距離を計ってきた。それが、一体全体どうしたことか………
 開いている一つの襖。そこへするりと身を滑らせると、部屋の中には幾つもの燈台が用意され、灯がとられていた。その中央で、鴇が右手に短刀を持ち、目の前に尻をついている男の喉元に突きつけている。
 巨漢、と称していい体躯の男だった。無精髭が生え、刀を手放したその男が、化連隊の頭なのだろう。逃げるように、じりじりと壁際へと体を移動させている。
「返せよ」
「な、な、何をだ!」
「化連隊の頭の証の、龍をだよ」
「な、何でてめぇに渡さなきゃなんねぇ!」
「あれはお前に相応しいもんじゃねぇよ。他人を殺して伸し上がろうなんてする、汚い奴には」
 短刀の切っ先が、男の喉の皮膚近くまで向けられ、その鋭さと冷たさに、男が息を呑んだ。
「さっさとしろよ」
 鴇の眼光が、鋭く男を射抜く。今にも短刀を振り下ろしそうなその表情に危機感を抱いたのか、男は懐に手を入れ、金に光る何かを取り出し、鴇へと投げつけた。
 そして、そのまま体を起すと、その巨躯に似合わない俊敏さで、後ろへと下がり立ち上がって、逃げようとした。
「少々お待ちいただけますかねぇ?」
 鴇が行く先を塞ぐよりも先に、鴉が動き、男の前に立つ。
「だ、誰だ、てめぇは!」
「お初にお目にかかります。紅傀儡四天王、鴉と申します」
「紅、傀儡だとぉ!」
 最近勢力を伸ばしている盗賊団か、と言い放ち、男は腰に下げていた刀の柄を握り、抜こうとした。だが、それより早く、その横をすり抜けるように、鴉が一歩、前へ出る。
「申し訳御座いませんが、貴方の首、頂戴いたしますよ」
 鴉が言い、右手に握っていた武器を手の中で翻す。それと同時に、男の首が斜めに滑り落ち、胴体から離れた。
 ごとり、と言う音がして、首が床へと落ちると、立っていた体が、後ろへと倒れこむ。
「ふぅ。終わった、終わった。これでようやく帰れるよぉ」
 武器を袖の中へ仕舞い、懐から布を取り出すと、綺麗にそれで頭の首を包んでしまう。それを掴んだまま、鴉は鴇に近づいた。
「鴇は、それを取り戻したかったのかい?」
「ああ。親父は、山に捨てられてた俺を拾って、育ててくれた。その親父が、いつも指にしてたやつだ。代々、化連隊の頭に受け継がれるもんだ、って」
 大きい手がいつも鴇の頭を撫でてくれた。そして、必ず言った。
『俺達は義賊だ。決して弱い者、貧しい者から奪う事はしない。こいつは、その証みてぇなもんだ』
 気高い龍のように、決して心根を曲げずに人々に施しを与える義賊になること。私腹を肥やす役人や貴族からのみ金銭を奪い、殺しは決してしないこと。その証なのだと。
『おめぇは、でっかい男になれ。この海みたいに広くて、深い、心のでっかい男に』
 自分を生んだ母親の顔も知らない鴇に優しくしてくれたのは、彼だけだった。だからこそ、許せなかった。
 純金で出来たこれが欲しいためだけに、親父を殺した連中が。そして、それを止めずに見ていた奴らも。
「それ、どうするんだい?」
「………親父の墓に埋める」
 流の彫り物のされた金の指輪。それを握り締めて、鴇は血生臭い部屋から出て行った。


 釣竿の糸が揺れている。それを見て竿を撓ませて糸を引くが、餌だけが持っていかれていて、魚はいない。
 もう、餌はなかった。糸を釣竿に巻きつけて、横に放り投げる。そのまま砂の上に体を横たえて目を閉じていると、ふっ、と影がかかったように感じた。
 頭の下に引いていた手を抜いて目を開けると、目の前に顔があった。
「やあ、鴇」
「お、前…戻ったんじゃないのかよ!」
 急いで体を起すと、前に額をぶつけたのを覚えていたのか、鴉はうまく避け、腕を伸ばして鴇の背中についた砂を払い落としてやった。
「まだ、聞いていなかったからね、答えを」
「答え?」
「そう。一緒に海賊をやらないかって、言っただろう?」
「ああ…」
「この村を出て、何処か行く当てはあるのかな?」
「ねぇよ、そんなの。俺は捨て子だったからさ」
「大丈夫。紅傀儡のほとんどは、皆そんな感じだよ。捨てられたり、世の中から外れて生きている。そんな集団だからさ」
「何で、俺なんだ?」
 立ち上がって、振り返る。
 眩しいばかりの日の中で、鴉の漆黒の着物は、景色から浮いていた。
「気に入ったからね、君が」
「変な奴…」
「そうかな?私は、気に入ったものは手に入れないと、気がすまないんだ。まあ、気に入るものは少ないんだけれどね」
 そう言って軽く鴇の額に口づけて、頭を撫でる。
「お前なぁ…俺は餓鬼じゃないぞ!」
「怒った顔も可愛いけどね、笑ってくれると嬉しいなぁ」
「ふざけんな!」
 何時までも頭を撫でている鴉の手を払いのけて、放った釣竿を拾う。
「返事は?一緒に海で生活しようよぅ」
 のしかかるように肩に腕を乗せて体重を預けてくる鴉に、鴇は頭を掻いた。
「っだー!お前、俺が頷くまで、ずっとそれ言う気だろ?」
「おや。分かった?」
 悪びれた風のない鴉の言葉に脱力して、肩を落とす。
「仕方ねぇなぁ。一緒に行ってやるよ!」
 鴉のしつこさに負けた鴇は、不承不承というように、半ば叫ぶようにして後ろにいる鴉に返事をした。
 ふわりと、黒色の着物の色が目の前を舞ったかと思うと、柔らかい瞳が向けられて、やんわりと抱きしめられる。
「有難う、鴇」
「俺より、お前の方が餓鬼だ」
 鴉に気づかれないように微笑んで、鴇は鴉の頭を軽く叩いた。


 最近手に入れた書物の一節に目を通していた鴉が顔を上げるのと同時に、部屋の扉が開いた。
「鴉、ほら」
 鴇が、手に持っていた紙片を鴉へと投げて寄越す。本に栞を挟んで閉じ、机の上に置いてそれを受け取り開くと、見慣れた文字が綴られていた。
「出航だよぉ、鴇」
 言いながら、鴉は部屋の中の鳥籠にかかっていた布を外し、上部を取り外すと、中にいた一匹の烏が飛び出していく。
「仕事か?」
「そう。相手は密輸してる商人だって」
「あ、そう」
「おや?興味がないのかい?」
「密輸って、何を密輸してるんだ?」
「芥子」
「それを横取りか?」
「ううん。船ごと潰して来いだって」
 持っていた紙片を破り、屑入れへと放り投げる。
「全く…お頭も人使いが荒いよねぇ」
 腕を回しながら鴇に近づき、すっぽりと腕の中に収めて抱きしめてしまう。
「大丈夫だよぅ。人殺しだけは、させないからさぁ」
「………別に、もう………」
「だめだよぉ。約束は、守らないとね。それに、鴇の綺麗な手が汚れるのは、私が嫌だからねぇ」
「お前、言ってて恥ずかしくねぇか?」
「全然…っと」
 振り上げられた手を掴み、殴られるのを防ぐ。そのまま掴んだ手を引き寄せて、掌に唇を寄せた。
「大好きだよ、鴇」
「は、離せよ!」
「だぁめ」
「離せって、おわぁ!」
 ぐらり、と船が動く。多分、先ほど鴉が鳥籠から出した烏が船の上を旋回して、出航を知らせたのだろう。船員達が、船を動かしたのだ。
 足場がぐらつき、そのまま倒れそうになった鴇の腕を掴んだまま、鴉は床の上に転がった。
「鴇は可愛いねぇ、本当に。照れなくてもいいじゃないか」
「照れてなんかねぇよ!」
「そういうことに、しておこうか?」
「やっぱお前、気に食わねぇ!」
 怒鳴った鴇の拳が、鴉の懐へと入る。痛みに小さく唸った鴉の腕から逃れて立ち上がると、鴇はわざわざ音を立てて扉を開け、閉めた。
「ああ、本当に可愛いねぇ」
 誘っておいて本当によかったと、鴉は微笑んで立ち上がり、戻ってきた烏を鳥籠の中へ仕舞い、布をかけた。
「君もこういう風に、閉じ込めてしまえればいいのだけどねぇ」
 でも、そんなことをしては、鴇のあの綺麗な目が、濁ってしまう。それでも、自分だけのものにしたい、と言う欲求があるのは、確かだった。
「まあ、もう少し、待ってあげるよぉ」
 まだまだ子供の鴇に自覚させるのは骨が折れそうだったが、それもまた楽しみになるだろうなぁ、と、鴉は本の続きを読むべく、椅子に腰を下ろした。







『鴉と鴇』。実は、これ番外編です。
本編は別にありまして、二人はその中に出てくる脇役なんですね。
実は本編も完成しているのですが、気に喰わないので全部書き直しする所存です。
なので、脇役のバックボーンを作るべく彼らの番外編を先に書いているんですね。
その中で最初に完成したのが、この『鴉と鴇』です。
今はまだ鴇が突っかかってますが、本編では時間が経ってラブラブの予定。(あくまで予定)
少しずつ、他のキャラの話もあげて生きたいと思います。




2008/4/12初出