*夏の終わり*




 夏が、終わる。


 蜩が、鳴き始める季節。眼下へと視線を転ずれば、硬く熱いアスファルトの上で、息を止めた油蝉。その薄い翅が曲がり、折れ、黒く大きな体には、無数の蟻が群がっている。彼らはどんな風にその体を解体するものか…器用に油蝉の体を切り離し、それぞれが持ち場を決めて、道を一列に横断していく。何処ぞに、住処があるのだろう。其処まで、運んで行くのだ。
 或る人は、これを残酷だと言う。或る人はこれが自然の摂理だと言う。弱肉強食が自然のあるべき姿なのだと。
 確かに、残酷でもあり、自然の摂理でもある。ならば、人は…それを外から見て断ずる人は、残酷でもなく、自然の摂理にも組み込まれていないとでも、言うのだろうか。私は思う。それは、人の勝手な真理なのだと。
 人は本来、自然の中にあるべきだ。かつてそうであったように、自然から搾取され、淘汰されていくべきなのだ。だが、人は、自然を屈服させ、従属させ、そこから離れる事をよしとした。ならば、自然に対して何らの干渉もすべきではない。機械を愛し、化学を進歩させてゆく事を是とするのならば。
 何故、このようなものを作ったのだろう。アスファルトなどがなければ、電柱などがなければ、彼ら油蝉は、緑溢るる自然の中で、その健やかな声を響かせ、一生を速やかに終え、土へと落ちる事が出来ただろうに。彼らを育てた懐かしい土中へと沈み、この世界を形成する一つとなっただろうに。それが、例え蟻に解体され、巣へ持ち運ばれる事であったとしても、土へと落ちることが出来たのであれば、彼らは幸せだっただろう。焼けるような鉄の棒にしがみついて鳴かねばならぬ、彼らの苦痛は、如何ばかりだろうか…
 夏が巡るたびに見るこの悲しき所業。アスファルトを砕いてやろうにも、私には力がない。既に削られた力は、この命を維持するにしか、役立たぬ。
 人は様々な楔から逃れ、その楔を破壊し、自由になった。だが、今、それに新たなる手を加える事が、本当にその楔にとって、良い事なのであろうか。
 私には、分からない。
 命は皆同じ命。例え、それが花であっても鳥であっても、虫であっても魚であっても。人の命だけが特別重い、と言うことは決してない。自然からすれば、この世界から見てみれば、人間こそが、世界を破壊する蹂躙者でしかない。己の都合で好きに壊し、かと思えば、己に都合が悪いからと、手を加えて再生しようとする。
 私には、分からない。
 私には、私を愛し、慈しんでくれる花や鳥や虫、木々や魚達が愛しい。
 夏が、終わる。
秋が巡り、冬が来、春へと行く。穏やかな季節も、厳しい季節も、輝かしい季節も、その全てが、あって当然のものだった。
 それが、今、壊れてゆこうとしている。
 何故…何故、私からそれを奪うのか。
 蝉の体を解体し、それを餌として冬を越そうとする蟻も、彼らに食まれ、その血肉となって命を巡らせる蝉達も、私にとって愛しい存在であるのに…
 私の眼下にあるこの景色は、いつの間にかこんなにも灰黒に染まり、明るくなり、愛しい彼らの姿を覆い隠してしまった。
 嗚呼…
 嗚呼…
 今更、どんな手を尽くそうと、私は決して許さない。この私の愛しいものたちを奪い取った、人々を。
 いっそ、全てを壊し、やり直そうか…
 この美しい、夏の終わりから。







電信柱にしがみついている蝉を見て思いついた作品です。
暑そうだな、よく焼け死なないな、と。
本来涼しげな森で過ごすはずの生き物が街に下り、生きている。
人の手で森が破壊され、逃げてきた生き物達が。
それなのに人は勝手で、煩いとか臭いとかといいながら追い払おうとする。
書きながら、私人間本当に嫌いなんだ…って言うか、自分が大嫌いだな、と思いました。
前年に書いて、あげるの忘れてたんです。あげるかどうか最後まで悩みましたが、これも一つの作品だし…と、思い切ってあげる事にしました。




2008/8/1初出